4.理由
レイリー殿下と婚約した年、秋が深まってもうすぐ冬になる頃、わたしのひいお祖父様、エルシエン老公爵が亡くなった。
特に悲しみは湧かなかった。普段、老公爵とは接する事が殆ど無かったし、わたしとお母様は離れで暮らし、老公爵は本館で暮らしていたせいもある。お父様の様にこっそり会いに来る事もなく、偶に会う事があってもじっとこちらを見つめるだけだった。
―――値踏みされている。そんな風に感じる瞳だった。
わたしやお父様と同じ紫色の瞳だったが、特に親しみのない、わたしにとって関係のない人。
だが。
「老公爵閣下が亡くなられてしまった…!」
知らせを受けたお母様は落ち着きなく部屋を歩き回っていた。
「お母様、落ち着いて下さいませ」
わたしの言葉にきっ!と顔を向け、お母様は怒鳴る。
「フリーダ!貴女と血が繋がっていた唯一のエルシエン公爵家の方だったのよ?老公爵閣下が亡くなって、貴女の命運はエルシエン公爵の気持ち一つになってしまったの!!!」
「…!」
お母様に言われて、初めて気が付いた。そうだ。お父様はわたしを排除したくても老公爵がいるから出来なかったのかもしれない。
「貴方がレイリー殿下の婚約者である以上、離婚などとても出来ないし…どうすれば…」
お母様はそう言って歯噛みした。
―――老公爵がいるからわたしに優しくして下さっただけ?
その考えは合っている様な気もして胸が冷える様だった。
否定の言葉を言いたいのに、言えばお母様はまた気分を害するだろう。
わたしはお母様に何も反論出来ずに、ただ歩き回るお母様を眺める事しか出来なくなってしまった。
気が重くなる様な曇天の空の下、エルシエン老公爵の葬儀は先々代公爵家当主に相応しい規模だった。
葬儀を取り仕切るお父様の顔は無表情で、その気持ちは伺い知れず。お母様は未来の心配をし、気もそぞろの様で、わたしと話す余裕も無い様だった。
―――家族が直ぐ近くにいるのに独りになってしまった様―――
そんな気持ちなのに、弔問客の応対はしなければいけない。
基本的にはお父様とお母様が挨拶を受けるが、年齢が近い未成年の子女からはわたしが受ける事もあった。
その中の1人の令嬢が私に囁いた。
「老公爵閣下が亡くなってお可哀想に。御愁傷様でした。―――ところでエルシエン公爵閣下には市井に別のご家族がいるとか?老公爵閣下がいなくなられたのだし、お呼びするのかしらね?」
はっとした顔のわたしに令嬢は口元に微笑を含ませ、大変ですね。と告げてするりと挨拶の列から抜けて行った。
何を言い返す間もなく、次の弔問客がやってくる。
言われた事がぐるぐると回る。―――そんな話は聞いた事がない。言われた事もない。
…お父様には別の家族がいるのだろうか?
もしそうなら、老公爵がいなくなれば―――
わたしがそんな事を考えていると、周囲が一瞬ざわついたのを感じた。
レイリー殿下。という言葉が聞こえる。
はっと顔を上げると妃殿下とレイリー殿下が会場に来ていらした。
叩き込まれた令嬢の歩き方で優雅に、でも急ぎ足で向かう。
「この度は先々代のエルシエン公爵家当主の為に足をお運び頂き、誠に感謝に堪えません」
「老公爵には良くして頂いたもの。旅立たれて本当に残念な事」
お父様と妃殿下が挨拶をしている横で、わたしはレイリー殿下と視線を合わせて、少しだけ微笑んだ。
―――レイリー殿下もわたしに合わせて微笑んでくれた。
ただ、それだけで心が軽くなった。
うん。レイリー殿下には申し訳ないけど、可愛い。レイリー殿下が可愛い物を欲しがるのも分かる。可愛いのは正義だ。
「―――ねぇ」
わたしと殿下で微笑み合っていると、妃殿下がわたしに声をかけてきた。
「レイリーとフリーダ嬢はとても仲が良いですし、公爵家ではなく王城で暮らしてはどうかしら?」
お母様の息を呑む音が聴こえた。
―――それは、とても、困る。
「妃殿下、恐れながらフリーダは余り身体が強くなく―――」
「貴女に聞いていなくてよ。エルシエン公爵夫人」
反対の声をあげたお母様をぴしゃりと妃殿下が冷たい声で遮る。ね?と妃殿下はお父様に微笑みかける。
「良い考えだと思うの。すこぉし早いかもしれないけれど、いずれは一緒に暮らすのだし、ね?」
お父様は受けるのだろうか?断るのだろうか?お父様が答える迄の時間がとても長く感じた。
―――わたしの性別が偽れているのは、公爵家の離れで暮らし、限られた使用人しかわたしの事を知らないからだ。王城なんてとんでもない。
息を呑んで待つわたしとお母様をよそに、お父様はあっさりと答えた。
「…大変光栄なお話ですが、まだまだ可愛い盛りの娘と離れて暮らすのは耐え難いのでご寛恕ください」
