第十四話 放棄と再募集と再受任
「り、リタイヤ……?」
「はい」
上ずった声で訊き返すシュガに、アッシュヴェルは小さく頷いた。
「正直、嫌な予感はしていたので、ここに来る前にもっと強くお勧めするべきだったと思います」
と言った彼は、悔やむように顔を曇らせる。
「クエストの再評価で難易度を六つ星以上に引き上げられれば、監視人の権限でクエストを強制破棄する事が可能なのですが、五つ星どまりではそれも出来ません。そうなると、クエスト受任者であるシュガさんから自発的に放棄を宣言して頂く必要がありまして……」
そう言ってシュガの顔を見つめたアッシュヴェルは、申し訳なさそうに続けた。
「……一応、冒険者ギルドのカウンターでお渡しした契約約款には記載されているんですが、小さ~い字で書いてあるから読んでないですよねぇ。冒険者さんからも『知らされてねえよ!』って苦情を頂く事が多いので、クエスト監視人としてももっと大きな文字で書いておいてほしいんですけど……」
ボサボサの灰髪を掻きながら、アッシュヴェルは困り顔でぼやく。
「その……実は、五つ星以上のクエストでは、冒険者都合による放棄には契約不履行違約金が発生しちゃうんですよ」
「い、違約金……?」
「やっぱりご存知ないですよねぇ……」
予想通りに目を丸くするシュガの顔を見て、アッシュヴェルは肩を落としながら上衣の隠しをまさぐった。
「ちょっとお待ち下さい。今回の五つ星クエストの契約不履行違約金の額をちゃちゃっと計算しますから」
「あ……っ」
隠しから小さな計算尺を取り出したアッシュヴェルに、シュガは慌てて首を横に振る。
「い、いや、どんな額でもいいです! こ、このピンチを何とか出来るのであれば、違約金くらい幾らでも――」
シュガの上ずった声は、そこで唐突に途切れ、
「う、うわあああああ――ッ!」
――裏返った悲鳴に変わった。
「あっ……」
計算尺での計算に気を取られたせいで、異変に気付くのが一瞬遅れたアッシュヴェルが顔を上げた時には、シュガの姿は彼の目の前から消えていた。
慌てて周りを見回したアッシュヴェルの視界に入ったのは、岩を回り込むように伸びた大蛙の真っ赤で長い舌に体を巻きつかれ、高々と宙吊りにされたシュガの姿だった。
「しゅ、シュガさんッ!」
「あ、アッシュヴェルさああああんッ!」
声を上ずらせるアッシュヴェルに向けて必死に腕を伸ばすシュガだったが、ふたりの手が交わる事は無く、むしろその距離はどんどん離れていく――。
と――、
「シュガさん!」
大蛙に食われる自分の末路を察して絶望の表情を浮かべるシュガに向けて、アッシュヴェルが必死に叫んだ。
「クエストの放棄を宣言して下さい! 今すぐにッ!」
「え……っ?」
現在の状況だと些かピントがズレているように感じるアッシュヴェルの指示に、思わずシュガは当惑の表情を浮かべる。
「い、今はそんな事を言ってる場合じゃ――」
「場合なんですっ!」
シュガの疑問をきっぱりと遮ったアッシュヴェルは、断固とした口調で叫んだ。
「助かりたいなら、僕の言う通りにして下さい! 決して悪いようにはしませんからッ!」
「わ……分かりました!」
有無を言わさぬアッシュヴェルの声に気圧されながら、シュガは彼の指示に従う。
「お、俺は、俺たちはっ、今回のクエストをリタイヤしまあぁすッ!」
「承りました!」
シュガの悲鳴混じりの宣言を確かに聴いたアッシュヴェルは、首元のチョーカーを指で触れた。
「――今のシュガさんのお言葉、お聞きになりましたか、チョーカーさん!」
『……肯定』
アッシュヴェルの呼びかけに、無機質な合成音声が応じる。
『カテゴリ“初級”冒険者シュガ・ソールティスによる本クエストの放棄を確認。冒険者規定二条に基づき、本クエストの状況を“進行中”から“募集中”に更新』
「はいっ!」
合成音声が淡々と紡いだ声に、アッシュヴェルが勢いよく片手を挙げた。
「そのクエスト、僕が受けます!」
『否定』
だが、チョーカーは、アッシュヴェルの申し出をあっさりと却下する。
『クエスト監視人によるクエストの受任は、【任務監視人倫理規約】第五条四項】により認められない』
「ですから……っ!」
チョーカーの声にもどかしげに叫んだアッシュヴェルは、左手の手袋を外した。
露わになった左手の甲には、鎖に縛られた龍を象った紋章が刻み付けられている。
それをチョーカーに見せつけるように掲げながら、アッシュヴェルは毅然とした声で叫んだ。
「クエスト監視人としてではなく――“失級”冒険者として本クエストを受任するって事で承認願います!」
『――了解』
アッシュヴェルの要請に、合成音声が応える。
『冒険者規定五条七項に基づき、“監視人ナンバー009”アッシュヴェル・エヴァーピース改め、“失級冒険者”――二つ名「嵐雹」による本クエストの即時受任を了承する。直ちに任務にあたれ』
「――了解しました!」
チョーカーの合成音声に凛とした顔で応じたアッシュヴェルは、左手の親指で腰のアズマ・ソード――“紅雪”の鯉口を切った。
そして、地面を摺るように左脚をゆっくりと後ろに下げてやや前傾姿勢になりつつ、右手で“紅雪”の柄を握り、今まさにシュガの体を飲み込もうとしている大蛙の姿を、血の色をした眼で眼鏡越しに睨めつけたアッシュヴェルは、
「――参ります!」
と短く叫ぶや、右足に込めた力を一気に開放して地面を蹴った――!




