ディルニアスの求婚 2-4
一番最初の生の時に、彼女とずっと一緒に生きていくのだとディルニアスは決めていた。
決めていたがそれは叶わず、彼女が死ぬ時に恋をしたい、結婚式をしたいと言っていたから、その相手は自分でないと駄目だと、彼女の願いを実現しようと、再び彼女に会うのだと、ディルニアスは心に誓ったのだ。
ディルニアスが今生で彼女とようやく巡り逢えたのだから、例え相手が赤ん坊であっても、婚約をして将来結婚式を挙げる、ということはディルニアスにとってごく当たり前なことであった。
彼女の願いを叶える為に、素敵な結婚式を挙げる為に、とディルニアスは赤ん坊のヴァイオレットと婚約をしてからドレスの生地を集めたり、装飾品となる宝石を探したりと周囲が顔を強張らせる程に何年も何年もかけて結婚式の準備をしてきていた。
「完璧な王子様だと思われてきたが、実は赤ん坊を好む変態だった」
そんな陰口を面白おかしく囁かれていたが、ディルニアスは気にしなかった。しかし意外なことに、ヴァイオレットの母親のマリーベルが毅然と反論した。
「殿下は聖母のごとき慈愛をもって、娘の世話をしてくださっています。実際に目にしている立場として、そこに恋愛感情はないと断言いたしましょう。寧ろ、あなた方は何度我が子をその腕に抱いているか言えますか? 一度? 二度? まあ、数を数えられる程度ですか」
ディルニアスは、マリーベルの言葉に驚いた。
自分を庇ったことにではない。こんなに彼女が、ヴァイオレットが、愛しくて可愛らしくて大事で少しも離れていたくないのに、恋愛感情はない、と断言されたことに驚いた。
ではこの自分の想いは何なのか?
「それこそ愛情、慈愛でしょう」
あっさりとマリーベルに答えられ、ディルニアスは混乱した。
愛情と恋情は違うのか?
「違いますよ」
何がどう、違うのか?
「わたくしは、殿下に恋をしませんでした。王子であっても、綺麗な顔であっても、頭が良くても恋をしませんでした。恋とは、条件でするものではないと思います」
意味が分からない。私はずっと彼女を待っていた。彼女であれば良い。私は彼女に何も条件など────。
「それですわ」
それ?
「『彼女』であるから恋をする、とご自身で条件を設定していらっしゃるように思えますが」
マリーベルの指摘に、ディルニアスは何も言えなくなった。むきになってしまい、ヴァイオレットを「ずっと待っていた」と言ってしまったことにも、それに対してマリーベルが怪訝な顔もしていないことにも気が付いていなかった。
「殿下は噂通りに赤ん坊を好む方なのですか?」
そんな訳がない。
「では、赤ん坊に恋情を抱けないのは普通のことかと思います」
確かに、と納得したディルニアスであったが、分からなかった。
「恋とは、どんなものだ?」
マリーベルは眉を顰めそうになったが、何とか堪えた。
「殿下、そのようなことを淑女に尋ねるのは」
「君とマクシミリアンは、恋に落ちた筈だ。どうやって恋に落ちた? どうして恋だと思った?」
「まあ、殿下」
縋るような目でディルニアスに見つめられ、マリーベルは淑女の微笑みを浮かべた。
「恋心というものは、人によって違うものですわ」
その後は、どう質問をしても微笑むだけのマリーベルに、ディルニアスは諦めた。
ディルニアスだって、言葉としてなら知っている。恋愛小説には、「雷がおちたような」「時間が止まった」「矢で射抜かれた」「心臓が苦しい」そんな描写を多数みてきたが、どれも想像しづらかった。
何だか痛そうな描写を、ディルニアスは不思議に思う。
恋とは、楽しいものではないのだろうか?
ディルニアスは、なんとなくそう想像していた。だからこそ、赤ん坊の彼女に会うのが嬉しくて、楽しくて仕方がないからこそ、自分は彼女に恋をしていると思っていた。
なのに。
「恋情ではない」
自分の感情を否定されて、ディルニアスは戸惑い、苛立った。
勝手に人の気持ちを決めつけるな。俺がどれだけ彼女と出会えることを渇望し、望み、願っていたか知りもしないくせに────!
