File.8 別れは苦いブラック
ろくに人をおぶった事がないからな。人ってもんはこんなに重いのか? いや、単に俺の体力不足か。ロゼッタの分の雨合羽も用意した買ったが、俺がこの雨に打たれたら一巻の終わりだからな。ロゼッタには悪いが、風邪をひかない事を祈ろう。クロロノイド達は幸い徘徊していない。今襲われたら抵抗もできないな。
遠雷が聞こえてくる。本格的に降ってきたな。一体何日間、この雨は降り続けているのだろう。この雨を止める術も見つけたい所だが、今はロゼッタを助けるのが先だ。絶対に助けてやる!
しばらく歩くと、町はずれにある空き家が見えてきた。コンクリート造りで、スーパーよりはこじんまりとしているが、安全そうだ。だが、俺の足取りは重くなり、視界が歪み始める。パンジーにやられた傷が、熱を帯びたように痛む。今ここでくたばったら、ロゼッタと共倒れになっちまう。あと少し、もう少しもってくれよ。気持ちとは裏腹に体はふらつく。背中から血が滲み、赤い血の跡を作った。目の前が暗闇に閉ざされ、俺の意識は段々暗闇の中へ誘われていく。……くそっ。俺は……また誰も助けられないのか。俺には何もできないのか。ロゼッタ…………。薄れゆく意識の中、誰かの声が聞こえてくる。だが、それも束の間、糸が突然切れるように、俺の意識は飛んだ。
目を開けると、周りにはクロロノイド達の死体が転がっていた。緑色の血が、俺の服に飛び散っている。ナイフにも、拳銃にも、返り血がこびりついていた。また夢か? 俺は腰から拳銃を取り出し、自分の額に当てる。冷たい感触が額の中心から広がった。夢じゃないのか? そんな筈はない! 俺はロゼッタを助けようとしていたんだ! だが、額に当てられた銃は冷たい。震える手で、俺は引き金に手をかける。
その時、けたたましい咆哮が聞こえてくる。クロロノイドか!? 聞き慣れた声に、俺は反射的に銃を構え、発砲する。暖かい返り血が顔を濡らす。銃を下ろして見えたのは、血に塗れて横たわるロゼッタだった。
「ロゼッタ!?」
俺は銃をしまい、ロゼッタに駆け寄る。ロゼッタの胸元からは、緑色の血がどくどくと溢れていた。彼女の青い薔薇は、銃弾に抉られて散っている。俺はロゼッタを抱き起こし、何度も名前を呼んだ。だけど、ロゼッタは目を開けてくれない。抱えている筈の体も、感触が消えつつあった。恐怖と困惑に満ちた表情のまま、ロゼッタは俺を見ている。ジェニファーと同じ緑色の瞳で。
「そんな……俺が……俺がやったのか?」
返り血が冷たくなるにつれて、俺の背筋も凍りつく。ふと、自分の銃を見ると赤黒い血が付着していた。回りを見渡すと、クロロノイドの死体達は赤い血を流す人間に変わっている。彼らから流れる血は、お前のせいだと言わんばかりに俺の足元に広がってきた。恐る恐る、俺は嫌な予感を拭うように自分の頬を撫でる。手にはべっとりと、足元と同じ赤い血が付いていた。
「嘘だ……。俺は……俺は……」
胃を掻き回すような吐き気に襲われ、俺はその場に崩れ落ちる。死臭の混じった血の匂いが、鼻の中に残り続けた。お願いだ、嘘だと言ってくれ。俺はロゼッタの顔を覗きこむ。その時、心臓を撃ち抜かれたような感覚が走った。
「ジェニ……ファー……?」
ロゼッタの顔はそこにいる筈もない、ジェニファーに変わっていた。朽ち果てた赤い薔薇の花びらが、胸いっぱいに散っている。代わりに放射状に広がる血の跡が花を咲かせていた。動かないジェニファーを見て、俺は後ろにへたり込む。
「ウ……ソ……だ。オレは……オレはっ!」
あの時と同じだ。俺がジェニファーを……。永遠に目覚めないジェニファーの前で、俺は立ち尽くしているしかなかった。
「ド……。デビ……ッド!」
誰かが俺の肩を揺らす。死神のお迎えか? 死神っやつはもっと嗄れた声だと思ったんだけどな。ずいぶん可愛い死神だ。
「起……きて。起きて!」
聞き覚えのある声に、俺は耳を疑った。ロゼッタ? お前もやっぱり死んじまったのか? お前はなにも、地獄まで俺に付いてくる必要はないんだぞ。お前を殺した俺なんかにはな。
「起きて! デビッド!」
頬を押さえられ、俺は驚いて目を開けた。霞む視界に、緑色の顔が入ってくる。そいつは目から水を垂らして、俺を見ていた。
「ロゼッ……タ?」
「デビッド、すっごく辛そう。大丈夫?」
俺の顔に浮かび上がった汗を、ロゼッタは拭う。熱を帯びていた顔を、ロゼッタの冷たい手がなぞる。その時だけは悪夢を忘れることができた。黒焦げだったロゼッタの手は、みずみずしい緑色になっている。まるで新しい体に脱皮したように。
「お前、なんともないのか?」
「うん、あの雨、飲んでたら体、良くなった」
ロゼッタは自分の体を見回す。水分をたっぷり含んだ茎みたいな体だ。あの雨を降らせたやつはノーベル賞と国際手配賞を同時に貰えるぜ。俺は起きあがろうと、体を動かす。だが、体を捩った瞬間、背中に焼きつくような激痛が走った。呼吸の度に背中の痛みは燻る。
「デビッド、怪我してた。まだ動いちゃ、ダメ」
ロゼッタは俺を寝かせる。それにしても、ここはどこだ? 辺りを見回すと、外れかかった窓に、穴の空いたタンス。どうやら廃墟みたいだ。俺はベッドの上に寝かされている。ロゼッタがここまで運んでくれたのか。ロゼッタの足元には乱雑に散らばった医療器具があった。背中に手を当てると、包帯が巻かれている。ロゼッタが巻いたのか。やっぱりロゼッタは段々、人間の頃の記憶を取り戻しつつあるのか?
