第五十一話 落とし物と落とし主とメッセージ
一方、その頃――。
「……ふう」
宿の自室で、日課であるアズマ・ソードの手入れを終えたアッシュヴェルは、口にくわえていた懐紙を取りながら小さく息を吐いた。
「これでよし……と」
そう満足げに呟いた彼は、部屋の灯りを反射して冷たい光を放つ“紅雪”を黒塗りの鞘に納め、床から立ち上がる。
……と、その時、彼の腹の辺りから猫のイビキのような間の抜けた音が鳴る。
「う……さすがに、夕飯がパン一切れじゃ足りませんでしたね……」
とぼやいて切ない顔をしたアッシュヴェルは、それまでラグ代わりに床に敷いていたマントを肩にかけた。
「しょうがないですね……ちょっと外に出て、軽く何か食べてきますか……」
そう独り言ちながら、彼は隠しから自分の財布を取り出し、中身を確認する。
「う、うん……まあ、肉串一本くらいなら何とか……」
今の自分の胃と同じくらいに寂しかった財布の中身に、思わず顔を引き攣らせるアッシュヴェル。
そんな自分を急かすように容赦なく鳴る腹を辟易顔で擦りながら、彼は部屋のドアノブに手をかける。
……と、
「……おや?」
ドアの前に何か白いものが落ちている事に気付いたアッシュヴェルは、訝しげな声を上げた。
「紙……ですね。僕のものではないようですが……」
首を傾げながら身を屈めた彼は、床の上の紙を拾う。
四つに折り畳まれた紙は、一般に普及している目の粗い雑紙や、ましてや羊皮紙などではなく、きめ細かい絹生地のような白さと手触りをした上質紙だった。本来なら、上流階級にある者にしか使われない紙であり、こんな安宿の部屋の床に落ちているようなものではない。
だが、
「……あぁ、なるほど」
アッシュヴェルは、すぐに合点がいった様子で頷く。
「恐らく、ロージーさんの落とし物ですね」
れっきとした伯爵令嬢であるロージーなら、高級な紙をメモ代わりにして持ち歩いていても何ら不自然ではない。
そう考えながら、手の平の上に乗せた純白の紙に何気なく目を落とすと、
「……ん?」
ふと違和感を覚えた。
折り畳まれた紙の外側に、黒いインクで何かが書かれていたからだ。
訝しげに眉を寄せたアッシュヴェルは、紙を持って照明の元に行き、書かれているのが何なのかを確かめる。
――書かれていたのは、短い言葉だった。
「……『監視人 見て』……?」
殴り書きされた文字を口に出して読んだアッシュヴェルは、更に訝しげな顔をして、手の平に乗せた紙をしげしげと見つめる。
「……中を見ろと? 僕に宛てたメッセージなんでしょうが……でも、なんで……?」
読んでほしいのなら、直接そう言えばいいのに、こんな回りくどい事をする意味が良く分からない。
……だが、
「……」
妙な胸騒ぎを覚えながら、アッシュヴェルは折り畳まれた紙の端を指で摘まむ。
見ろと書かれているものの、女性の落とした物を勝手に見てしまってもいいものか一瞬躊躇したものの、胸に湧いた興味と不安には抗えず、彼は恐る恐る畳まれた紙を開いた。
「これは――なんでしょうか……?」
開いた紙に目を落としたアッシュヴェルの口から、当惑混じりの声が漏れる。
紙に書かれていたのは、カーブしたり互いに交わったりしている数本の線と、その横に添えられたいくつかの単語だった。
単語のひとつが「エイックス」である事から見て、恐らくこれはこの街周辺の地図だろう。
「……つまり、この『エイックス』という文字から上に蛇行しながら伸びている線は、道を表しているという事ですか」
そう呟きながら、アッシュヴェルは線をなぞって指を動かし――その途中に書かれた大きなバツ印に目を止めた。
「多分……このバツ印が付いている場所が、目的地という事ですね……」
小さく頷いたアッシュヴェルは、次に“地図”の横に記されたいくつかの単語と文章に注目する。
「……『九時』……『枯れ杉の三叉路にて』……『必ずローズマリーのみを連れてくる事』……『抵抗も邪魔もするな』……ですか」
メモにしては妙に整った筆運びで書かれた文字を順番に読み上げたアッシュヴェルは、表情を曇らせながら小さく頷いた。
「なるほど……これは、ロージーさんの落とし物では無いようですね。つまり――」
この部屋を訪れたもうひとりが落とした――いや、
「リーナさんが、僕に自分の置かれた状況を伝える為に、わざと残していったんでしょうね……」
紙を裏返し、殴り書きされた『見て』の文字を見つめながら、アッシュヴェルは呟いた。
「……何者かにロージーさんをこのバツ印の場所まで連れてくるように命じられたけど、何らかの理由で逆らう事が出来ないから、僕に……」
――『助けて』――
紙に書いてある文字が、彼にはそう読めた。
……そして、恐らくそれは間違ってはいない。
「……」
肩に軽くかけたままだったマントを無言で羽織り直したアッシュヴェルは、粗末なベッドの上に置きっぱなしにしていた“紅雪”を手に取り、腰のベルトに差した。
そして、持っていた紙を畳み直して大事そうに懐にしまうと、眼鏡のブリッジを指で押し上げながらドアを開ける。
「……すぐに参りますよ、リーナさん、ロージーさん」
後ろ手にドアを閉めながらそう呟いたアッシュヴェルは、キリッと表情を引き締めると、マントの裾を大きく翻し、地図に記された場所へ向けて駆け出した――!
「――おいコラァッ! 廊下を走るんじゃねえ! ウチは古い建物なんだ! そんな風にドタドタ走ったら床が抜けちまうだろうがぁっ!」
「あっ……す、すみませぇん……」




