第十二話 白い物体と“祖神様”と正体
「う、うわあああぁぁ――っ!」
「な、何だあああぁぁぁっ?」
突然上がった巨大な水飛沫に驚いたシュガとゲラウの悲鳴は、数秒遅れて彼らに襲いかかった大波に掻き消された。
自分の背丈を遥かに超える大波に飲み込まれたふたりは、強大な水の力になす術もなく押し流される。
「――ゴホッ! ゴホゴホッ!」
「ぜえ! はぁっ!」
水中で懸命に藻掻き、ようやくの事で波立つ水面の上に顔を出す事が出来たふたりは、大きく口を開けて、必死で萎んだ肺に空気を取り込んだ。
幸い、今の大波に流された事で、彼らは地底湖の岸に流れ着く事が出来たらしい。
湖岸には何やら白いものがいくつも転がっていて、立ち上がるのも一苦労だったが、それでも腰まで水に浸かっている状態よりは随分とマシだ。
膝に手をついた中腰の体勢で何度も深呼吸を繰り返して、ようやく落ち着いてきたシュガは、傍らで尻餅をついたままのゲラウに手を差し伸べる。
「ゲラウさん……立てますか?」
「あ……当たり前だろうが!」
だが、ゲラウは自分に向けて差し出されたシュガの手を乱暴に振り払った。
「ヒヨッコのテメエの手なんか借りなくても立てるっつーの! すっこんでろ!」
そうシュガを怒鳴りつけ、両手を地面につけて立ち上がろうとしたゲラウだったが、
「う、うおわぁっ!」
湖岸に転がる白く丸い物を踏んで、足を滑らせてしまう。
「痛てえっ!」
そのまま仰向けに地面へ転がったゲラウは、たちまち顔を真っ赤にしながら起き上がり、自分が足を取られた原因である丸い物体をむんずと掴んだ。
「クソッ! 何だよ、この……って、うわあっ!」
手にした物に毒づこうとしたゲラウの声が、途中から悲鳴に変わる。
その拍子に、彼の手から零れ落ちた丸い物体が乾いた音を立てて地面に転がった。
そのままコロコロと自分の足元まで転がってきた丸い物体を何気なく見たシュガは、それが何か分かった瞬間、思わず驚愕の声を上げる。
「こ……これって……人間の頭蓋骨……っ?」
「そのようですねぇ」
上ずったシュガの声に、まるで世間話のような呑気な声で応じたのは、アッシュヴェルだった。
しゃがんだ彼は、足元に転がっていた白くて長い棒状の物を取り上げ、しげしげと見つめる。
「これは、ひょっとしなくても人間の大腿骨ですね。年齢は……まあ、十代前半といったところでしょう」
そう言って、手にした骨を地面にそっと置いた彼は、軽く目を瞑って黙祷してから立ち上がり、周囲を見回した。
「――ここら辺に転がっている白いものも、全部人骨でしょう。すっかりバラバラになってしまっているので、何人分なのかは分かりませんが……恐らく、十や二十じゃ利かないかと」
「ひ、ひぃっ!」
アッシュヴェルの言葉を聞いたゲラウが、顔を真っ青にして跳び上がる。
一方のシュガは、怯えた目で足元に転がる無数の骨を見ながら、震える声で呟いた。
「ひょ、ひょっとして……この骨の持ち主たちも、俺たちと同じように……?」
「恐らく」
シュガの声にあっさりと頷いたアッシュヴェルは、頭上遥か高い天井の一角に空いた丸い穴を見上げる。
「彼らも、あそこから落とされてきたのでしょう。あの祠に祀られている――いいえ」
そう言って一旦言葉を切った彼は、すっと腕を伸ばして地底湖の中心を指さした。
「――この湖に棲んでいる、あの“祖神様”とやらに捧げる供物……生贄として、ね」
「「――ッ!」」
アッシュヴェルの声にハッとして、彼の指さす先に慌てて目を向けたふたりは、地底湖の真ん中に現れたそれを見てあんぐりと口を開ける。
「な、何ですかあれは……っ?」
「で、でけえ……ッ!」
彼らの目に映ったのは――一匹の巨大な蛙の化け物だった。
その醜悪な面構えや体つきは、良く目にするヒキガエルと大して変わりが無かったが、その体は、シュガはもちろん、巨漢のゲラウよりも遥かに大きい。
まるで、地底湖の真ん中に聳える小山のようだ。
大蛙は、その巨大な目玉をギョロギョロと動かしながら、周囲を睥睨するようにゆっくり首を巡らせている。
「……どうやら、まだこちらを見つけてはいないようですね」
そんな大蛙の様子を注意深く窺いながら、アッシュヴェルが潜めた声でふたりに言った。
「恐らく、この地底湖の暗闇のせいで視力をほとんど失っているのでしょう。今のうちに距離を取って身を潜めましょう。ふたりとも、出来るだけ音を立てないように――」
「ひ、ひいいいいいぃぃっ!」
アッシュヴェルの囁きを遮るように、ゲラウが恐怖で震えた叫び声を上げる。
彼は、その場でくるりと踵を返すと、
「しゅ、シュガ! あとはテメエに任せた! あの化けカエルを足止めしとけぇ!」
と相棒に言い残して、足を縺れさせながら逃げ出した。
「え、ええっ? ちょ、ちょっと、ゲラウさ――もがっ!」
「シュガさん、しっ!」
慌ててゲラウを大声で呼び止めようとしたシュガの口を、アッシュヴェルが手で塞ぐ。
「音を立てたら、あのカエルさんに見つかってしまいます! ……あ、ダメだ」
最後の諦め声は、自分たちではなくゲラウに向けられたものだった。
彼が立てた悲鳴と駆け出す音に、大蛙がピクリと反応するのを見たからだ。
「……ゲコォ」
地を這うような低い声で短く鳴いた大蛙は、足元に転がる骨を踏み砕きながら一目散に逃げるゲラウの方にゆっくりと首を巡らし、大きく身を縮こまらせた。
次の瞬間、
「ゲコオォォォォ――ッ!」
と咆哮しながら、後ろ脚で湖底を蹴って大きく跳躍する。
そして、たった三度の跳躍で逃げるゲラウの前に着地した。
「ひ、ひ――っ!」
突然目の前に立ち塞がった大蛙を前に、ゲラウは尻餅をつくようにその場でへたり込み、その巨体を絶望に満ちた目で見上げる。
「た、助け――うわあぁぁぁ――っ!」
ゲラウの命乞いは、途中で絶叫に変わった。
大蛙の口から鞭のように撓りながら飛び出した舌が、彼の体に巻きつき、その自由を奪ったからだ。
「ひっ……や、やめ……やめて……くれぇ!」
半泣きで必死に踏ん張ろうとしたゲラウだったが、そんな抵抗も全く意に介さぬ様子で、大蛙は彼の体を巻きつけた舌に力を入れる。
――鎧を合わせれば優に百ケイグはあるはずのゲラウの体が、やすやすと持ち上がった。
「い、嫌だ! 放せ! 放してくれぇ! 畜生! 死にたくないぃっ!」
ゲラウは、半狂乱で叫びながら、何とか舌の拘束から逃れようと必死で藻掻く。
……が、
「あああああ! やめてやめてぇッ! やめ――」
彼の断末魔の絶叫は、大蛙の喉が鳴らした下品な嚥下音によって掻き消されたのだった……!




