1話 エピローグ1
内閣情報調査室。
地下作戦指揮所。
時刻は夜。
壁一面を埋め尽くす大型モニターには、都内各所の情報が絶え間なく流れていた。
警察無線。
交通情報。
監視カメラ映像。
通信ログ。
SNS解析結果。
各種分析レポート。
司令室全体が慌ただしく動いている。
今日一日。
東京は異常だった。
爆破予告。
不審火。
通信障害。
匿名通報。
デモ騒ぎ。
交通障害。
一件一件は大した事件ではない。
だが発生件数が多すぎた。
場所も時間もバラバラ。
対応機関も違う。
警察。
公安。
消防。
自治体。
道路管理機関。
あらゆる組織が振り回されていた。
そしてようやく。
収束の兆しが見え始めていた。
「新宿方面、収束確認」
「通信障害復旧」
「湾岸地区異常なし」
報告が続く。
司令室の空気がわずかに緩む。
立花エマは椅子の背にもたれた。
長い金髪が肩を流れる。
煙草は吸っていない。
だが吸いたかった。
ひどく疲れている。
「やっと終わったか……」
小さく呟く。
だが。
違和感だけが残る。
投入された人員。
発生地点。
被害規模。
全てに対して成果が見えない。
まるで。
何か別の目的のために騒ぎだけを起こしたような。
そんな感覚だった。
(何かを見落としている)
エマは端末へ視線を落とした。
そこで。
着信履歴が目に入る。
神代湊。
不在着信三件。
時刻は夕方。
都内各所で発生した異常事案への対応に追われていた時間帯だった。
「……湊?」
エマの視線が止まる。
珍しい。
いや。
異常だった。
あの少年は必要以上に連絡をしてこない。
基本的に報告も要点だけ。
雑談のために電話を掛けてくるような性格ではない。
それが三件。
立て続けに残されている。
しかも全て同じ時間帯。
応答できなかった時間帯だった。
エマの眉が僅かに寄る。
(何があった)
理由が思い付かない。
だからこそ嫌な予感がした。
エマはすぐに折り返す。
コール音。
一回。
二回。
三回。
出ない。
もう一度。
出ない。
胸の奥に嫌な感覚が走る。
「ひまり」
少し低い声。
離れた席の小鳥遊ひまりが振り返る。
「はい〜?」
「湊の位置を出して」
「了解でーす」
軽い返事とは裏腹に、ひまりの指は高速でキーボードを叩く。
数秒。
位置情報が表示された。
そして。
ひまりの動きが止まる。
「……あれ?」
「どうした」
「これ変ですよ〜」
モニターに表示された座標。
湾岸埠頭。
倉庫街。
エマの表情が変わる。
「なんでそんな場所にいるの」
「わたしもそう思いまーす」
ひまりが移動履歴を展開する。
学校。
市街地。
首都高速。
湾岸埠頭。
そこで。
二人の視線が止まった。
「首都高……?」
夕方。
大規模事故が発生した時間帯。
「時間重ねますねー」
ひまりが複数のデータを並べる。
数秒後。
「一致しました」
司令室が静まり返る。
エマは即座に命じた。
「事故映像」
「確認中でーす」
道路監視カメラ。
ETC記録。
警察映像。
各種交通データ。
だが。
「……変ですね」
「何が?」
「映像が飛んでます」
ひまりの声から間延びした調子が消える。
「欠損?」
「はい。ピンポイントです」
司令室の空気が変わった。
偶然ではない。
誰かが消した。
そう考える方が自然だった。
「周辺洗える?」
「やります」
企業。
商業施設。
駐車場。
民間監視カメラ。
利用可能なネットワークを次々に辿る。
映像を回収。
解析。
照合。
数分後。
「出ました」
映像が表示される。
誰も声を出さない。
映っていたのは。
黒いWRXだった。
首都高速を走る。
いや。
追っている。
逃走する車列を。
一直線に。
執拗に。
エマは額を押さえた。
「あいつ……」
怒り。
心配。
頭痛。
全部同時だった。
だが。
まだ終わらない。
「もっと前」
映像を遡る。
学校周辺。
下校中の生徒たち。
送迎車両。
そして。
天城美月の姿が消える。
車両。
逃走経路。
首都高。
事故。
湾岸埠頭。
全てが一本の線で繋がる。
エマは立ち上がった。
「そういうことか……!」
司令室全員が振り向く。
初めて見えた。
今日一日発生した全ての騒動。
あれは本命ではない。
陽動。
揺動。
目眩ましだ。
本命は別にあった。
天城美月。
天城恒一の娘。
安全保障分野において極めて重要な存在の家族。
そして。
エマには思い当たる節があった。
これほど大規模な陽動工作を行う連中に。
だが。
まだ断定はできない。
証拠が足りない。
それでも。
急ぐには十分だった。
エマは再び電話を掛ける。
コール。
司令室の空気が張り詰める。
部下たちは戸惑っていた。
神代湊。
名前は知っている。
報告書でも見た。
ヴァルハイム生存者。
コードネーム《ブリュンヒルデ》。
危険度評価S。
最優先保護対象。
だがそれだけだ。
誰も実物を見たことがない。
半ば伝説のような存在だった。
だから分からない。
なぜ立花エマがここまで焦るのか。
その時だった。
通信が繋がる。
エマが立ち上がる。
そして。
「湊ォォォォォォォォッ!!!!!」
司令室中に怒声が響いた。
全員が固まる。
誰も動けない。
誰も見たことがなかった。
冷静沈着。
完璧主義。
感情を表に出さない立花エマ。
その人物が。
本気で怒鳴っている。
本気で焦っている。
通話終了後。
エマは携帯を握ったまま命じた。
「車を出して」
低い声。
だが誰も逆らえない。
「湾岸埠頭」
「今すぐ」
司令室が一斉に動き出す。
その背中を見ながら。
部下たちは初めて理解した。
報告書の中にしか存在しなかった神代湊という少年が。
立花エマにとって。
どれほど特別な存在なのかを。
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