第十話 落下と水面と脱出手段
「う、うわあああああ――ッ!」
突然踏んでいた床が無くなり、真っ暗な闇の中に放り出されたシュガは、絶叫を上げながら重力に引かれて下へ下へと落ちていく。
シュガには永遠にも感じられたが、実際はほんの数秒の後――、
“ドブ―ーンッ!”
というけたたましい音を上げながら、彼の体は強い衝撃を受けた。
(み……水……ッ?)
一瞬の混乱の後で、聴覚と触覚で自分が水の中に落ちたのだと察したシュガは、慌てて口を噤んで肺の中に残った空気を押し留めつつ、ぼんやりと明るく見える方に向かって泳……ごうとしたが、ふと違和感に気付く。
(あ……あれ? 思ったより……)
そう訝しみながら、泥か何かが堆積して柔らかくなっている水底に足をつけて恐る恐る立ち上がると、いとも簡単に頭が水面の上に出た。
どうやら、意外と水深が浅かったらしい。ブーツを履いた足が柔らかい水底に沈み込んでも、胸の下あたりまでしか無かった。
溺れる心配が無い事が分かり、ホッと安堵の息を吐くシュガ。
……と、
「ぶ、ぶはああっ!」
彼から三エイムほど離れた水面が弾けるように波立ち、その中から恐怖と焦燥で歪んだゲラウの顔が飛び出した。
「た、た、たた助けてくれぇ!」
「ゲラウさん!」
「お、オレは泳げねえんだ! このままじゃ溺れちま……ぶぐぶぐ……」
「落ち着いて下さい! そんなに深くないです! ほら、足つきますから!」
「ブクブ……え?」
必死の形相で腕をバタつかせていたゲラウは、シュガの声を聞いて、キョトンとした表情を浮かべる。
そして、シュガの言う通りだと気付くと、バツ悪げな顔をしながら立ち上がり――ギロリと彼を睨みつけた。
「ば、バカ野郎! あ、足がつく事くらい最初から分かってたっつーの! その……今のは、テメエをからかってやろうとしただけだ! 真に受けてんじゃねーよボケッ!」
「……アッハイ。そーですか」
二重の理由で顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らすゲラウに冷ややかな目を向けつつ、適当に謝ってみせたシュガは、周囲を見回す。
……どうやら、今ふたりがいるのは、聖廟の本殿があった場所の真下のようだ。
てっきり聖廟があった場所が洞窟の最深部だと思っていたが、どうやらこここそが最奥のエリアらしい。
岩壁に生えているヒカリゴケが発する仄青い光に照らし出されたこの場所は、下手な公営闘技場ほども広く、天井も高かった。
天井――つまり、聖廟の床の裏側である。ゲラウとシュガは、あそこから落ちてきた。
本来なら、墜落したらとても無事じゃすまないくらいの高度があったが、溜まっていた水と底に堆積した柔らかい泥がクッション代わりになったようで、ふたりはほぼ無傷だった。
――それを“幸い”と言えるかどうかは、まだ微妙なところだが。
「……どういう事なんでしょうか、これは……」
遥か頭上にある天井を絶望的な目で見上げながら、シュガが微かに震えた声で呟いた。
ヒカリゴケの光を受けてぼんやりと青白く浮かび上がった天井の中央に、一際深い黒色をした真円が見える。ついさっき、ふたりがここに落ちる原因となった石畳の開口部だ。
「なんで、いきなり石畳があんな風に開いたんでしょうか? まるで……俺たちを――」
「知るか! つか、どーでもいいわ、そんな事ッ!」
シュガが口にした疑問を苛立たしげに遮ったゲラウは、上に向けて懸命に両手を伸ばす。
「それより、このクソッタレな場所から脱出する方法を考える方が先だ!」
そう苛立たしげに怒鳴ったゲラウだったが、どんなに手を伸ばそうとも、遥か頭上の天井にはとても届かない。
……と、
「……あ、そうだ!」
と、シュガがポンと手を叩いた。
「まだ、上にはアッシュヴェルさんがいるじゃないですか! あの人に助けてもらいましょうよ!」
「あっ、そうか!」
シュガの言葉に、ゲラウも目を輝かせる。
「すっかり忘れてたが、確かにあの監視人が居やがったな!」
と、安堵の表情を浮かべながら声を弾ませた彼は、両手を口の前に添え、天井に向かって叫んだ。
「おおいっ、ウォッチドッグ! 聞こえてるかぁっ? さっさとロープかなんかでオレたちを引き上げろ!」
「げ、ゲラウさん!」
シュガが、慌ててゲラウを窘める。
「そ、そんな言い方じゃマズいですって! もし、アッシュヴェルさんが機嫌を損ねたりしたら……」
「……あ、そうか…………チッ」
彼の指摘通り、アッシュヴェルがヘソを曲げたら自分たちが置き去りにされかねないと察したゲラウは、不満げに舌打ちしてから、不承不承言い直した。
「えー……ウォッチドッ……アッシュヴェル――さん! 頼むから、オレたちの事を助けて下さいやがれ!」
「いや、語尾……」
隠し切れていないゲラウのアッシュヴェルの乱暴な言い草にヒヤヒヤしながら、シュガは上からの返事を聞き逃すまいと耳を澄ませる。
……と、
「…………ぁぁぁあああああああああ――ッ!」
エコーがかかった悲鳴が、上の方からどんどんボリュームを増して近づいてきた――と思った数秒後、彼らから少し離れた水面が派手な水飛沫を上げた。
そして、
「……ぶぷぅわぁっ!」
さっきのゲラウと同じ表情を浮かべた顔が、水面の中から勢いよく飛び出してくる。
「た、助けてえええぇぇぇっ! 溺れ……溺れちゃばばぶばばば……!」
「……はぁ」
両手をバタつかせて苦しげに藻掻きながら、灰色の長髪を振り乱して情けない声を上げる男の姿を見ながら、シュガはがくりと肩を落とした。
そして、さすがに呆れと失望を隠せぬ声で、すっかりパニックになっているクエスト監視人に声をかける。
「……いや、普通に足つくんで落ち着いて下さい、アッシュヴェルさん。……はぁ~……」