にこりと断ったお父様に妃殿下はおっとりと驚いた顔をする。
「あら、本当に仲が宜しいのね?」
「ええ。可愛い娘です」
そうなの。それでは仕方がないわね。と妃殿下はアッサリと引き下がってくれた。
とても緊張した。
お母様とわたしは、息を吐いた。
しかし、何故あっさりと断ったのかお父様の気持ちが分からず、ちらりと伺ってしまう。
お父様と目が合った。そのままわたしに声をかけてきた。
「フリーダ、カーミラが疲れているようだ。休憩場所まで連れて行っておあげなさい」
確かにお母様は顔色が悪かった。お母様は普段からお父様と目線すら合わせる事もなく、ろくにお父様を見ていないのに、お父様はお母様の様子をよく見ている。
なんだかとても、気持ちの収まりが悪く、もやもやする。
「私も一緒に行こう」
レイリー殿下もそう言って、付いてきてくれた。嬉しさに、もやもやした気持ちは霧散してしまった。先程のやりとりの緊張も解けたのもあって、顔が緩むのが分かる。
「有難う御座います。…?殿下も顔が赤いですが大丈夫ですか?」
「…!なんでもない!さぁ、行こうか」
休憩場所まで歩き出したわたしに、妃殿下の声が耳に流れてきた。
「それにしても、可愛い娘なら、何故公爵夫人とフリーダ嬢は離れに住んでいるのかしら?」
それはお母様がお父様を警戒しているせいだ。でもお父様はなんて答えるのか気になった。
「…本館は、妻にとって良くない思い出の場所ですから―――」
あの人は家の中で後ろから刺されていた!
あ。
お母様の叫び声を思い出した。
そしてわたしは今さら気づく。
本館は、血の繋がったお父様が亡くなった場所なのだと―――。
葬儀が終わって暫く、たまに見かけたお父様は忙しそうで、いつもの中庭に来る事は無かった。
なんだか色々とモヤモヤとした物を尋ねたくてお父様に話しかけたかったが、お母様は老公爵が亡くなった事で神経を尖らせていたし、わたしが王城で暮らす事をあっさり断った事も不審に思っている様で、中々わたしは自由に動き回る事が出来なかった。
「人知れずいない事にするなら王城より、離れの方がやりやすいから?王城の方が安全?でも…」
同じ事を側でブツブツ呟いていて、うんざりしてしまう。そんな中でレイリー殿下の手紙だけがわたしの癒しだった。
綺麗な字でひいお祖父様を亡くしたわたしを慰めてくれている。レイリー殿下らしい気遣いに溢れた手紙だった。
わたしがきちんと男の子として育てられていたらレイリー殿下の側近になれたのだろうか?そんな未来があったかもしれないのに、叶わない事が嫌になる。
わたしも来年の春に12歳だ。婚約を続けるのは難しいだろう。もうドレスなど脱いでしまいたい気持ちをぐっと堪えて、扉まで歩き、令嬢としての礼をする。
「お母様、レイリー殿下への手紙を出して参ります」
「手紙など人を呼べばいいでしょう」
わたしが1人で出歩こうとする事をお母様は案の定嫌な顔をした。
「イザベラを連れて参ります」
わたしを育ててくれた古参の侍女を連れて行くと宣言しても、母はこちらに向かって歩いてきて阻止しようとする。
「だからイザベラに頼めばいいでしょう」
わたしは苛立っていた。葬儀からずっと、お母様に付き合わせられた鬱憤がついに爆発した。
「陰気臭いお母様と同じ部屋は嫌なのです」
ついにスッパリと宣言してしまった。むすりとお母様を睨みつける。
「いっ…」
ショックを受けて固まるお母様を置いて、わたしはさっさと部屋を出た。
歩き出して暫く、ちらりと後ろを見るとイザベラだけがいて、お母様は付いてきていなかった。
「…言い過ぎたかしら?」
「大丈夫でございますよ」
イザベラは微苦笑と共に優しく否定してくれた。わたしはため息をひとつ付くと、ゆっくり歩きだした。暫くは部屋に戻りたくない。
本館に繋がる外廊下に出た時、中庭でお父様がいるのを見つけた。
いつもの様に茶会の用意をしている訳ではない。庭の縁石に行儀悪く座ってぼんやりしていた。
「お父様?」
普段と違う様子のお父様に困惑したが、話したい事もあり、遠慮がちにわたしは声をかけた。
「…フリーダ?珍しいね。君のお母さんはどうしたの?」
ちょっとびっくりした様に言われる。
老公爵の葬儀が終わってから初めての私的な会話だが、いつもと変わらないお父様に内心とても安堵した。
「…お母様は老公爵閣下が亡くなった後、ずっと塞ぎ込んでいて…。嫌になって部屋に置いてきてしまいました」
ため息をつくのを我慢しつつ少々事実と異なる内容をわたしが答えると、ますますお父様は目を開く。
「え?嘘?あのクソジジイが死んで塞ぎ込んでるの?僕なんかイザベラと紅茶で乾杯したのに?」
…乾杯?
