第四十六話 来室と外出と申し出
「大丈夫ですかねぇ、あのふたりは……」
がたつく粗末な木椅子に座って、テーブルの上の黒パンを手に取りながら、アッシュヴェルは心配そうに呟いた。
ここは、彼が泊まっている部屋の中である。
当然ながら、クエスト監視対象であり、女性でもあるロージーたちといっしょの部屋に泊まる訳にはいかないので、彼は自分で宿の部屋を取っていた。
もちろん、宿泊代の領収書を提出すれば、必要経費として冒険者ギルドから支給されるが、だからといって贅沢は許されない。
ギルド長のエカチェリーテはともかく、経理担当のお局がとにかく細かくて、「無駄な出費」と判断されたら支給額を減らされてしまうからだ。
だから、この街に来てから彼が滞在している部屋は、この宿の中で一番安い。
ミシミシと嫌な音を立てる木椅子に座りながら、アッシュヴェルは染みだらけの天井を見上げた。
「ちゃんと仲直りできていればいいですけど……」
二階には、ロージーとリーナが泊まっている部屋がある。
――あの後、女性が泊まる部屋にいつまでも居るのは憚られて早々に退散したアッシュヴェルだったが、どうにも気がかりだ。
……特に、
「……僕と別れた後に何かあったんでしょうか、リーナさん。あの落ち込みっぷりは、ロージーさんとケンカしたからだけなようには……」
そう独り言ちながら、今日の夕食である固い黒パンの端を千切り取る。
「……これを食べた後に、ちょっと部屋にお邪魔して、それとなく聴いてみる事にしますか」
そう言って小さく頷いたアッシュヴェルは、コップの水に浸した黒パンの切れ端を頬張った。
ほとんど味のしないふやけた黒パンをもしゃもしゃと咀嚼してから飲み込み、もう一口食べようと手を伸ばす。
その時――、控えめなノックの音が鳴った。
皿の上の黒パンに伸ばしかけた手を止めたアッシュヴェルは、ドアの向こうに向けて声をかける。
「あ……はい。どなたですか?」
『ロージーです。今大丈夫ですか?』
「ロージーさん?」
返ってきた答えに一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたアッシュヴェルだったが、すぐに答える。
「あ、はい、大丈夫ですよ。鍵は開いてますので、どうぞ入って下さい」
『はい。じゃあ……失礼します』
彼女の声の後に、立て付けの悪い木の扉が、ギイという軋み音を立てながら開いた。
部屋の中に入ってきたのは、膨らんだ手提げ袋を持ったロージーと……リーナである。
どことなく明るいロージーの顔と、彼女の少し後ろに控えるリーナの無表情を順番に見比べながら、アッシュヴェルはおずおずと声をかけた。
「ええと……仲直りの方は……」
「はい!」
彼の問いかけに、ロージーは顔を綻ばせながら大きく頷く。
「ご心配をおかけしました。あの後、ちゃんとリーナとお話しして、仲直りできました!」
「そうですか……」
ロージーの答えを聞いたアッシュヴェルは、リーナの顔をチラリと見てから、柔らかな笑みを浮かべてみせた。
「それは何よりです。……それを教えてくれる為にここへ?」
「あ、いえ。確かにそれもあるんですけど……」
アッシュヴェルの問いかけにそう答えたロージーは、はにかみ笑いを浮かべながら持っている手提げ袋を指さす。
「今からちょっとリーナと出かけてくるので、アッシュさんが心配しないように知らせとこうと思いまして」
「出かけてくる……?」
ロージーの言葉を聞いたアッシュヴェルは、訝しげな声を上げた。
「もう夜ですけど……どちらまで?」
「……この街を出て少ししたところに、温泉が湧いているそうで」
アッシュヴェルの問いに淡々とした口調で答えたのは、リーナである。
「なんでも、絹みたいな美肌になれるって評判らしくて……」
「だから、リーナといっしょに行ってこようと思って!」
リーナに続いて、ロージーが弾んだ声で言った。
「ああ、なるほど。そういう事ですか」
ウキウキしているロージーの顔に、アッシュヴェルは思わず微笑んだが、すぐに心配そうに眉を顰める。
「でも……こんな夜に女性ふたりだけでお出かけになるのは、さすがに……」
そう言った彼は、おもむろに立ち上がった。
「でしたら、僕もいっしょに……」
「あっ、「それはダメ!」ですっ!」
「ふぇっ?」
ふたりから思いのほか強く拒否されたアッシュヴェルは、ビックリして目を丸くする。
「そ、そんなに僕といっしょはお嫌なんですか……」
「あ、い、いえ! そうじゃなくって……」
シュンとするアッシュヴェルを見て、ロージーが慌ててかぶりを振った。
「アッシュさんといっしょなのが嫌なんじゃなくって……」
「……じゃあ、なぜです?」
「実は……その温泉は一種の聖地になっていて、男子禁制らしいんです」
「あ、なるほど……そういう感じですか……」
申し訳なさそうに言うロージーの説明を聞いて、アッシュヴェルは納得半分という顔で頷く。
「男子禁制の地という事でしたら、僕は遠慮した方がいいですね。……でも、でしたら途中までボディーガードを――」
「だ、ダメよ!」
アッシュヴェルの声を鋭い叫びで遮ったのは、リーナだった。
彼女は、険しい目でアッシュヴェルを見つめながら、キツい口調でまくし立てる。
「そんな事言って、私たちを送った後にこっそり後をつけて覗く気でしょ!」
「い、いやいや! そんな事しませんって!」
リーナの決めつけに、アッシュヴェルは大きくかぶりを振って必死に否定した。
「そ、そうだよ、リーナ!」
ロージーも、血相を変えてリーナを窘める。
「アッシュさんは絶対にそんな事しないよ!」
「ろ、ロージーさん……!」
「この人はドジだから覗きなんてできっこないし、そもそもそんな事ができる度胸なんて無いと思うよ!」
「ろ、ロージーさん……?」
「あ、ごめんなさい……」
顔を引き攣らせながら涙目で自分を見るアッシュヴェルに気付いたロージーは、慌てて彼に謝った。
……と、
「……お嬢様は、私の言葉よりその男の事を信じるんですね……」
「え……? あっ……!」
か細い声に気付いて振り返ったロージーは、暗い顔で俯くリーナを見て、ハッとする。
「ち、違うのリーナ! い、今のは決してあなたの言う事を信用してない訳じゃなくって……」
「……」
「……っごめんなさい、アッシュさん!」
無言のままのリーナへ気遣うような目を向けてから、ロージーはアッシュヴェルに向けて深々と頭を下げた。
「やっぱり、温泉へはふたりで行ってきますからだいじょうぶです!」
「あ……あぁ、はい……」
ロージーの言葉を聞いたアッシュヴェルは、気圧された様子でコクコクと頷く。
「分かりました……」
俯いたままのリーナの姿をチラリと見てから、アッシュヴェルは心配そうな顔でロージーに言った。
「その……くれぐれも気を付けて下さいね、ふたりとも……」




