第二十三話 呼び出しと理由と心当たり
「あの……バルタザールさん」
冒険者ギルドのエントランスを抜け、建物の奥へ向かう廊下を歩きながら、アッシュヴェルは先に立って歩く初老の執事の背中に声をかけた。
彼の呼びかけに気付いたバルタザールは、規則正しい歩調は変えぬまま、背中越しにアッシュヴェルへ顔を向ける。
「何でしょうか、エヴァーピース様」
「あ、ええと……」
バルタザールの問いかけに、アッシュヴェルは頬を指で掻きながら、灰髪に覆われた頭を下げた。
「その……ありがとうございました」
「……はて?」
唐突なアッシュヴェルの感謝の言葉に、バルタザールは訝しげに首を傾げる。
「私は別に、エヴァーピース様から感謝されるような事をした覚えなどございませんが」
「あ、さっきの公園でのアレです」
執事の言葉に困り笑いを浮かべつつ、アッシュヴェルは言った。
「バルタザールさん、僕があの事をヴィクダールさんに訊かれて困ってると思って、あのタイミングで声をかけて話を逸らしてくれたんでしょう? だから、『助けてくれてありがとうございます』って感じで……」
「――いえ」
アッシュヴェルの説明を聞いたバルタザールは、しかし小さくかぶりを振る。
「別に、そういった意図は御座いません。困っていた貴方が助かったというのは、単なる偶然かと」
「あ、そうなんですか?」
バルタザールの答えを聞いたアッシュヴェルは、眼鏡の奥の紅眼を丸くして、意外そうな声を上げた。
「いやぁ、声をかけられる前から、少し離れた所でバルタザールさんが僕たちの会話が終わるまで待っているような気配を感じていたので、てっきり見かねて助け舟を出してくれたものかと――」
「エヴァーピース様」
ふと立ち止まったバルタザールが、アッシュヴェルの言葉を遮るように声を上げる。
そして、くるりと身を翻してアッシュヴェルの方へ向き直ると、彼の襟元に手を伸ばし、その乱れを整えた。
「これからエカチェリーテ様……ギルド長たちにお会いになるのですから、身なりをお整え下さい」
「あ……は、はい、スミマセン」
バルタザールの注意を聞いたアッシュヴェルは、慌てて薄汚れたマントの埃を払い、木綿のシャツに寄った皺を伸ばす。
「え、えっと……こ、こんな感じでいいですかね?」
「……まあ、よろしいでしょう」
両腕を広げて仕上げを見せるアッシュヴェルに、ちょっと眉を顰めながらも小さく頷いた執事は、再び前を向き、先ほどと同じ調子で再び歩き出す。
慌てて彼の後に続いたアッシュヴェルは、何かを思い出したように「……あっ」と声を漏らした。
「そういえば、肝心な事をまだ訊いてませんでしたよ、バルタザールさん」
「……何でしょう?」
「あの……そもそも、何で呼び出されたんでしょうか、僕?」
そう尋ねて首を傾げたアッシュヴェルだったが、すぐにその顔が青ざめる。
「あっ……も、もしかして、この前のクエスト監視の合間に、つい小腹が空いて食べた『ミフィーテまん』を“交際費”として経費計上したのがバレちゃいました?」
「……」
「そ、それとも……前々回の時に、不可抗力とはいえ領主様のお館を半壊させちゃった件のお説教とか?」
「……」
「そ、それか、二ヶ月前のクエスト監視で冒険者さんたちを助けちゃった件の顛末書をまだ出してない事ですかね? あの……実は僕、文章書くのが苦手で……あと三日くらいで仕上げられると思うんですけど……でも、ごめんなさい!」
「エヴァーピース様」
オロオロしているアッシュヴェルの様子を肩越しに見ていたバルタザールは、小さく息を吐きながら立ち止まり、傍らの立派な木製の扉に付いた真鍮製のドアノッカーを掴んだ。
「詳しいお話は、私にではなく、エカチェリーテ様に直接お伺い下さい」
「あっ……ちょ、ちょっと待って下さい! ま、まだ心の準備が――っ!」
目の前の扉がギルド長執務室の入り口だと気付いたアッシュヴェルの制止も聞こえないかのようにスルーして、バルタザールはドアノッカーを高らかに鳴らす。
『――はい』
少しの間を置いて、ドアの向こうから鈴を転がすような声が上がった。
ドアに向かって背筋をピンと伸ばしたバルタザールは、誰何の声に答える。
「バルタザールめにございます。クエスト監視人アッシュヴェル・エヴァーピース様をお連れいたしました」
『――どうぞ。入ってきて頂戴』
「失礼いたします」
ドアの向こうからの声に恭しく答えたバルタザールは、背後のアッシュヴェルをチラリと見てから、ゆっくりと扉を開けた。
「……エヴァーピース様」
「あッはい!」
小声で執事に促されたアッシュヴェルは、ひっくり返った声を上げながら、ギクシャクとした足取りで執務室の中に入る。
――そして、おもむろにフカフカの絨毯の上へ膝をつき、そのまま額を床に擦りつけるように深々と頭を下げた。
「え、ええと! と、とりあえず、スミマセンでした――ッ!」
「…………は?」
流れるような動きで、世界の東の果てにある島国から伝わってきたという最上級の謝罪表現“ドグェズァ”を行なったアッシュヴェルにかけられたのは、当惑に満ち満ちた声だった。
「入ってくるなり何してるのよ、あなた」
「い、いやぁ……」
麗女の冷めきった声に恐る恐る頭を上げながら、アッシュヴェルは答える。
「心当たりがあり過ぎてどの件なのか分かりませんが、とりあえず怒られる事は確定してると思ったので、先手必勝で謝った方がいいかなと……」
「……なんで怒られる事が確定しているのよ」
いつものように執務机……ではなく、応接ソファの下座に座っていたギルド長・エカチェリーテ・レファリナスは、その整った顔立ちに呆れた表情を浮かべながら、首を左右に振った。
「安心なさい。今回はお説教じゃないわよ」
「あ、ホントですか? 良かった……」
「心当たりのある“怒られる事”に関する話は、後でゆっくり訊く事にするわ。わざわざ教えてくれてありがとう」
「あっ……」
ニッコリと薄笑むエカチェリーテを見て、自ら藪をつついて蛇を出してしまった事に気付いたアッシュヴェルの顔がみるみる青ざめる。
……と、その時、
「……ゴホン」
わざとらしい咳払いが聞こえた。
「申し訳ないが、そろそろ彼に私を紹介してくれるとありがたいのだが、レファリナスギルド長殿」
「あ……」
微かな苛立ちが混じる渋い低音の声にハッとしたエカチェリーテは、そそくさと表情と姿勢を正し、上座に座る威厳に満ちた紳士に向けて恭しく頭を下げる。
「これは大変失礼いたしました、伯爵さま」
「いいから、早くしたまえ」
「はい」
整えられた口髭の端を上げながら促す紳士に、エカチェリーテは小さく頷いた。
そして、ふかふかの絨毯の上に両手をついた格好のままで、状況が呑み込めずにポカンと口を開けているアッシュヴェルに顔を向け、上座に座る紳士の名を告げる。
「紹介するわ、エヴァーピース監視人。この御方は、アライアーズ地方の領主であらせられるベサリアウグ・ラーズ・ノイテンバイン伯爵。あなたにとある事を頼みたいと、直々にお出でになられたの」




