File.9 消えることのないオレンジの炎
俺は重い足を引きずりながら、とある建物の前まで辿り着いた。『グリーンハウス研究所』。この神経質までに白い建物が、この町を狂わせたんだ。
「ウクフフフ、来たわネ。あれ? あのお姉サンは一緒じゃないノ?」
研究所の門から、パンジーが飛び降りる。工場見学に来た子供みたいな笑顔だ。闇の中から、一つ目の展示物、ピクルスが現れる。最悪のツアーだな。こんなもので入場料取るのかよ。
「どうでもいいだろ、そんな事。お前らにとっては餌がこっちから来たんだから好都合だろう?」
「物分かりがいいオニクだネ! じゃあピクルス! 食べやすいようにカットしちゃおウ!」
ピクルスが裂けた口を開き、突進してくる。俺は発砲するが、ピクルスは銃弾が食い込んでもびくともしない。ピクルスは爪を振り上げる。俺はピクルスの爪の一撃を躱し、ピクルスの背中に飛び乗った。爪が雨合羽を捕らえ、引き裂く。切れ端がピクルスの顔にかかり、ピクルスの動きが急に止まる。俺はピクルスの背中にナイフを突き立てた。ピクルスは滅茶苦茶に爪を振り回した。鎌のように鋭い爪が、俺の脇腹を引き裂く。
「うぐわぁっ!」
ナイフが抜け、俺は地面に振り落とされる。ピクルスは首を振り、切れ端を振り解いた。怒りに染まったピクルスは、俺を前足で押さえつける。爪が両胸に食い込んだ。なんて馬鹿力だ。ピクルスの口が開かれ、剣山のような牙が露わになる。強力な酸の涎が垂れ、俺の服を焼き焦がす。俺はナイフを握りしめ、ピクルスの目玉目がけて突き刺した。葡萄を潰すような気持ちが悪い感触とともに、緑色の血が弾け飛ぶ。ピクルスが大きくのけ反り、俺の胸から爪を引き抜く。俺は脇腹を押さえながら立ち上がる。ピクルスは長い舌で、目玉から溢れる血を舐め取っていた。
「あ〜もう! オニクなんだから大人しく食べられてヨ!」
パンジーが痺れを切らして両手の口から黒い液体を放つ。粘ついた黒い液体が、俺の周りに撒き散らされる。パンジーは深く息を吸い込み、両手から火炎を吐き出した。黒い液体と混ざり合い、炎は雨の中にも関わらず燃え盛る。いつの間にか炎の中には、俺とピクルスだけがいた。
ピクルスは低い唸り声を上げる。残った目玉が一斉に俺を睨んだ。咆哮をあげ、ピクルスは二本足で立ち上がる。元のレッサーパンダなら可愛かったんだがな。ピクルスは両前足を振り下ろし、地面を砕いた。粉々になったコンクリートの欠片が、俺の頰を掠める。砂煙が雨と混じり、炎の中に漂う。俺は霞んだ視界で、ピクルスを探す。賢いヤツだ。動物園のショーなら大活躍だな。いつの間にか俺の背後にいたピクルスが、俺の肩に食らいついた。牙ががっちりと肩に食い込み、俺は身動きが取れない。子犬がおもちゃを振り回すようにピクルスは首を振り、俺の肉を引き裂く。飽きたおもちゃを捨てるように、ピクルスは炎目掛けて俺を放り投げた。冷たい雨が俺を濡らす。だが、下の方から異様な熱気を感じた。炎が俺を手招きしている。焼き方はミディアムかウェルダンか。グルメな化け物だな。……ごめんな、ジェニファー。俺、お前の分も生きられそうにねぇよ。
「デビッド!」
叫びとともに、誰かが俺の身体を掴み、地面に着地する。誰だ……? 俺が死ぬのを許さないのは。ジェニファー、お前なのか? 顔を上げると、そこにはもう二度と会えない顔があった。
「ロゼッ……タ……?」
「ロゼッタ。……わ……た……し……デビッドと一緒にいたい……デビッドを……守りたい!」
ロゼッタの両目は俺を見ていた。辿々しくも、意思のこもった叫びを、ロゼッタは俺に向ける。ロゼッタは俺を優しく降ろすと、同種の敵を睨む。その目は凶暴な化け物の目じゃない、人間のような目だ。俺はロゼッタに寄り添い、二匹に銃を向ける。たった今、俺にも生きる意味ができた。ロゼッタと一緒にいたい。それだけだ。




