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ヴァルハイム・プロトコル ―神代湊は平穏に生きられない―  作者: かたろーしゅ
第一章 再び響く角笛

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1話 エピローグ2

湾岸埠頭へ向かう車内で、小鳥遊ひまりは小さくため息をついた。


「ブラックなんですよねぇ……うちの職場」


 ぽつりと零す。


「入学式の日くらい定時で帰してくれてもいいと思うんですよねぇ……」


 返事はない。


 運転席。


 立花エマは無言だった。


 正確には返事をする余裕がない。


 機嫌が悪い。


 かなり悪い。


 怖い。


 とても怖い。


 ひまりはそれ以上何も言わなかった。


 車列は夜の湾岸地区を走る。


 窓の外には巨大な倉庫群。


 コンテナ。


 クレーン。


 工業地帯特有の無機質な景色。


 だが。


 妙に静かだった。


 嫌な静けさだった。


 やがて先頭車両が減速する。


「到着しました」


 無線越しの報告。


 車列が停止する。


 全員が降車を始める。


 夜風が吹き抜けた。


 ひまりも助手席から降りる。


 その瞬間だった。


「……あれ?」


 最初に違和感へ気付いた。


 道路脇。


 人が倒れている。


 一人ではない。


 二人。


 三人。


 さらに奥。


 また一人。


 また一人。


 懐中電灯の光が照らされる。


「生存確認!」


「呼吸あります!」


「脈拍正常!」


 隊員たちが次々と報告する。


 ひまりも近付く。


 男は意識を失っていた。


 呼吸はある。


 脈もある。


 だが戦闘は不可能だろう。


 顎が大きく腫れている。


 別の男は肩を脱臼していた。


 さらに別の男は首を押さえながら苦しそうに咳き込んでいる。


 銃創はない。


 一つも。


 それなのに全員が無力化されていた。


「えぇ……」


 思わず声が漏れる。


 さらに奥へ進む。


 コンテナの陰。


 倉庫の壁際。


 また発見。


 また発見。


 まるで誰かが順番に片付けていったようだった。


「何人います?」


 ひまりが尋ねる。


「現時点で十二名」


「全員生存」


「全員戦闘不能です」


 報告を聞いたひまりは乾いた笑みを浮かべた。


「笑えないですねぇ……」


 正直な感想だった。


 これだけの人数を。


 誰にも気付かれず。


 誰も殺さず。


 誰も警報を出させず。


 無力化している。


 普通ではない。


 少なくとも自分の知る常識ではない。


「ひまり」


 前方からエマの声。


 すでに二号倉庫へ向かっている。


「はいはい〜」


 慌てて後を追う。


 武装した隊員たちが続く。


 誰も冗談を言わない。


 誰も軽口を叩かない。


 緊張していた。


 二号倉庫。


 今回の事件の中心地。


 全員がそう理解している。


 大型扉が開く。


 そして。


 ひまりは言葉を失った。


 硝煙の匂い。


 血の匂い。


 破壊された木箱。


 倒れたラック。


 散乱した段ボール。


 壁に刻まれた無数の弾痕。


 激しい戦闘の痕跡。


 その中心に。


 男たちが倒れていた。


 至る所に。


 まるで戦場だった。


 肩を撃たれた者。


 脚を撃たれた者。


 腕を押さえて呻く者。


 気絶している者。


 誰も戦えない。


 だが。


 誰も死んでいない。


「……嘘でしょ」


 ひまりは思わず呟いた。


 隊員たちも絶句している。


 現場を見れば分かる。


 激戦だった。


 しかも相当な人数を相手にしている。


 それなのに死者はゼロ。


 必要最小限の損傷だけで制圧している。


 そんな芸当。


 普通の人間には不可能だった。


 そして。


 視線の先。


 神代湊。


 制服姿の少年が立っていた。


 血まみれでもない。


 息を切らしているわけでもない。


 ただ静かに立っている。


 まるで今まで起きたことなど特別なことではなかったかのように。


 ひまりは資料を思い出す。


 ヴァルハイム。


 ブリュンヒルデ。


 危険度評価S。


 特殊対応推奨。


 何度も読んだ報告書。


 だが。


 資料と現実は違うと思っていた。


 今までは。


「……本当に一人でやったんですか」


 誰に聞くでもなく呟く。


 返事はない。


 だが答えは現場そのものだった。


「ひまり」


 再びエマの声。


 振り向く。


 エマは天城美月を見ていた。


「天城さんをお願い」


「え?」


「早く」


 かなり苛立っている。


 間違いなく湊に対して。


「は、はい!」


 ひまりは慌てて駆け寄る。


 美月の前に膝をつく。


「大丈夫ですか〜?」


 できるだけ優しい声を出す。


 美月が驚いたように目を見開いた。


「先生……?」


「はい〜。小鳥遊先生ですよ〜」


「なんでここに……?」


 当然の疑問だった。


 学校の教師が夜の埠頭にいる。


 普通ではない。


 ひまりは困ったように笑う。


「大人には色々あるんですよ〜」


「……?」


「内緒です〜」


 全く説明になっていない。


 だがそれ以上は言えなかった。


 美月も追及はしない。


 代わりに視線を別の方向へ向ける。


 神代湊。


「神代くんって……」


 少し迷うような声。


「何者なんですか?」


 ひまりは固まった。


 難しい質問だった。


 機密だらけ。


 説明不能。


 しかも。


 自分自身もよく分かっていない。


「うーん……」


 頭を掻く。


「私も彼のこんな一面初めて見るので」


「え?」


「だから正直、よく分からないんです」


 本音だった。


 資料は知っている。


 経歴も知っている。


 だが神代湊という人間は知らない。


 その時だった。


「湊ォォォォォォォォッ!!!!!」


 倉庫中に怒声が響く。


 全員が振り向く。


 エマだった。


 ものすごく怒っていた。


 湊は完全に説教を受けている。


「お前は何を考えてる!!」


「すみません」


「すみませんじゃない!!」


「はい」


「はいじゃない!!」


 ひまりと美月は顔を見合わせる。


 数秒。


 沈黙。


 そして。


 思わず吹き出した。


「あはは……」


 ひまりが笑う。


 美月もつられて笑った。


 つい数分前まで。


 映画の主人公みたいに戦っていた少年。


 何十人もの相手を一人で制圧した少年。


 その本人が。


 今は保護者に本気で怒られている。


 あまりにもギャップが大きかった。


 緊張が解ける。


 恐怖も少しだけ薄れる。


 そして美月は思う。


 やっぱり。


 神代湊という少年のことが。


 まだ全然分からなかった。

立花エマ 車両イメージ

挿絵(By みてみん)



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