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第二十七話 監視人と視線とメイド

 「あっ……」


 アニエスの言葉を聞いたアッシュヴェルは、僅かな違和感を覚えながら、息を呑んで目の前の少女を見返す。


「あなたが……ローズライト・ファレン・ノイテンバ――」

「ただのローズライトで結構です」


 妙に固い声でアッシュヴェルの声を遮った少女は、驚いたように目をパチクリさせている彼の顔を見て我に返ったのか、少しぎこちない愛想笑いを浮かべてみせた。


「その……今回は、よろしくお願いいたしますね。クエスト監視人の……ええっと」

「あ、僕はアッシュヴェル・エヴァーピースといい……あ、申します。こちらこそよろしくお願いします」


 言い淀む彼女に苦笑いしながら自己紹介をしたアッシュヴェルだが、ふとさっきの執務室でのやり取りを思い出し、慌てて一言付け加える。


「あっ……と言っても、僕はあくまでクエスト監視人なので、あなたのクエストのお手伝いとかはよろしく出来ませんので……その、すみません……」

「うふふ、なんで謝るんですか?」


 申し訳なさそうに謝るアッシュヴェルを見てクスクスと笑いながら、少女――ローズライトは小さくかぶりを振った。

 それに合わせて、後頭部で結んだ銀蒼色の長い髪が、馬の尻尾(ポニーテール)のようにゆらゆらと揺れる。


「クエスト監視人のお仕事の内容は、そちらの受付の方のお話を聞いて大体理解いたしましたわ。クエストをこなす事が(わたくし)たち冒険者の役割なのと同じように、あくまで『見守る』事があなた方のお仕事なんですから、手伝えないからと謝る必要なんて無いと思いますが」

「ま、まあ、そうなんですが……」


 至極真っ当なローズライトの言葉に、アッシュヴェルはリアクションに困った様子で頬を掻いた。

 そんな彼にニコリと笑いかけながら、ローズライトはローブの裾を指で摘んで膝を曲げてみせる。


「改めまして――よろしくお願いいたしますね、アッシュヴェル監視人さん」

「あ、は、はい……」


 いかにも貴族令嬢らしい優雅な膝折礼(カーテシー)をされたアッシュヴェルも、慌てて礼を返そうとしたものの、平民出身の彼には貴族の立ち居振る舞いなど分かるはずもなく、狼狽した様子でキョロキョロと首を巡らせた。

 彼はさんざん迷った挙句、彼女と同じように自分の薄汚れたマントの裾を指で摘まんで、ギクシャクとした動きで膝を曲げる。


「うふふ、それは殿方がなさるものではありませんよ」


 手の甲で口元を隠しながら、愉快そうに笑うローズライト。

 つられるようにぎこちなく笑いながら、アッシュヴェルはもう一度彼女の姿を見返した。

 ローズライトは小柄で、長身のアッシュヴェルの胸ほどしかないようだ。

 その体格差のせいで、彼女は顎を上げて彼を見上げる恰好になっている。その瞳は髪の色よりも濃い瑠璃色をしていて、まるで猫のように丸くて大きかった。

 大人用なのか、些か彼女の体格とは合っていないように見える厚地のローブを纏っているので、はっきりとは分からないが……何というか、十六歳というには些か……。


「……ローズライト様のどこを見て、何を考えてらっしゃるんですかぁ?」

「ヒィッ!」


 不意に上がった底冷えのする響きを伴った声が耳に入った瞬間、アッシュヴェルは小さく悲鳴を上げる。

 恐る恐る横を見ると、穏やかな笑みを浮かべたアニエスと目が合った。

 顔には笑みを湛えているものの、その細めた目には、あからさまな軽蔑と幻滅の感情を帯びた光が宿っている……。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように青ざめるアッシュヴェルに、アニエスは凄惨な笑みを湛えたまま小声で言った。


