第四十五話 躊躇と謝罪と反応
――それからすぐに、『一刻も早くリーナに謝りたい』と、急いで宿泊している宿への帰路についたロージー……だったが、
「うぅ……どうしよう……」
宿が近づくにつれ、その足取りは鉛のように重くなった。
「謝るっていっても、一体なんて言おう……っていうか、もしリーナがカンカンに怒ってて、許してくれなかったらどうしよう……」
「まあまあ、ロージーさん」
青ざめた顔でブツブツ呟いている彼女に、苦笑いを浮かべながらアッシュが声をかける。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。ロージーさんが思ってる事を誠心誠意伝えれば、きっとリーナさんにも伝わりますって」
「は、はい……」
アッシュヴェルの言葉に一旦は納得と安堵が入り混じった様子でコクンと頷き、歩くスピードを速めるロージーだったが、すぐに元の不安げな表情に戻り、「……でもぉ」と漏らしながらスピードダウンする――そんな事を、宿へ向かう道のりでもう十数回も繰り返していた。
おかげで、もう日はとっくに西の空へと沈み、街には夜の帳がとっぷりと下りている。
「……はいはい! こんな所で考えこんじゃっても仕方ないですから、まずは宿に帰りましょう!」
いつまでも煮え切らないロージーにさすがに業を煮やしたアッシュヴェルが、足を止めた彼女の背中を押して、あと十数エイムまで迫った宿へと向かわせた。
「『案ずるより産むが易し』と言いますしね。難しく考えずにフィーリングで弁解しつつ全身全霊で謝れば、案外と何とかなるもんですよ。仕事でヘマする度に、僕はそうやって何度もエカさんの説教を切り抜けてきました」
「あの……それ、あんまり誇らしげに言うような事じゃないような気がするんですけど……」
背中を押されてしぶしぶ歩を進めながら、ロージーが呆れ混じりの声でアッシュヴェルにツッコむ。
そんな事を言っているうちに、ふたりは遂に宿屋の正面玄関まで辿り着いた。
「おや、お帰りなさいませ。今日は随分とお帰りが遅かったようで」
ちょうど宿の外で入り口を照らす灯りを点けていた宿の主人が、にこやかな笑みを浮かべながら二人に声をかける。
「おふたりで観光でもなさってたんですか?」
「あ、え、ええ……」
主人の問いかけに少し躊躇いながら、ロージーがぎこちなく頷いた。
「まあ……そんなところです」
さすがに『リーナとの口論で癇癪を起こしてひとりで街外れの方まで行った挙句、アッシュヴェルに説得されるまで戻るのをゴネていた』という本当の事を言うのは憚られ、彼女は曖昧に答える。
そんな彼女の答えに何か違和感を覚えたのか、主人は一瞬怪訝な表情を浮かべた……が、彼女の背後にいるアッシュヴェルの姿に気付くと、何かを察した様子で目を見開いた。
「ほほう……なるほど、そういう事ですかぁ」
そう、勝手に納得した様子でうんうんと頷いた主人は、“ニチャア”という擬音が聴こえてきそうな下世話な笑みを浮かべ、声を潜めてふたりに言う。
「要するに……ゆうべ……もとい、『昼間はお楽しみでしたね』って事ですか……うひひ」
「……はい?」
「ファッ? ち、違いますよッ!」
したり顔でゲスな笑い声を漏らしながらの主人の一言に、意味が分からずキョトンとした表情を浮かべるロージーと、彼女とは対照的に顔を真っ青にしながら慌てて叫ぶアッシュヴェル。
「ご、ご主人っ! 勝手にとんでもない想像をしないで下さいっ! ぼ、僕とロージーさんは、決してあなたが思っているような関係ではなくてですね……」
「はっはっは、そうご心配なされますな。この宿を開いて三十余年のワシをお信じ下され。あくまでおふたりはタダの旅仲間……そういう事にしておきますから」
「いや、『そういう事にしておく』じゃなくって、ホントに僕とロージーさんの間には何にも無いんですってばぁっ!」
いかにも訳知りげな顔でとんでもない誤解をしている主人に、アッシュヴェルは千切れんばかりに首を左右に振りながら必死で無実を訴える。
……と、
「ええと、主人さん……」
満面の笑顔でアッシュヴェルの必死の釈明を話半分に聞き流している主人に、ロージーがおずおずと話しかけた。
「その……リーナは、もう帰ってきてますか?」
「リーナ……ああ、あのメイドさんですか」
ロージーの問いかけに、主人はすぐにコクンと頷く。
「ええ。あのメイドさんなら、あなたたちが帰ってくる十分ほど前にお帰りになられましたよ」
「え、十分前……ですか?」
主人の答えを聞いて意外そうな声を上げたのは、アッシュヴェルだった。
「てっきり、夕方前には戻っているとばかり……」
「もう帰ってるんですねっ!」
訝しげに首を傾げるアッシュヴェルとは対照的に、ぱあっと顔を輝かせたロージーが、主人へのお礼の言葉もそこそこに宿屋の中に飛び込んだ。
一段飛ばしで階段を駆け上がり、突き当たりにある客室の扉を勢いよく開ける。
「リーナッ! いるのッ?」
「あっ……」
客室の粗末なソファにうつむきがちに座っていたリーナは、ロージーの声にハッとした様子で顔を上げた。
「お、お嬢様……」
「リーナ、さっきはごめんなさいっ!」
目を大きく見開いて自分を見るリーナの腕に縋りついたロージーは、上ずった声で謝る。
そんな彼女の顔をどこか虚ろな目で見上げながら、リーナは当惑混じりの声で訊き返した。
「あの……なんでお嬢様が私にお謝りになるのですか……?」
「なんでって……」
妙に感情の見えないリーナの反応に少し戸惑いながら、ロージーは答える。
「お昼にあたし……リーナの立場も考えずにひどいことを言っちゃったでしょ。『あたしのことを伯爵の娘としてしか見てくれてない』って……」
「あぁ……」
「でも……アッシュさんと話をしたら、リーナはああ言うしか無かったって分かって……。だから、言い過ぎたって反省したの。本当にごめんなさい……」
「……いえ」
深々と頭を下げるロージーに、リーナは力なく微笑みながら小さくかぶりを振った。
「お嬢様がお謝りになる事はございません。むしろ……」
そこまで言ったところで口を噤んだリーナは、床に膝をつき、深々と頭を垂れる。
「謝るのは私の方……。お嬢様をそこまで煩わせてしまって……本当に至らない女で、申し訳ございません……」
「えっ?」
顔を伏せたまま、微かに震える声で謝罪の言葉を紡ぐリーナを前に、ロージーは激しく狼狽した。
「り、リーナが謝るのはおかしいよ? ねえ、もう立って。もう、あたしにそんな事しないでいいから……」
そう言いながら、平伏するリーナを慌てて立たせようとするロージー。
そんなふたりをドアの前で見ていたアッシュヴェルも、心配そうに眉を顰めた。
「……どうしたんでしょうか、リーナさん……」




