第二十九話 伯爵令嬢とクエスト監視人と呼び方
「あ……あのぉ……」
ファルディスを南北に縦断する大通りを歩いて、都市の中と外とを分ける聖クロウディア門に向かいながら恐る恐る振り返ったローズライトは、少し遅れて歩くアッシュヴェルに向けて声をかける。
「ほ、本当に大丈夫ですか? ケガとか……」
「え? あぁ……」
彼女からの気遣いの声に、アッシュヴェルははにかみ笑いを浮かべながら軽く首を横に振る。
「そんなに心配なさらないで大丈夫ですよ~。ラッキーな事に、吹っ飛ばされた先が干し草の山で、ちょうどいいクッションになりましたから」
「そ、そうですか……それなら良……くはないですよね」
アッシュヴェルの返事にホッとした表情を浮かべかけたローズライトだったが、彼の濡れそぼった姿を見て再び顔を曇らせる。
「私が放った水魔法のせいで、そんなにずぶ濡れになってしまって……」
「あぁ、こんなのすぐに乾きますからノープロブレムですよ」
罪悪感を抱く少女の心を少しでも軽くしようと、アッシュヴェルは殊更に大きくかぶりを振ってみせた。
「冒険者さんのクエストについて行く時なんて、急な雨や嵐は日常茶飯事ですからね。このくらいへっちゃらです」
そう言った彼だったが、激しく首を左右に振った拍子に、先ほどローズライトが放った水流弾をまともに食らった背中が激しい痛みを発する。
「あ、痛たたた……」
「あっ……!」
思わず顔を顰めながら背中に手をやったアッシュヴェルを見て、和らぎかけたローズライトの顔が再び強張った。
「そ、それって、ひょっとしなくてもさっき私のせいですよねっ! あ、あの、本当にごめんな――」
「す、ストップっ!」
オロオロしながら頭を下げようとする彼女をアッシュヴェルが慌てて制止する。
「謝らないでいいです! いや、むしろ謝らないでッ! でないと、またさっきと同じ事に……」
「あ……っ!」
必死なアッシュヴェルの声を聞いたローズライトも、ハッとした顔になって、慌てて自分の傍らを見た。
そして、
「ちょっと! リーナっ!」
無言でスカートの襞に右手を差し込む自分の侍女を上ずった声で止める。
「だから、それはやめてって言ったでしょッ!」
「かしこまりました……。ですが……お嬢様に頭を下げさせる奴なんて、可及的速やかにこの世から処さねば……」
「処さなくていいっつーのッ!」
リーナがしぶしぶといった様子で嵌めかけた鈎爪を外しながら漏らしたボヤキを聞き咎めたローズライトは、思わず荒い口調で怒鳴った。
それを見かねたアッシュヴェルが、慌ててふたりの間に割って入る。
「ま、まあまあ……落ち着いて下さい」
「あ……っはい……」
彼に宥められたローズライトは、少し落ち着いた様子でコクンと頷いた。
「だ、だいじょうぶです……落ち着きました、アッシュヴェル監視人さん」
「ははは」
ローズライトの返事を聞いたアッシュヴェルは、思わず苦笑しながら首を左右に振る。
「“アッシュヴェル監視人”だなんて……そんな風に堅苦しく呼ばないで結構ですよ。もっと気安い感じにお呼び頂ければ」
「そ、そうですか……?」
アッシュヴェルの言葉に目をパチクリさせたローズライトは、少し躊躇ってから、おずおずといった様子で「じゃ、じゃあ……」と続けた。
「ええと……あ、アッシュ……さん」
「はい」
ローズライトの呼びかけに、アッシュヴェルはニッコリ笑って応える。
「それで結構です」
「だ……だったら!」
アッシュヴェルの答えを聞いてパッと顔を輝かせたローズライトは、自分の顔を指さした。
「私……ううん! あたしのことも、気安く“ロージー”って呼んで下さい!」
「え、えぇっ……?」
ローズライトからの唐突な申し出に、アッシュヴェルは思わず戸惑いの声を上げる。
「い、いえ、でも……さすがに伯爵令嬢様の事をそんな風に呼ぶのは――」
「それは考えなくていいんです!」
尻込みするアッシュヴェルに、ローズライトは激しく首を横に振り、「っていうか……」と続けた。
「そもそも、あたしホントは伯爵令嬢なんかじゃないんです!」
「えぇっ? 違うんですかっ?」
「まあ……血縁上は、確かにお父様……ノイテンバイン伯爵の娘ではあるんですけど……」
訊き返された彼女は、少し言い淀むが、すぐに言葉を継ぐ。
「でも、七年前までは、ノワーブルの村でお母さんといっしょに暮らしてたんで、ほぼベースは一般人というか……」
「え? そうだったんですか?」
ローズライトの言葉を聞いたアッシュヴェルは、思わず目を丸くした。
「ノワーブルの村って……言っちゃあなんですけど、結構なド田舎じゃないですか」
「いや……さすがに“ド”が付くほどでは無いと思うんですけど……」
「やっぱり処しましょう、この無礼者」
出身地をド田舎呼ばわりされた事にさすがに気分を悪くする伯爵令嬢と、そんな主の気持ちを慮って囁きかけるメイド。
迸り出る殺気を感じて慌てて飛び退いた無礼者は、立ったまま額を地面に擦りつける勢いで頭を下げた。
「す、すみまっせぇんっ! 何とぞお許しをぉ! しょ、処さないでくださあああぁぁいっ!」
「いえ……そこまで怒ってる訳じゃないんで……って、リーナもそんな物仕舞って!」
早速スカートの襞の間から鈎爪を取り出そうとするメイドを鋭い声で制止したローズライトは、苦笑い混じりの表情をアッシュヴェルに向けながら、「ですから……」と続ける。
「ホントに貴族なんてガラじゃないんですよ、あたし」
「そうだったんですね……」
ローズライトの話に、アッシュヴェルは納得した。
確かに、つい先ほどまでの彼女は、仕草や口調がどこかぎこちなかった。どこか無理をして“伯爵令嬢”という役を演じているように感じていたのだが、それは気のせいではなかったらしい。
さっきまでと比べて、今の飾らない口調になった彼女はいかにも表情が生き生きとしていて、とても自然に見える。
ひょっとしなくても、今の姿が本来の彼女なのだろう。
「そういう事でしたら……」
そう言ってコホンと咳払いをしたアッシュヴェルは、少し緊張した面持ちのローズライトに向けて優しく微笑みかけた。
「これからは、あなたの事をロージーさんと呼ばせて頂きますね。よろしいですか?」
「……はいっ!」
アッシュヴェルの言葉を聞いたローズライト……ロージーは、ぱあっと顔を綻ばせながら、彼に向けて手を差し出す。
「もちろんです! 是非それでお願いします、アッシュさんっ!」
「かしこまりました、ロージーさん」
微笑み合いながら、固い握手を交わすアッシュヴェルとロージー。
……と、地を這うような低い声がふたりの耳まで届く。
「……一般庶民の分際で、お嬢様に対してなんと馴れ馴れしい態度を……やっぱり処さねば……」
「しょ、「処さないでっ!」下さいぃ――ッ!」
据わった目でボキボキと指を鳴らすリーナを慌てて止めるふたりの上ずった声が、ものの見事にシンクロした。