「ロゼッタ、お前はこれからどうするんだ?」
俺の問いに、ロゼッタは困ったように首を傾げる。口をパクパクさせ、頭を捻っていた。
「……分かんない。でも、デビッド、一緒」
「……そうか。お前の記憶が戻る手がかりがあればいいんだがな」
俺はベッドの上にうつ伏せになる。背中の包帯からは、真新しい血が滲んでいた。俺の傷も治ってくれりゃいいんだがな。
ロゼッタは甲斐甲斐しく俺の背中の傷を見ていた。何かに誘われるように、ロゼッタは俺に一歩ずつ忍び寄る。牙をみせ、瞳が肉食獣のように見開かれた。俺は無意識にロゼッタに銃を向ける。ロゼッタはあれほど恐れていた筈の銃のギラつく光にも目もくれず、俺の肩を押し倒した。唸り声を上げ、俺の喉笛を噛みちぎろうと牙を剥くロゼッタ。爪を食い込ませ、ロゼッタは涎を垂らす。悪い予感が当たった。理性のぶっ飛んだロゼッタは、俺の頸動脈まっしぐらに食らいつこうとする。俺は拳銃をロゼッタの額に突きつけた。脳裏に悪夢が重なる。ロゼッタの瞳には、俺は映っているのか? ただの肉として映っていればいいが。
「……ロゼッタ、悪く思うなよ。いつかはこの時が来るんだ」
冷たい銃口が額に当たると、ロゼッタの動きが止まった。俺の頬に何かが垂れる。それは涎じゃない、ロゼッタの涙だ。瞳孔に理性が戻り、ロゼッタは恐る恐る後ずさる。恐怖に瞳を震わせ、俺の銃を見ていた。
「デビッド……」
ロゼッタは俺から一歩ずつ離れようとする。このままだと、雨音にロゼッタが消えちまいそうだ。俺は引き止めようと手を伸ばした。ロゼッタはその手に噛みつこうとするが、代わりに自分の腕に食らいつく。悲鳴を上げ、腕から緑色の血が滴った。ロゼッタは俺の手を拒絶し、部屋を出ようとする。口を両手で押さえ、漏れ出る涎を抑えた。
「待て、ロゼッタ。俺は……」
俺の声を振り切り、ロゼッタは外へと走り出す。雨が降り頻る中、俺は一人になった。
雨の中また一人だ。もうこんな地獄にいる意味はない。これでいいんだと、俺は自分に言い聞かせ続ける。拳銃をこめかみに当て、俺は目を閉じた。最初からこうすればよかったんだ。大切な人もいない。俺を知る人もいない。俺はロゼッタに……ジェニファーにあんな顔をさせたかったのか? 早くいなくなってしまいたい。俺は引き金に手をかける。
……撃て。撃っちまえよ。撃ったらジェニファーに会えるんだぞ。俺が殺したジェニファーに。畜生! 簡単だろ! 今まで何回ソイツを引いてきたんだ!? 早く引けよ臆病者! 人殺し! 心の中で罵声が虚しく響き渡る。一人なのに……生きる意味ももうないのに。本能はまだ……生きたいと叫んでいやがった。
「うぅ……うぅ……」
情けない声が俺の口から漏れる。俺は……できない。ここで死ぬ事も……のうのうと生きることも。銃を落とし、俺は抜け殻のように崩れ落ちた。外で降る雨と似たような、濁った涙が出る。
「全部……全部嘘だったらいいのにな」
壊れたラジオのように、言葉が漏れる。虚ろな俺の瞳は、部屋に侵入してきたクロロノイドを映していなかった。雨水を滴らせ、クロロノイドは背中の蕾を開く。いっそ殺されちまった方が楽かもしれねぇな。俺は無抵抗だ。腹の足しにはならねぇがな。水を吸ってブクブクになった足で、クロロノイドは近づく。背を屈め、クロロノイドは俺に飛びかかった。夢の続きは腹の中だな。
いつのまにか、クロロノイドは緑色の血を撒き散らして倒れていた。俺の手には拳銃が握られ、銃口から煙がたなびく。ベトついた緑色の血が、俺の頰を濡らした。
……そんなに生きたいのか、俺は。俺は血を拭き取り、雨合羽を着た。こんな悪夢でこれ以上生きるのはごめんだ。俺は一人だ。こんな俺でもできることは一つだけある。この雨を止ませることだ。俺は恐れることなく外に出た。勢いを増すこの雨は、俺が晴らしてやる。