「ふ……ぇぇえ、ぅんぎゃぁぁっ! んぎゃああぁぁっっ!」
「……ああ、ごめんよ。怖かったかい? あなたに向けた感情じゃないよ?」
突然腕の中で泣き出した赤ん坊に向けて、ディルニアスは微笑みかけながら軽く揺らせた。
しかし、赤ん坊は泣き止まない。火が付いたように激しく泣き続ける。
代わろうと歩み寄って来る乳母を躱すように背中を向けて、ディルニアスは庭へ出ようと窓の方へ歩みを進めた。
「ああ、分かったよ。大丈夫だ、約束する」
ディルニアスは困ったように眉根を寄せながら、そっと赤ん坊に優しく囁いた。
「あなたの許可なく、あなたの家族を殺すことはしないよ」
前の生では、親に二度も殺された。一度目は山に置き去りにされ、二度目は崖から落とされた。
彼女が助けてくれなければ、自分は死んでいただろう。
彼女だけが、自分を助けてくれた。
だから、今度は自分の番だ。
自分が彼女を守り、助けるのだ、とディルニアスは思っていた。
優しい彼女が辛い目に遭わないように、今度こそは皆から大切にされ、慈しまれ、愛されるように。
ディルニアスは細心の注意を払い、赤ん坊に近づく者を警戒し、食事や衣服なども吟味した。
その様子は、まるで子猫を守る為に飼い主にも毛を逆立てる親猫のようだった。
そんなディルニアスの姿を間近で見ていれば、皆、ディルニアスが赤ん坊に恋心を持っているのではない、ということはよく理解できてしまった。
ただ、ディルニアス当人だけが違いを理解出来ていなかった。
ディルニアスは親からの愛情を知らなかったからだ。
何度も生まれ変わったが、全ての親兄弟たちは皆ディルニアスの優秀さを疎ましく思ったり、気味悪がったり、神聖視したりと、様々な感情によってディルニアスは疎外されてきた。
家族というものに、何の意味も感情も見出せないディルニアスは、今生では自分から親に対して距離を置くようにしていた。
だからディルニアスには、親子や家族の愛情というものが分からなかった。
赤ん坊に何の見返りも求めず、衣食住に気を配り、安全な場所に囲い込み、笑顔に癒され、成長を喜び、幸福を願って慈しむ。
それは、父親のような、母親のような愛情であると見られていたが、ディルニアスには分からなかった。
大切な存在。
ただただ大切な愛しい人。
小さな命。
弱い存在。
自分が守らねばならない人。
そう、思っていた。
あの日。
お茶会で、ヴァイオレットが見知らぬ子供に髪を引っ張られて泣いた日。
その瞬間、ディルニアスは前世での光景がまざまざと目の前に浮かびあがった。
彼女が、兵士たちからの理不尽な攻撃に、大きな身体を小さく丸めて、ひたすらに耐えていたこと。
自分は何の力もなく、見ているだけしか出来なかったこと。
もう、あんな想いを。
あんな仕打ちを。
彼女にはさせないと。
守ると。
誓ったのに────!
そこからは、自分が二つに分かれてしまったような感覚だった。
必死に自分を止めた護衛騎士やライアンに礼を言える理性がある自分。
そして、もう一人の自分は────。
「ヴィ、とても怖かったね」
ぎゅうっとヴァイオレットを抱きしめながらも、ディルニアスは震えが止まらなかった。
怖かった。
やはり自分は彼女を守れないのかと。
彼女に理不尽な暴力が降りかかるのではないかと。
彼女が辛い思いをするのではないか。
悲しい目に遭うのではないか。
再び、彼女が居なくなってしまうのではないか。
怖くて。
怖くて。
それならば、いっそのこと────。
「でぃーは、だいじょうぶ?」
縋りつくようにきつく抱き締めていた手に小さな手を添えられ、ディルニアスは自分を心配そうに見上げる紫水晶色の瞳に気が付いた。
ディルニアスは、泣きそうになった。
自分でも何故だか分からないが、自分の今の気持ちを全てぶちまけて、いかに自分が恐怖を感じているか、と泣き叫びたくなった。
しかし、三歳の幼女相手にそんなことは出来ない……というよりも、ヴァイオレットに無様な姿を見せる訳にはいかないので、ディルニアスはぐっと唇を噛んで耐えた。
けれど、よく、分かってもいた。
自分は今、ヴァイオレットに甘えようとしたのだと。
紫水晶色の瞳を見た途端に安堵を覚えたのだ。
自分を心配してくれる存在など、彼女しかいないのだから。




