第四十四話 間違いと建前と本心
「え……っ?」
思いもかけない言葉がアッシュヴェルの口から出た事に驚いたロージーは、思わず目を見開いて、戸惑い混じりの声を漏らした。
「あ、あたしが間違ってた……?」
「ええ、はい。……あ、いや!」
呆然と訊き返したロージーに頷きかけたところで、彼女が今にも泣き出しそうになったのを見たアッシュヴェルは、慌てて首を横に振る。
「ま、間違っているのはそうなんですが……べ、別にロージーさんが悪かったって訳じゃないですから! あなたが責任を感じる事じゃないです!」
「え……そうなんですか?」
彼の言葉を聞いて少しホッとした顔をしたロージーだったが、すぐに怪訝そうに首を傾げた。
そんな彼女に優しく笑いかけたアッシュヴェルは、「つまりですね……」と続ける。
「僕が『間違ってる』と言ったのは、『リーナさんがロージーさんの事をノイテンバイン伯爵の娘としか見てくれていない』ってところです」
「……でも……」
言い淀んだロージーは、沈んだ表情で俯いた。
「実際……リーナは、あたしに対して“使用人”という立場からしか接してくれてないじゃないですか……」
「それは当然ですよ」
「……え?」
自分のネガティブなぼやきがあっさりと肯定された事に驚いたロージーが顔を上げると、アッシュヴェルが苦笑しながら言葉を継ぐ。
「だって、リーナさんはノイテンバイン伯爵家に雇われているメイドさんなんですから。雇い主の御令嬢相手に、そんなフランクに接する事なんて出来ませんよ。職務上ね」
「そ、それは確かにそうかもしれませんけど……」
アッシュヴェルの言葉に頷きつつも、納得は出来ていないような顔をするロージー。
それを見た彼は、おもむろに自分を指さした。
「僕も同じですよ」
「えっ……?」
彼の言葉の意味を測りかねたロージーは、キョトンとした顔でアッシュヴェルを見る。
「あ、アッシュさんもリーナと同じ……?」
「ええ」
彼女の問いかけに、アッシュヴェルは小さく頷いた。
「今の僕も、あくまで“クエスト監視人”という立場で“冒険者”のロージーさんと接しています」
「あ……」
「リーナさんも僕も、各々に宛がわれた立場を越える事は許されていません。まあ、僕は……ちょくちょく“クエスト監視人”という分を越えてしまって、すぐにこのチョーカーさんに手痛い“お仕置き”をされちゃいますけどね……」
以前に食らった“お仕置き”の痛みを思い出したらしく、首元をこわごわと擦りながら、アッシュヴェルは「多分……」と続ける。
「リーナさんも、僕と同じ……いや、しょっちゅうチョーカーさんからお仕置きされちゃう僕なんかよりずっと真面目に『メイド』というお仕事を頑張ってらっしゃるんだと思います。だからこそ……自分の分をきちんと弁えて、“使用人”としてロージーさんと接してしまう……接するしかないんでしょう」
「……で、でもっ!」
内心ではアッシュヴェルの言葉に納得しかけたロージーだったが、それでも抗うように激しくかぶりを振った。
「あたしが……リーナの……あんまり言いたくないけど、雇い主のあたし自身がいいって言ってるんだから、そんな分なんて弁える必要なんて無いのに……!」
「そういう訳にはいきませんよ」
ロージーの主張に少し困ったような顔をしながら、アッシュヴェルは小さく首を左右に振る。
「だって……厳密に言うと、ロージーさんは雇い主本人じゃありませんから」
「……っ」
アッシュヴェルの答えに、ロージーはハッとした。
「……お父様……」
「そうです」
ぼそりと彼女が呟いた言葉に、アッシュヴェルは小さく頷く。
