第五十二話 狼面男と冒険者崩れと冒険者少女
――そして、話は夜闇にとっぷりと包まれた街道へと戻る。
「きゃ……っ!」
咄嗟に張った水の障壁を細剣による鋭い刺突で容易く破られたロージーは、体勢を崩して街道の石畳の上に尻餅をついた。
「ほら、のんびりへたり込んでいる場合ではないぞ」
「……くッ!」
冷めた声と共に自分目がけて繰り出された細剣の切っ先を、ロージーは石畳の上を転がるようにして辛うじて避ける。
そして、身を起こすと同時に魔法杖の石突で地面を強く叩いた。
「水の精! 相寄せ合いて 巨きなる 蛟竜となりて 天へと昇れッ!」
彼女が詠唱した直後、地鳴りのような低い音と細かな振動が起こり、それと共に狼面の男が立つ地面に無数のヒビ割れが生じる。
次の瞬間、地面を割って巨大な水柱が噴き上がり、狼面の男の姿を飲み込んだ。
「……やった!」
それまで全ての攻撃がかすりもしなかった狼面の男に、今の自分が出せる最大の攻撃が命中した事を確信したロージーは、魔法杖を地面に突き立てた格好のまま快哉を上げる。
――が、
「……何をやったというのかな?」
「え……っ!」
唐突に背後からかけられた冷めた声に、自分の確信が勘違いだった事に気付いたロージーだったが、振り返るよりも先に前方へと吹っ飛ばされた。
「きゃ……あっ!」
常人には知覚できない速さで水柱を回避してロージーの背後へ回り込んだ狼面の男は、彼女の背中を突き飛ばした掌を返しながら、冷ややかな視線を向ける。
「術が決まったと勝手に判断して、すぐに警戒を解くからそうなる。耳学問だけで本当の戦いというものを知らない者が陥りがちなミスだ」
「く……っ」
片膝をついた体勢でで首だけ巡らせながら、狼面の男を睨みつけるロージー。その表情は悔しさに満ちていたものの、戦意を喪失している様子は微塵も無い。
そんな彼女の顔を見た狼面の男は、仮面の奥で目を不満げに眇める。
「……まだ分からんのか」
「え……?」
「そんな程度では、この先冒険者を続けてもロクな事にならん。もう冒険者になろうとするのはやめて、おとなしくお前の本来の場所に戻って、荒事とは無縁な、“女”としての幸せを掴め」
「なんで……見ず知らずのアナタなんかに、そんなことを言われなきゃいけないのっ!」
忠告めいた男の言葉に激しい反発を覚えた彼女は、声を激しく荒げながら、彼に向けて魔法杖の先端を向けた。
次の瞬間、無詠唱で創造された水流弾が狼面の男目がけて放たれる。
――だが、
「無駄だ」
短く呟いた男が、手にした細剣を目にも止まらぬ速さで振った直後、水流弾が無数の細かい水飛沫と化して弾け飛んだ。
「――ッ!」
「何度も言わせるな」
仄かに白く輝く刀身に付いた水滴をマントで軽く拭いながら、自身の水流弾を無数の斬撃で斬り刻まれて愕然とするロージーに狼面の男が冷ややかに言う。
「いかに王立魔法学院を首席で卒業したといっても、お前の実力など、この程度だ。私にすら及ばないようでは、この先冒険者として生きていくのは至難の業だぞ」
「い、いやぁ……」
ロージーに向けた狼面の言葉におずおずと声を上げたのは、先ほど彼女の水流弾の直撃を食らってノックダウンしていたスキンヘッドの男だった。
禿頭から滴り落ちる雫を拭いながら、彼は顔を引き攣らせながら狼面の男に言う。
「ぶっちゃけ、旦那みてえな強い奴は、冒険者の中でもほとんどいねえぞ。正直、あの嬢ちゃんくらいの実力があれば、冒険者として十分以上に食っていけ――」
「余計な事を喋るな」
ひと睨みでスキンヘッド男を黙らせた狼面の男は、細剣を腰の鞘に納めながら短く命じた。
「……あとはお前たちに任せる。あやつの冒険者を志す心を完全に折ってやれ」
「え? で、でも……」
「私との戦いで、既にあやつは理力をほとんど使い切っている。冒険者の成れの果てどもでも、さすがに理力切れの小娘に負けるほど弱くはなかろう?」
そう言って、狼面の奥で皮肉げに口元を歪めた男は、「だが……」と続ける。
「分かっていると思うが、くれぐれも、体の方に大きな目立つ傷は付けるなよ」
「も、もちろん、分かっておりまさあ……」
内心で(無茶言いやがって…)と不平を漏らしつつも、愛想笑いを浮かべて頷いたスキンヘッドの男は、周囲の仲間たちに向かって呼びかけた。
「き、聞いた通りだ、野郎ども! この世間知らずのお嬢ちゃんに、冒険者の世界の厳しさってやつを嫌というほど刷り込んでやれ!」
「「「「っ!」」」」
スキンヘッド男の檄に、仲間の男たちは互いの顔を見合わせ、次いで彼らの輪の中心にいるロージーへと視線を向ける。
そして、すっかり疲労困憊といった様子で肩を上下させている彼女の姿を見て、一様に下卑た薄笑みを浮かべた。
彼らは、各々の得物を握り直すと、
「「「「おおお――ッ!」」」」
まるで獣のように獰猛な雄叫びを上げながら、へたり込むロージーの元へと殺到する。
一斉に包囲の輪を狭めてきた男たちを見たロージーは、恐怖を隠し切れない様子で顔を引き攣らせながら、それでも気丈に口元を結び、魔法杖を構えた。
「ち……地下潜む 水の精ども 跳ね起きよ! 土を破りて 逆滝と……化せっ!」
微かに震える声で詠唱した……が、
「うっ……も、もう理力が……」
杖の先の魔晶石が、まるで瞬きするかのように弱々しく点滅した末に消えてしまったのを見て、彼女は思わず絶望の声を漏らす。
「や、やめて……来ないで……よ」
声を震わせながら、もはや役立たずの棒と化した魔法杖を力無く振り回すロージーだったが、
「ひゃはははっ! さっきまでの威勢はどうしたぁ?」
「やめてと言われてやめる奴いるぅ? いねえよなぁ!」
「イヤよイヤよも好きのうちって言うんだぜぇ!」
野卑な男たちがそんな弱々しい反抗にたじろぐはずも無く、下品な笑い声を上げながら彼女の体に手を伸ばそうとした。
「……っ!」
ロージーは、小さく身を縮こまらせ、ぎゅっと目を固く瞑る。
――と、その時、
「――ぎゃあっ!」
「うごっ!」
「ぐふぁっ!」
男たちの何人かが、カエルの潰れたような声を上げて次々と倒れた。
「え……っ?」
異常に気付いたロージーが、恐る恐る目を開ける。
――彼女の視界に入ったのは、両手に巨大な鈎爪を装着した、見慣れたメイド服の背中。
「――もうだいじょうぶです、お嬢様! どうぞご安心下さいまし!」
「り……リーナぁ……っ!」