「ねえ、そんないやらしい目で年頃の女性の身体をジロジロと見て、一体どんなお下劣なことを考えてらっしゃったんですかぁ?」

「い、いや! お、お下劣だなんて……そんな事は断じて無いですッ!」


 声を震わせながら、アッシュヴェルは必死で首を左右に振る。


「ぼ、僕はただ……ろ、ローズライトさんが思っていたよりも小さかったから……」

「ち、小さ……いっ?」

「アッ! ち、違いますよッ!」


 ふたりのひそひそ話が耳に入るや、顔を引き攣らせて自分の胸を両手を隠したローズライトに、アッシュヴェルは上ずった声で叫んだ。

 そして、ますます剣呑さを増した隣からのプレッシャーに慄きつつ、更に激しくかぶりを振る。


「そ、そこじゃなくって、全体的にっ! だ、だから……本当に十六歳なのかな……って」

「……ぐふっ!」

「……アッシュヴェルさ~ん。それ全然言い訳にもフォローにもなってないですよ……」


 アニエスは、アッシュヴェルのヘタクソな釈明に多大なダメージを受けた様子で膝から崩れ落ちるローズライトに同情を禁じ得ない様子で呆れ声を上げた。

 ――と、


「……処します」


 ローズライトの背後でずっと控えていた地味な黒髪おさげのメイドが、ぼそりと声を発すると同時に身を屈めた。

 次の瞬間、彼女は穿いていたロングスカートの襞の間に右手を突っ込み、そのままの体勢で短く跳躍する。

 そして、カウンターの向こう側にいるアッシュヴェルの顔面目掛けて、スカートの襞から抜いた右手を目にも止まらぬ速さで振り下ろした。


「ひゃあっ!」


 アッシュヴェルの情けない悲鳴を上げるのとほぼ同時に、硬いもの同士がぶつかり合う乾いた鋭い音がカウンターに響く。

 一瞬遅れて、切られた灰色の髪の毛が数本パラパラと舞い散った。


「び、ビックリしたぁ~っ!」

「……っ!」


 一瞬で装着した鈎爪をカウンターに深々と突き刺した格好のメイドは、黒い目を大きく見開いて、へなへなと床に尻餅をつくアッシュヴェルの顔をまじまじと凝視する。


「キサマ……」

「やめてっ、リーナッ!」


 殺気を滾らせながら口を開きかけたメイドを、ローズライトが鋭い声で制した。


「クエスト監視人さんに何をしてるのっ! ギルドの皆さんにも迷惑でしょ!」

「で、ですが、お嬢様……」


 振り返ったメイド――リーナは、不満と困惑が入り混じった顔で主の方に振り返る。


「この男は、お嬢様に失礼で無礼で破廉恥なことを……」

「は、破廉恥は誤解ですッ!」


 床にへたり込んだまま、アッシュヴェルが叫んだ。


「でも、失礼しましたッ! 誠にごめんなさい!」

「ほら、私はもういいですから! もうやめて……やめなさい!」

「……かしこまりました」


 重ねてのローズライトの指示に、リーナは不承不承といった様子で頷き、カウンターに突き刺さったままだった鈎爪を抜く。

 そして、元のようにスカートの襞の間にしまうと、「……失礼いたしました」と言って、主の後ろに下がった。


「ほら、アッシュヴェルさん、立って。まったく……クエスト監視人なのに、情けない悲鳴を上げちゃって……」

「あはは……すみません」


 呆れ顔のアニエスに助けられながら立ち上がるアッシュヴェルは、相変わらずヘラヘラと笑っている。


(……おかしいわね……)


 そんな彼の事を険しい目で見据えながら、リーナは右手を握り込んだ。


(あの男の眼鏡を狙って振り下ろしたのに……かすりもしなかったなんて)


 握った自分の右手をチラリと見た彼女は、微かに首を傾げる。


(目測を誤った? ……いえ、そんなはずはない。確かに、振り下ろす直前まで軌道に誤りは無かった。だったら、なんで……?)


 腑に落ちぬ思いを抱きながら、リーナは己の主に向かってペコペコと頭を下げている灰色髪のクエスト監視人へ再び視線を戻した。


(……念の為に、少し警戒しておいた方がいいかもしれないわね、あの男……)

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