「リーナさんをメイドとして雇っているのは、あくまでもあなたのお父上であるノイテンバイン伯爵です。いくらあなたがフランクに接して良いと言っても、雇い主である伯爵の許可も無くそんな事はできませんよ」
「……そっか」
アッシュヴェルの説明に今度こそ納得したロージーは、力無く肩を落とした。
「確かに……アッシュさんのおっしゃる通りですね」
「ロージーさん……」
「じゃあ……やっぱり、リーナにとってのあたしは、いつまで経ってもただの“ノイテンバイン伯爵の娘”のまんまってことなんで――」
「ですから、その考えが間違っているんです」
「…………えっ?」
ポカンと口を開けたロージーは、彼の言葉の意味を測りかねた様子で目をパチクリさせる。
そんな彼女に優しい眼差しを向けながら、アッシュヴェルは言葉を継いだ。
「リーナさんが、あなたの事を『タダの雇い主のお嬢様』だなんて思ってる訳が無いじゃないですか」
「え……で、でも……さっき、アッシュさんは……」
「あぁ……確かに言いましたね」
ロージーの問いかけに、アッシュヴェルはあっさりと答える。
「あれは、タダの建前です」
「た……タテマエ?」
「ええ」
思わず声を裏返すロージーに苦笑しながら、アッシュヴェルは頷き、「安心して下さい」と続けた。
「心配しなくても、彼女はあなたとの関係をそんなドライなものだなんてこれっぽっちも思ってません。……むしろ、目に入れても痛くないくらいに大好きですよ、絶対」
「ふぇ、ふぇっ?」
アッシュヴェルの答えを聞いたロージーの顔が、リンゴのように真っ赤になる。
「そ、そんなに……?」
「そんなに、です」
半信半疑な様子のロージーに力強く頷いたアッシュヴェルは、辟易した表情を浮かべた。
「でなきゃ……僕がロージーさんに無調法を仕出かす度に、あんな殺気の籠もった攻撃を仕掛けてはこないですよ……」
「あ、ははは……」
アッシュヴェルの弱り顔に、ロージーが思わず吹き出す。
やっと笑顔を見せた彼女に、自分もつられるように笑みを浮かべたアッシュヴェルは、「ですから……」と言葉を継ぐ。
「安心して下さい、ロージーさん。あなたがリーナさんの事を想うのと同じくらい、リーナさんもあなたの事を大切に想ってくれてますよ。……ただ、彼女の立場上、それをあなたの望むような形で示せないだけです」
「……うん」
アッシュヴェルの言葉に、ロージーは涙ぐみながら小さく頷いた。
「そうだといいな……ううん、きっとそうですよね!」
と、半ば自分自身に言い聞かせるように言った彼女は、目尻に滲んでいた涙の粒を指で拭うと、勢いよく立ち上がる。
「だったら、早くリーナの所に戻って謝らないと! あたし、ひどい事を言っちゃったから……」
「そうですね」
ロージーの言葉に応じて、アッシュヴェルも腰を上げた。
「多分、リーナさんは先に宿に戻っているはずです。もう日も暮れかけてますから、少し急ぎましょう」
「はいっ!」
大きな返事をして、アッシュヴェルと並んで歩き出すロージー。
……と、彼女は横を歩く長身のアッシュヴェルの顔を見上げながら、少し躊躇いがちに切り出す。
「あの、アッシュさん……」
「何ですか、ロージーさん?」
優しい眼差しをロージーに向けるアッシュヴェル。
眼鏡の奥の紅瞳が、夕陽の光を反射してキラリと輝いた。
その光を見た瞬間、僅かに息を呑んだ彼女は、慌てて目を逸らす。
「あ、い……いえ、何でも……ないです……」
「……? あ、そうですか……」
消え入りそうなロージーの返事を聞いたアッシュヴェルは、怪訝そうに首を傾げたが、それ以上は何も言わなかった。
「……」
彼の声を傍らで聴きながら黙々と歩を進めるロージーは、やにわに早まった鼓動が聴こえぬようにと、そっと左胸に手を添えるのだった――。




