第6話
俺の発言に何かを感じ取ったのか、優太がまだ眠そうな目をこすりながら上半身を起こす。俺はなんとはなしにこたつの上に残っていたビールの残りを口に流し込みながら、優太の反応を静かにうかがう。優太は特段驚くこともなく、いつものような柔らかい笑みを俺に向けてくる。
「何言ってんだよ、英介。俺、そんなに追い詰められてるように見えるのか? 確かに転職活動は上手く行ってないけど、そんなんで気を病むたまじゃないのは英介が誰よりも分かってるだろ?」
「ああ、そうだな。お前はそういう奴だ。明るくて優しくて頼りがいがあって……どんなことがあっても我慢強く相手のことを思い続けられる義理堅い男だ」
「英介、一体どうしたんだ? そんなにおだてられても、なんかやれるほど今俺金持ってないよ?」
「……優太。花純と一ヶ月前オーストラリアに旅行に行ったっていう話は嘘だな?」
優太の瞳が揺れる。
オーストラリアへの留学経験がある俺にバレるとは思わなかったのだろうか? 優太をいぶかしげに見つつ、俺はさらに言葉を続ける。
「メルボルンでコアラを抱っこすることはできない。なぜなら法律で禁止されているからだ」
俺はビールを一口含みゆっくりと嚥下する。
「コアラの抱っこを許可している国はクーンズランド州、西オーストラリア州、南オーストラリア州の三州だけだ。つまり、西オーストラリア州に位置するパースではコアラの抱っこと撮影が可能だが、ビクトリア州に位置するメルボルンではそれができない。コアラの隣に立って写真を撮ることをOKとする州もあるようだが、あくまでもコアラの体調優先だ。まあ、オーストラリアは自然に配慮した国だからな。当然と言えば当然のことかもしれない」
優太は黙ったまま少し困ったような笑みを浮かべている。今思えば、あの時の優太は恥ずかしがっていたのではなく焦っていたのではないだろうか。そうではなかったら、大切な人と旅行に行った場所の地名が出てこないはずがない。
腹の中でうずまく混乱の嵐をなんとかなだめつつ、俺はさらなる気づきをぶつける。
「気になることは他にもある。この前の誕生日に花純からもらったっていうその手帳だ」
「この手帳のこと? もしかして英介もこれが欲しくなった?」
茶化したような笑みを浮かべながらエビチリの残りを口に運ぶ優太を俺は冷静に見つめ返す。
「日付の位置だ」
「日付?」
「その手帳、お前、すごく使いにくいんじゃないのか? 普通の手帳だから」
「えーと、英介? もしかして二日酔いか? 具合悪いんだったら寝た方が……」
「悪いがあの程度の酒じゃ俺は酔わない」
茶番に付き合う気はさらさらなかった。
小さな頃から一緒にいる相手にまたもやすぐバレる嘘をつこうとしている優太に、俺の中でいらだちが募る。
どうしてこんなことをするのか。一体何がしたいのか。積み上がっていく疑問の数々をなんとか飲み込み、俺は再び口を開く。
「俺は日付の位置が左上にある手帳を使い慣れているが、お前はそれだと不便だ。なぜならお前は左利きだからな」
俺は優太の左手に目を向ける。小学校の家庭科の教科書に載っていた写真通りの綺麗な箸の持ち方だった。幼き頃の思い出に懐かしさがつのる。
「それにその右手の腕時計、確か去年の誕生日に花純からもらった左利き用の腕時計だよな? お前が左利きだって知ってる花純が、普通の右利き用の手帳をプレゼントするとは考えにくい。花純なら絶対左利き用の手帳を選んで贈るはずだ」
花純は流行にも聡かった。少し前に話題になった左利き用手帳の存在を知らなかった可能性は低い。何より左利きである優太の恋人だ。優太が普段から左手を利き手として使っている場面をそことなく目にしてきたはずだ。贈り物をするにあたって、相手の生活パターンを考えるのは自然だ。その中で花純が優太の利き手を意識するのは十中八九間違いないだろう。
度重なる俺からの指摘にも関わらず、優太の表情には相変わらず変化がない。
もはやある種の余裕すらうかがわせる態度で、優太は俺を挑発してくる。
「もし仮に英介が言ったことがすべて本当だったとしよう。でもそれが俺が死のうとしていることと一体どう関係してるっていうんだ? 第一、どうして俺がそんな多くの嘘を英介につく必要がある? 付き合いの長い俺たちにとっては全部無意味じゃないか」
優太の言葉に俺はようやく覚悟を決める。
まだ続きそうな水掛け論じみたやりとりに終止符を打つため、俺は部屋の隅にある備え付けクローゼットの扉に手をかける。
「もうやめろ。俺にはすべて分かってる」
「……!」
扉を開けた瞬間、優太の顔が凍りついた。




