2話 監視官
教室を出た後も、迅は道行く他生徒から声をかけられる。
「九条くん!」
廊下の向こうから女子生徒が駆け寄ってくる。
「あ、おはよう」
迅は柔らかく笑った。
「生徒会の資料できました!」
「ありがとう」
「助かったよ」
女子生徒の顔が一瞬で赤くなる。
「い、いえ!」
「また後で持って行きます!」
慌てて走り去っていく。
迅は苦笑した。
その直後。
「迅!」
今度は男子生徒だった。
「今日サッカー来るだろ?」
「行く行く」
「本当か?」
「たぶんな」
「絶対来いよ!」
「善処はする」
「お前それ来ないやつだろ!」
周囲が笑う。
迅も肩を竦めた。
「バレたか」
誰に対しても自然だった。
壁を作らない。
だから人が集まる。
湊は黙って後ろを歩いていた。
会話をする必要はない。
そもそも何を話せばいいのかも分からない。
やがて人通りが少なくなる。
旧校舎へ続く渡り廊下。
昼間でもほとんど人が来ない場所だった。
迅が足を止める。
そして振り返る。
その瞬間だった。
空気が変わる。
柔らかな笑顔が消える。
王子様はいなくなった。
代わりに現れたのは鋭い視線を向ける男だった。
湊は無意識に身体へ力を入れる。
目の前の男は本気で自分を警戒している。
それだけは分かった。
「警察省特別警備局」
迅が口を開く。
「俺はそこの所属だ」
先ほどまでの口調とは別人だった。
「神代湊」
視線が突き刺さる。
「俺は貴様を監視する任を受けている」
単刀直入だった。
湊は黙って聞く。
「驚かないんだな」
「そんな気はしていた」
「そうか」
迅は頷く。
「なら話は早い」
一歩。
距離が縮まる。
それだけで空気が張り詰めた。
「余計なことはするな」
冷たい声だった。
「今後もだ」
「先日の件も含めてな」
先日の事件。
湊は何も言わない。
「報告書は読んだ」
迅は続ける。
「映像も確認した」
一瞬だけ間が空く。
「想像以上だった」
評価ではない。
警戒だった。
「国が貴様を危険視する理由も理解できた」
「俺も同意見だ」
はっきりと言い切る。
迷いはない。
迅は本気でそう考えている。
「俺は有事の際」
静かな声。
だが重い。
「貴様を処分する権限を与えられている」
渡り廊下を風が吹き抜けた。
「忘れるな」
迅は真っ直ぐ湊を見る。
「貴様が国民へ牙を向けた瞬間」
「俺が斬る」
短い言葉だった。
だが冗談ではない。
本気だ。
湊はそう判断した。
「そうか」
返答はそれだけだった。
迅の眉が僅かに動く。
「随分落ち着いているな」
「言われても変わらない」
「……なるほど」
迅は小さく息を吐いた。
「勘違いするな」
再び鋭い視線を向ける。
「これは脅しではない」
「警告だ」
「俺の役目だからな」
その時。
校舎に予鈴が鳴り響いた。
授業開始五分前。
迅が時計を見る。
「時間か」
そして。
次の瞬間には。
柔らかな笑顔が戻っていた。
先ほどまでの空気が嘘のように消える。
「じゃあ神代」
いつもの声だった。
「また後でな」
「ああ」
迅は軽く手を振る。
そのまま歩き出す。
廊下の角を曲がった直後。
「あ、九条くん!」
女子生徒の声が聞こえた。
迅は振り返る。
「おはよう」
柔らかな笑顔。
誰も先ほどの顔を知らない。
湊はその背中を見送った。
あれが九条迅という男らしい。
それだけを覚えた。




