第十一話 クエストと罠と供物
「痛たたたた……」
シュガに手を引っ張られてようやく立ち上がったアッシュヴェルは、強かに打ちつけた腰を頻りに擦りながら、痛みで顔を顰めた。
「いやぁ……お恥ずかしいところをお見せしました」
そう言いながら、アッシュヴェルはバツ悪げに濡れそぼった灰色の髪を指で搔き上げる。
「せっかくおふたりから少し離れた位置にいたおかげで罠に嵌らずに済んだっていうのに、ゲラウさんの呼び声に答えようと身を乗り出した拍子にうっかり足を滑らせてしまいまして……僕も落っこっちゃいました。テヘペロ」
「『テヘペロ』じゃねえよ、このクソボケ番犬!」
照れ笑いを浮かべながらペロリと舌を出したアッシュヴェルを、こめかみに青筋を立てたゲラウが怒鳴りつけた。
「テメエが上に残ってりゃ、オレたちにロープを垂らすなり何なりさせて助かる事が出来たってのによぉ! マジで使えねえ奴だな! そんなんで、良くクエスト監視人が務まってんな、マジで!」
「いやぁ、ぶっちゃけ良く言われます。ははは……」
「笑い事じゃねえよ!」
「ちょ、ちょっと、ゲラウさん! 落ち着いて下さい! 今アッシュヴェルさんを責めてもしょうがないですって!」
憤怒の形相を浮かべ、ヘラヘラ笑っているアッシュヴェルに掴みかかろうとするゲラウを必死に止めるシュガ。
「今はとにかく、ここから脱出する方法を見つけるのが先決です! ケンカなんてしてる暇ありません!」
「シュガさんのおっしゃる通りですよ、ゲラウさん」
何故かしたり顔で、アッシュヴェルがシュガの言葉にうんうんと頷いた。
「起こってしまった事は仕方ありません。過去を悔やむよりも、未来に目を向ける方がずっと建設的ですよっ!」
「あなたはさすがに少しは反省してて下さいっ!」
アッシュヴェルの言動に思わずイラっとして声を荒げたシュガは、途方に暮れた顔で頭上を見上げる。
ヒカリゴケの青白い光に照らし出されたごつごつした岩肌の天井の真ん中にある真っ暗な闇――ついさっき自分たちが落ちてきた穴に焦点を合わせた時、ふと彼は違和感を覚えた。
「……あれ?」
そう声を漏らした彼は、鼻からずり落ちかけた丸眼鏡を外し、レンズに付いた水滴をマントの裾で拭いているアッシュヴェルに視線を戻す。
「そういえば……アッシュヴェルさん、さっき……さらっと妙な事を言ってましたよね?」
「妙な事?」
シュガの問いかけに、アッシュヴェルはキョトンとした顔で首を傾げた。
そんな彼に、シュガは先ほどの会話を思い返しながら言葉を継ぐ。
「確か……自分が俺たちと離れた場所にいたおかげで、罠に嵌らずに済んだって……」
「え? あ~……はい」
拭き終わった眼鏡をかけながら、アッシュヴェルはシュガの言葉にあっさりと頷いた。
「確かにそう言いましたよ。――それが何か?」
「いや……『それが何か?』って……」
戸惑いながら、シュガは遥か頭上に空いた大きな穴を指さす。
「まさか……あの穴が開いたのは、仕掛けられた罠だったって事ですか?」
「ええ。そういう事です」
と、もう一度頷いたアッシュヴェルは、苦笑いを浮かべながら肩を竦めてみせる。
「まあ……あの仕掛け穴は最後の仕上げみたいなもので、僕たちはもっと前から罠にかかっちゃってたみたいですけどねぇ」
「も、もっと前からっ?」
アッシュヴェルの言葉に驚愕するシュガ。
「じゃ、じゃあ……いつから俺たちは罠に……?」
「恐らく――あなたたちが今回のクエストを受けた瞬間……いや、それよりも前。ミフィーテの村長さんが申請したクエスト依頼をファルディス冒険者ギルドが受理した時から」
「は、はああぁっ?」
ゲラウが、アッシュヴェルの答えに素っ頓狂な声を上げた。
「そ、それじゃ……あのミフィーテのハゲ村長が、オレたちをハメたって事かっ?」
「まあ、そういう事になります。いやぁ、困っちゃいますよねぇ」
「いや、そんな他人事みたいに……」
あっけらかんと答えるアッシュヴェルに思わず呆れ顔になるシュガだったが、「でも……」と眉を顰める。
「どうして、ミフィーテの村長はそんな大掛かりな罠を仕掛けたりしたんですかね……?」
「ああ、それなら大体察しがつきますよ」
「え?」
そう言ったアッシュヴェルは、おもむろにシュガの後ろを指さした。
「そこ見て下さい」
「え?」
シュガは、戸惑いながら背後を振り返る。
彼の目に映ったのは、この聖廟まで自分が背負子で運んできた供物の箱だった。
聖廟の床が抜けた時に彼らと一緒に落ちてきた箱は、横倒しになって半分水の中に沈んでいる。
激しい衝撃を受けたせいで外れてしまった蓋の隙間から、箱の外へ零れ落ちているのは――、
「な、何だこりゃ?」
当惑の声を上げながら、ゲラウが水の中に沈んだ“供物”のひとつを手に取った。
しげしげと“供物”を見た彼だったが、すぐに目を剥き、
「た、ただの石コロじゃねえか!」
と、驚愕の声を上げる。
彼の言葉通り、それは何の変哲もない拳大の石だった。
「え……?」
ゲラウの言葉に驚いたシュガが、転がっている箱をひっくり返して中身を全部出したが、中に入っていたのは全て、ゲラウが手にしたものと同じような石だった。
「こ、これは……一体?」
澄んだ水の中に沈む大量の石榑を見下ろしながら、シュガが呆然と呟く。
「ど、どう見ても、これは供物なんかじゃないですよね……?」
「まあ、そうですねぇ」
「じゃあ……“聖廟の神に供物を捧げる”っていうクエストの目的自体が嘘……?」
「――いいえ」
シュガの言葉に、アッシュヴェルは小さくかぶりを振った。
そして、自分たちから五十エイムほど離れた水面にじっと目を凝らす。
――静かだった水面が少しずつ波立ち始め、ゴボゴボと音を立てながら、気泡がいくつも浮かび上がってきた。
「“供物を捧げる”というクエストは本当で、あなたたちは見事目的を達成したんです」
「え……?」
いまいち要領を得ないアッシュヴェルの言葉に混乱しながら、シュガは足元に転がる箱と石榑を指さす。
「やっぱり、これが“供物”って事ですか?」
「いいえ」
アッシュヴェルは、どんどん激しくなる水面の波立ちと数を増す泡に険しい目を向けたまま、シュガの問いかけにきっぱりと首を横に振った。
「“供物”というのは、そっちじゃなくって――」
そう言いながら、彼は――自分とシュガたちを順番に指さす。
「――僕たち自身です」
次の瞬間――、
まるで爆発したかのような激しい水音と水飛沫を上げながら、水面が大きく盛り上がった――!




