第五十四話 凍風と警告と言い訳
身を伏せたロージーとリーナの上スレスレを通り過ぎた冷気の塊は、ふたりに襲い掛かろうとしていた男たちの身に容赦なく襲い掛かった。
「ひゃあっ?」
「うおあっ?」
「な、なんだっ?」
「冷てええぇっ!」
空気中の水分が細かな粒子状に凍りついた雹混じりの凍風に晒された男たちが、驚き混じりの悲鳴を上げながら思わず動きを止める。
「く……っ」
「う、動けねえ……」
ある者は得物を振り上げたまま、ある者は凄まじい冷気から顔を守るように手で遮ろうとしたままの格好で、文字通り凍りついて動けなくなった。
そのうちの何人かが、苦労して首を巡らし、凍風が吹いてきた方へ目を凝らす。
「な、何だ……一体……何が起こったんだ……?」
「あっ、すみませぇ~ん!」
混乱と緊迫に満ちた場の空気には全くそぐわない呑気極まる声が、身を凍りつかせたまま狼狽し当惑する男たちの耳に届いた。
見ると、暗闇の中でうっすらと白く輝く剣を右手に提げた長身の男が、ロージーたちを囲む輪の十エイムほど離れた所に立っている。
薄汚れたマントを羽織り、レンズの分厚い眼鏡をかけた青年は、竈の灰の色をしたボサボサ髪に覆われた頭を掻きながら、男たちに向けて締まりのない笑みを向けた。
「どうもこんばんはぁ。お取り込み中のところ失礼いたします~」
「な……」
身を凍りつかせるほどの風が吹き過ぎた事で混沌の坩堝と化している場の中で、思わず気が抜けそうな間延びした呑気な声で挨拶してきた青年に、男たちは思わず当惑の表情を浮かべる。
一方、
「あ……アッシュヴェルさんっ!」
腹ばいになったリーナの下から顔を出したロージーが、目を丸くしながら驚きの声を上げた。
そんな彼女を見た灰髪の青年――アッシュヴェルは、ニコリと笑いかける。
「やあ、ロージーさん。どうやら間に合ったようですね。特にケガなどもしてないようで何よりです」
「来るのが遅いわよ、ウォッチドッグ!」
ロージーが返事をするよりも早く、安堵の表情を浮かべるアッシュヴェルを鋭い声で責めたのは、身を起こしたリーナだった。
彼女の叱責に身を竦めたアッシュヴェルは、一転してしゅんとした顔になり、申し訳なさそうに頭を下げる。
「あ、すみません、リーナさん……。あなたが残してくれたメッセージに気付くのが遅れてしまって、来るのが遅くなっちゃいました……」
「あ、い、いや、ええと……」
アッシュヴェルから素直に謝られたリーナは、思わず気勢を削がれ、戸惑いを隠せぬ様子で目を瞬かせた。
そんな彼女に、ロージーが眉を吊り上げながら、大きく首を横に振る。
「リーナッ! せっかく来てくれたアッシュさんにそんな口を利くのはダメっ!」
「うっ……」
主に咎められたリーナは、バツ悪げに視線を彷徨わせ、おずおずとアッシュヴェルに向けて頭を下げた。
「そ、その……やっぱり、私の方こそごめんなさい……」
「あっ、いえいえ! リーナさんが謝る事じゃありませんって!」
リーナの謝罪に、アッシュヴェルはビックリした様子で、首と手を大きく横に振る。
……と、
「って……いきなり出てきて、俺たちの事をほったらかして和やかな雰囲気でお話しし始めてんじゃねえよ!」
「つーか、そもそも何者だ、この野郎ッ!」
「あぁ、はい」
剣呑な表情を浮かべた男たちから怒声で誰何された青年は、コクンと頷くと「僕はですねぇ……」と答えようとした。
と……その時、彼の首に嵌っている首輪が青白く輝き、無機質な合成音声を発する。
『――警告。監視人ナンバー009、アッシュヴェル・エヴァーピースが企図している行動は、【任務監視人倫理規約】第三条一項「監視対象ト任務ニ対スル過剰ナ介入及ビ干渉ヲ行ウベカラズ」に抵触する可能性が――』
「ちょ、ちょっと待って下さいよ、チョーカーさんッ!」
チョーカーからが上がった警告の声を、青年は慌てて制止した。
「今のは干渉したんじゃありませんよ!」
『否定。今の行動は、冒険者がおかれた状況に対する積極的な――』
「い、いえいえ! 違いますって!」
再び激しく否定したアッシュヴェルは、おもむろに背後へ振り返ると、持っていたアズマ・ソード“紅雪”を両手で握り、その刀身に自分の理力を注ぎ込む。
そして、「今のは――」と続けながら、理力を帯びて激しい冷気を放ち始めた“紅雪”を横薙ぎに振り払った。
「――食後の運動代わりにこうやって素振りしただけです! そうしたら、たまたま振った方向にロージーさんたちとふたりを囲む不審者の皆さんがいらっしゃったってだけでして……」
『……疑義。今のアッシュヴェル・エヴァーピースによる釈明には、大いに疑問の余地があるものと認定され――』
「まあまあ、その話はまた後で」
異議を唱えようとするチョーカーを適当にあしらったアッシュヴェルは、彼が放った“素振り”で発生した凍風を浴びて凍りついた木々に背を向け、男たちの輪の真ん中で目を丸くしているロージーたちに向けて微笑みかけながら手招きをする。
「……とにかく、ロージーさん、リーナさん。早く街へ戻りましょう」
「あ……は、はい」
「え、ええ……」
呆気にとられていたふたりは、アッシュヴェルの声で我に返り、ぎこちなく頷きながら立ち上がった。
……と、
「ちょ! ちょっと待てやテメエらっ!」
強引に身を動かし、体の表面にこびりついていた氷片を砕き散らしながら、男たちがふたりとアッシュヴェルの間を遮るように立ちはだかる。
「『街へ戻りましょう』って言われて、はいそうですかとオレたちが応じると思うかッ?」
「こっちは高い報酬がかかってるんだ! 女を返す訳もテメエらを帰す訳もねえだろバーカ! 特に、テメエには正義の味方ヅラして割り込んできた事をたっぷりと後悔させてやるよ!」
「やれやれ……まあ、そうなりますよねぇ」
自分に得物を向けながら、口々に汚い罵声や恫喝を浴びせる男たちの顔を見て小さく嘆息したアッシュヴェルは、静かに“紅雪”を握り直し、呟くように言った。
「でしたら……少々強引な手を使ってでも、おふたりを返してもらうしかないですねぇ」




