第二十六話 任命と疑問と理由
「はぁ……」
冒険者ギルドのクエスト受付カウンターの裏に設けられた小部屋で、アッシュヴェルは十何回目かの溜息を吐いた。
「そういえば、シュガさんたちのクエスト監視の結果報告をした時に言われましたっけ……。『次の任務は、少し大変なものになると思うから』って……。それって、間違いなくさっきの件ですよねぇ……」
そうボヤくアッシュヴェルの脳裏に、先ほどギルド長執務室で交わされた伯爵とのやり取りが蘇る。
「……『娘に力を貸さないでほしい』……って、本当にそれだけでいいのなら、そこまで大変じゃない気もしますが……僕以外のクエスト監視人なら」
そう呟くと、彼はボサボサの灰髪に指を突っ込んで、ポリポリと掻いた。
彼の言う通り、クエスト監視人は仕事に対して意識の高いメンバーが多い。『任務監視人倫理規約』に従い、常に公正中立を保って冒険者の監視に徹する事ができる者ばかりだ。
そんな中にあって、事ある毎に私情が先に立って、“クエスト監視”という業務を逸脱して冒険者たちの手助けをしてしまうアッシュヴェルは、“人間”としてはともかく“クエスト監視人”としては間違いなく『仕事が出来ない落ちこぼれ』である。
そんな彼が、『伯爵令嬢がクエストの大変さを思い知って冒険者を目指す事を諦めるまで、“監視”という名の“放置”をしろ』という伯爵からの密命を果たせるかというと……甚だ疑問だ。
「……なんで、よりにもよって僕が指名されたんでしょうかねぇ?」
そう言いながら、アッシュヴェルは訝しげに首を傾げる。
「僕なんかより、今回の任務を任されるのに相応しい人がいくらでもいると思うんですけどねぇ……。例えば、ヴィクダールさんとか……」
先ほど公園で会った隻腕の偉丈夫の姿が頭に浮かんだ。
「前の仕事が終わったと言っていましたから、あの人ならタイミング的にもちょうどいいと思うんですけどね……」
『……は、こちらの方でーす!』
「……まあ、熊みたいに図体が大きいし、街のチンピラさんでも素直に道を譲るくらいの強面ですから、あの人がクエスト監視人としてついて来たら、伯爵令嬢さんが怯えちゃうっていうのはあるかもしれませんねぇ。まだ、たったの十六歳って話ですし……」
『……アッシュヴェルさーん? こちらへどーぞ~』
「その点、僕は常に街の子どもたちからからかわれたり泥団子を投げつけられるくらいに親近感を持たれてるハンサムガイですからね。伯爵令嬢さんもビビらず、のびのびとクエストに専念できるようになるんじゃ……って、あれ?」
『あのー、アッシュヴェルさーん! 呼んでるんですけど~!』
「でも、それじゃ伯爵さまのお望み通りにはならないような……。じゃあ、やっぱり僕以外の人の方がいいんじゃないですかね? 例えば――そう、ザクトくんあたりとかなら……」
『オイこのモップメガネええええぇッ!』
「それなのに……なんでエカさんは僕を選んだんでしょうね……。しかも、『一番適任だから』って……僕のどこが適に――」
『さっさと出て来おおおおおおいやあああぁッ!」
「え、な、なに……痛だだだだだだだだだ――ッ!」
勢いよく開いたドアが鳴らしたけたたましい音と、激しい怒気を含んだ絶叫でようやく我に返ったアッシュヴェルが上げた驚愕混じりの声が、途中から悲鳴に変わった。
後頭部で纏めた灰髪をむんずと力任せに引っ張られたアッシュヴェルは、鬼神の如き形相をしたクエスト受付嬢に向かって必死で懇願する。
「や、やめて下さいアニエスさんッ! 髪の毛抜けちゃいますぅっ! せ、千本単位ででで痛ででぇっ!」
「知りませんよッ! 何回呼んでもガン無視する方が悪いんですッ!」
「すっ、すみませんっ! ついボンヤリ考え事してまして……って、ま、マジでそろそろやめて下さいッ! これ以上引っ張られたら髪の毛どころか首ごともげちゃいますってぇっ!」
まるで大魚がかかった釣り竿のように体を大きく撓らせられながら、上ずった声で叫ぶアッシュヴェル。
その悲鳴混じりの声で少しだけ冷静さを取り戻したクエスト受付嬢のアニエスは、それまでずっと彼の後ろ髪を引っ張り続けていた手をようやく離した。
怒りと呆れが入り混じった表情を浮かべた彼女は、あまりの痛さで目の端に涙を浮かべているアッシュヴェルを睨みつけながら、開け放たれた扉の向こうを指さす。
「ほら! 貴方が担当する初心者冒険者さんがお待ちになってるんですから、さっさと出て下さい!」
「あ……い、いや、ちょっと待って下さい。ちょっと今ので乱れた服と髪を整える時間を……」
「いえ、アッシュヴェルさんの恰好なんて誰も気にしてやしませんから、そのままで大丈夫ですっ!」
「非道いッ!」
あんまりな言葉に思わず抗議の声を上げるアッシュヴェルだったが、アニエスは一向に構わぬ様子で彼の背後に回り込み、ひょろ長い背中に渾身のショルダータックルを見舞った。
「つべこべ言わずにさっさと出るッ!」
「うおわぁっ!」
不意を衝かれたアッシュヴェルは、踏ん張る間もなくドアの向こうへと吹っ飛ばされ、受付とロビーを隔てる固い樫製のカウンターの縁に鳩尾を強打する。
「ぐふぇあがぁっ!」
踏み潰されたヒキガエルのような声を上げたアッシュヴェルは、強かに打った腹を両手で抱えるように押さえ、その場で悶絶した。
……と、
「……ええと、その……だいじょうぶですか?」
アッシュヴェルの醜態を見て明らかにドン引きしながらも、彼の身を気遣う声がかけられる。
「は、はい……な、なんとか、辛うじて……」
荒い息を吐きながら、アッシュヴェルは涙の浮いた目を声の主に向けた。
カウンターの前に立っていたのは、お仕着せのメイド服を着た女を伴ったローブ姿の少女だ。
心配と警戒が入り混じった表情で自分を見つめるあどけない少女の顔に、アッシュヴェルはどことなく既視感を覚え――次の瞬間、ハッと目を見開く。
「あ……ひょっとして、あなたが……?」
「ご紹介しますね」
控室から受付カウンターに戻ったアニエスが、彼の問いかけに応えた。
「この方が、今回あなたがクエスト監視を行う対象の初心者冒険者――ローズライト・ノイテンバイン様ですわ」




