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ヴァルハイム・プロトコル ―神代湊は平穏に生きられない―  作者: かたろーしゅ
第一章 再び響く角笛

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2話 特務官2

 採決は十分も掛からなかった。


 既に結論は決まっていたからだ。


 反対意見はあった。


 処分派は不満を隠さず、活用派もより強い権限を求めた。


 だが天城恒一が提示した妥協案を覆せる者はいなかった。


 神代湊。


 内閣情報調査室附・特務官。


 それが国家の下した結論だった。


 会議終了後。


 立花エマは誰とも言葉を交わさず会議室を後にした。


 長い廊下を歩く。


 手には採決されたばかりの書類。


 だがその表情は晴れない。


 これが最善だった。


 それは理解している。


 天城恒一も出来る限り動いてくれた。


 処分派を抑え込み、活用派にも譲歩させた。


 普通ならあり得ない結論だ。


 それでも。


(こんなものが最善であってたまるか)


 思わず奥歯を噛み締める。


 神代湊は国家のために戦ったわけではない。


 誰かに命令されたわけでもない。


 ただ目の前の少女を助けるために動いただけだ。


 それなのに。


 待っていたのは勲章でも感謝状でもなく。


 管理だった。


 監視だった。


 利用価値の査定だった。


 エマは深く息を吐く。


 そして保護区画へ向かった。




 神代湊が収容されている部屋は簡素だった。


 ベッド。


 机。


 本棚。


 必要最低限の家具しかない。


 刑務所ではない。


 だが自由でもない。


 廊下には警備員が配置され、入退室は管理されている。


 保護という名の勾留。


 その現実を象徴するような空間だった。


 扉を開く。


「……エマさん」


 湊が顔を上げた。


 備え付けの椅子に腰掛け、本を読んでいたらしい。


 驚いた様子はない。


 不安そうな様子もない。


 いつも通りだった。


 それが逆に痛々しい。


 エマは無言のまま部屋へ入り、机へ書類を置いた。


「会議、終わったんですか」


「ああ」


 短く答える。


 湊は数秒考えた後、


「処分ですか」


 と尋ねた。


 まるで夕食の献立でも聞くような口調だった。


 エマは一瞬言葉を失う。


 普通なら怯える。


 普通なら不安になる。


 だが目の前の少年は違う。


 処分という言葉をあまりにも自然に口にする。


 それがどんな人生を歩いてきたのかを物語っていた。


「違う」


 エマは椅子を引いて向かいへ座る。


「お前の処遇は決まった」


「そうですか」


 相変わらず落ち着いている。


 エマは書類を開いた。


「本日付で神代湊を内閣情報調査室附・特務官とする」


 湊の視線が書類へ向く。


「特務官……」


「学籍は維持される」


 エマは説明を続ける。


「聖鳳学園への通学も継続」


「日常生活も原則維持」


「強制任務はない」


「ただし有事の際には協力要請を行う」


「監督責任者は私だ」


 一通り聞き終えた湊は小さく頷いた。


「なるほど」


 それだけだった。


 エマの眉が僅かに動く。


「それだけか」


「え?」


「それだけなのかと聞いている」


 湊は首を傾げた。


「何がですか」


 その返答に、エマの感情が少しだけ漏れる。


「怒らないのか」


「嫌じゃないのか」


「お前の人生だぞ」


 声が強くなる。


「勝手に決められたんだ」


「処分するだの」


「利用するだの」


「好き勝手言われて」


「その結果がこれだ」


 会議室で聞いた言葉が蘇る。


 危険物。


 戦力。


 兵器。


 誰一人として少年として見ていなかった。


「納得できるのか」


 しばらく沈黙が続いた。


 やがて湊は静かに答えた。


「でも」


 視線を落とす。


「元々そういうものですから」


 エマの表情が固まった。


「僕は」


 それ以上は続かなかった。


 だが十分だった。


 誰かに決められる人生。


 誰かに命令される人生。


 誰かに管理される人生。


 それが当たり前になっている。


 それがどれほど異常なのか。


 本人だけが分かっていない。


(違う)


(そうじゃない)


(お前はもう自由でいいんだ)


 言葉は喉まで出かかった。


 だが飲み込む。


 言えなかった。


 天城恒一ですら、ここまでが限界だった。


 これ以上は守れなかった。


 長い沈黙の後、エマは立ち上がる。


「今日中に帰宅しろ」


 湊も立ち上がった。


「了解しました」


「……了解じゃない」


「え?」


「普通は『はい』だ」


 湊が少し考える。


「善処します」


「そこも違う」


 思わずため息が漏れた。


 ほんの少しだけ。


 ほんの少しだけだが、部屋の空気が和らぐ。


 エマは扉へ向かう。


「明日から学校だ」


「遅刻するなよ」


「はい」


 今度は正しい返事だった。


 エマは小さく頷く。


 そして部屋を後にした。




 地下駐車場。


 夜風が吹いている。


 エマは愛車へ寄り掛かり、ポケットから煙草を取り出した。


 Lucky Strike。


 火を点ける。


 肺へ流れ込む苦い煙。


 吐き出した白煙が夜の闇へ溶けていく。


 スマートフォンを取り出し、一つの番号へ発信した。


 数回のコール。


 すぐに相手が出る。


『終わったか』


 低く落ち着いた声。


 天城恒一だった。


「はい」


『そうか』


 短い返事。


 だがそれだけで十分だった。


 エマは煙を吐き出す。


「ありがとうございました」


 数秒の沈黙。


 そして天城が答える。


『礼は要らん』


『私は美月の恩人を売るほど落ちぶれてはいない』


 思わず苦笑が漏れた。


「相変わらずですね」


『褒め言葉として受け取っておこう』


 だが次の瞬間、声色が変わる。


『ただし忘れるな』


『今回守れたのは一時的なものだ』


 エマの表情も引き締まる。


『活用派は諦めていない』


『処分派もな』


「……分かっています」


『あの少年は特殊すぎる』


『放っておいてくれるほど官僚組織は甘くない』


 事実だった。


 今日の会議で嫌というほど理解した。


『彼にはまだ学生でいてもらわなければ困る』


 天城が少し笑う。


『少なくとも娘が卒業するまではな』


 エマも思わず笑った。


「それを聞いたら美月さんが怒りますよ」


『知っている』


 即答だった。


 しばし穏やかな空気が流れる。


 そして天城が静かに言った。


『立花』


「はい」


『君も休め』


『全部一人で背負うな』


 エマは答えられなかった。


 数秒後。


「……善処します」


 電話の向こうで小さく笑う気配がした。


『そこは「はい」だ』


 通話が切れる。


 エマは思わず空を見上げた。


 どこまでも黒い夜空。


 煙草の火だけが赤く灯る。


「……普通に生きろ、湊」


 誰にも聞こえない独り言。


 その願いだけが夜の闇へ溶けていった。

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