第十八話 冒険者たちと退会届と今後
「……じゃあ」
と、たっぷり数十秒も沈黙してから、エカチェリーテはようやく口を開いた。
「毛根の方はともかく、その大蛙に呑まれた初級冒険者は無事なのね?」
「あ……はい」
大爆笑間違いなしだと確信していたジョークをガン無視されて肩を落としていたアッシュヴェルは、エカチェリーテの問いかけに慌てて頷く。
「先ほども言いましたが、吞み込まれてからすぐ助け出せたので、幸いな事に大した怪我もしてませんでした。……体の方は、ですが」
「……体の方は?」
含みを持ったアッシュヴェルの答えに、エカチェリーテは眉を顰めた。
「……という事は――」
「……ええ」
エカチェリーテに訊ねられたアッシュヴェルも、表情を曇らせながら小さく頷く。
「どうやら……生きたままカエルさんに呑み込まれたのがよっぽどメンタルに堪えたみたいで……。あれから、憑き物が落ちたように人が変わっ――」
「ごめんアッシュ。ちょっと待って」
急に軽く手を挙げてアッシュヴェルの話を遮ったエカチェリーテは、それまで外していた片眼鏡をかけた。
それから、机の隅に置いていたシガーケースから細巻きの葉巻を取り出し、シガーカッターで葉巻の端を切ってから、傍らに置いてある燭台で火を点ける。
そして、葉巻からゆらゆらと上がる紫煙の香りに僅かに顔を顰めてから、嫌々といった様子で、そのぷっくりとした唇に咥えた。――その直後、扉から控えめなノックの音が上がった。
『――ギルド長様。少々よろしいでしょうか?』
「……ええ」
瞬く間に“ファルディス冒険者ギルド長”の顔に戻ったエカチェリーテは、アッシュヴェルに目配せをしてから、ドアの向こうから上がった呼びかけに冷静な声で応える。
「構わないわ。開いてるから、入ってきて」
『はい……では、失礼いたします』
エカチェリーテの答えに応じて、分厚い樫製の扉を開けて執務室に入ってきたのは、ギルド受付嬢のアニエスだった。
彼女は、机の手前に立つアッシュヴェルにも軽く会釈をしてから、エカチェリーテの元まで歩み寄り、持っていた一枚の紙を差し出す。
「……これは?」
「――先日冒険者登録をしたゲラウ初級冒険者のギルド退会届です」
「えっ?」
アニエスの答えを聞いたアッシュヴェルが、驚きの声を漏らした。
「退会なさるんですか、ゲラウさん? どうして……」
「いや、どうしてって……あんな目に遭ったら、無理もないでしょ」
首を傾げているアッシュヴェルに、アニエスが呆れ声を上げる。
「初クエストでいきなり五つ星級のカエルの化け物に襲われるだけでも結構な恐怖体験なのに、呑み込まれて消化させられかけたんですもの。常人ならトラウマものですよ」
そう言った彼女は、アッシュヴェルにいたずらっぽく微笑みかけながら、「まあ……」と続けた。
「百戦錬磨の“元”特級冒険者さんにはピンと来ないのかもしれませんけど……」
「あ……いや、そんな事は……」
アニエスの言葉に、アッシュヴェルは困ったように頭を掻く。
――と、
「やめなさい、アニエス」
静かな声で、エカチェリーテがアニエスを窘めた。
アッシュヴェルを気遣うように一瞥してから、彼女は言葉を継ぐ。
「あ……申し訳ございません……」
ギルド長の冷静な声にいつもよりほんの少しだけ険があった事に気が付いたアニエスは、慌てて頭を下げた。
そんな彼女に小さく頷きかけながら、エカチェリーテはゲラウの退会届に『許可』の印判を捺し、羽ペンで署名を記す。
「え、えっと……」
場に広がる重苦しい沈黙の空気を何とかしようとするかのように、アッシュヴェルがアニエスに声をかけた。
「その……ゲラウさんは、ウチのギルドを辞めてからどうするおつもりなんでしょうか? やっぱり、地元の冒険者ギルドに戻るんですか?」
「いいえ……」
アッシュヴェルの問いかけに、アニエスは小さく首を横に振る。
「今回の件がよっぽど懲りたのか、もう冒険者自体を辞めるって言ってました。今後は、地元のワッカアナに戻って、実家のお菓子屋を継ぐつもりらしいです」
「お、お菓子屋さんですかっ?」
アニエスの答えを聞いたアッシュヴェルは、ビックリして素っ頓狂な声を上げた。
「いやぁ、あのゲラウさんがお菓子屋さん……ちょっと失礼かもしれませんが、正直ちょっとイメージできないですねぇ……」
「うふふ。確かに」
しみじみと言うアッシュヴェルに笑いながら頷いたアニエスは、「……でも」と続ける。
「あの人、性格も実力も冒険者には全然向いてなさそうですから、案外とお菓子屋の方が適性あるかもしれませんよ。タダの勘ですけど」
「まあ……」
アニエスの言葉に、アッシュヴェルも同意した。
「このまま冒険者のままでいて、今回以上のトラブルに遭って大怪我するよりは、今のうちにキッパリと足を洗ってもらった方が本人にも周りにも良いかもしれませんね……」
「そうね」
サインし終えたゲラウの退会届をアニエスに手渡しながら、エカチェリーテも頷く。
そして、指に挟んだ葉巻の灰を灰皿に落としながら、「それで……」と続けた。
「彼のパートナーの方も?」
「シュガ様ですか?」
エカチェリーテの問いかけに訊き返したアニエスは、「――いいえ」とかぶりを振る。
「彼は、もう新しいクエストを受けて、目的地へ向けて旅立ちました。今回は、単独でもこなせる“ひとつ星”の収集クエストですけど」
「あぁ、そうなんですね」
アニエスの答えを聞いたアッシュヴェルは、ホッとした顔をした。
「ゲラウさんとは違って、シュガさんは大丈夫だったんですね」
「正直、シュガ様の方がゲラウ様よりずっと冒険者に向いていると思いますわ」
微笑みながら、アニエスは小さく頷く。
「自分の現状の実力を客観的に評価出来て、地道にクエストをこなしながら着々と成長するタイプですね。いずれは一級冒険者まで昇りつめられるかも」
そう言った彼女は、自分の事を指さしながら、付け加えた。
「――ギルド受付嬢としての経験を踏まえた勘ですけどね」
彼女の“勘”は、ふたつとも当たる事になるのだが――、
それはまた、別の話である。