わたしが言われた事を理解するより前にイザベラが大きい咳払いをする。
「旦那様、あまり良くない情報をフリーダ様の耳に入れないで下さいませ」
「あ、はい。すいません…」
あっさりと素直に謝るお父様とイザベラのやりとりに目を瞬いてしまう。
イザベラとお父様が一緒に会話している所は初めて見たのだけれど、結構気安い関係の様な…。
「老公爵閣下はエルシエン公爵家をお守りした素晴らしい方でした。乾杯など、しておりませんよ」
にっこりとイザベラがわたしに宣言する。
その横でお父様は物凄く視線を逸らしている。
「あの、それで、お父様はなんでこんな所に?」
あまり触れていい話題ではないのだな。と思い、別の事を聞く。
「いやー、それがさークソジジイ」
イザベラの咳払いが大きく鳴る。
「…老公爵閣下が亡くなってから忙しいのが一段落して考えてたんだよ。僕は老公爵閣下に何をして欲しくて、何をしたかったのかなーって」
お父様はぼんやりと空を見上げる。今日はいい天気で、青空が広がっていた。
「正直殺してやりたいほど憎んでいたけれど、それはみんなに迷惑がかかるし」
「…」
かなり過激な言葉にわたしは沈黙した。
「それで、まぁ、僕は思ったんだ」
ぽん。と立ち上がったお父様の手がわたしの肩に置かれる。
「まともな父親がいたらやって欲しかった事をうちの子とやればいいと!という事で一緒に街に行こうフリーダ!」
「…え?」
「僕の憂さ晴らしに付き合ってよ。一緒に釣りしよう。釣り」
「…釣り」
「あと虫取りとかしよう」
「…虫取り」
「…お忍びで行くから男の子の格好してくれる?」
「行きます!」
わたしはお父様が何故優しくして下さるのか考えるのをやめた。
*******
そこは慎ましいけれど清潔に保たれた一軒家だった。
お父様に街で遊ぼうと誘われた翌日、わたしは街に行くなりまずここに連れて来られたのだ。
庭も付いており、貴族の館には遠く及ばないが、馬車からたまに見かける平民の家と比較しても、中々大きいのではないだろうか?
見た所、この家は無人なのだが、お父様は着くなり勝手に棚を漁りだした。一緒に付いてきた侍女は何も手伝わされず、少し慌てている。
「あったあった。フリーダ、これに着替えてくれる?2階に部屋もあるから。色眼鏡も出すからかけてね。その眼の色はそのまま出すのはとてもよろしくない」
言われて受け取った服は男の子の服だった。黒が基調で中々格好いいと思う。つい顔が輝いてしまうのが分かる。
「有難う御座います!お父様!ところで、この家はお父様の家なんですか?」
「一応ね。設定上、僕の愛人と子供がいる事になっている」
「はい?」
持っていた服を取り落とさなかった自分を褒めたい。
「な、なんでそんな事を?」
思わず動揺してしまう。そういえばそんな噂があった。特にお父様がそんな人間を連れてくる気配が無かったのですっかり忘れていたが。
私の質問にお父様は遠い目をした。
「くたばったクソジジイがね…」
侍女の咳払いが聞こえる。
「…亡くなった老公爵閣下が、愛人でも作れとうるさいから取り敢えず噂だけ流れる様にしたんだよ…」
「はぁ」
曖昧に返答しか出来ない。お父様は眉間に皺を寄せた嫌な顔で続ける。
「エルシエン公爵家に嫡男がいないのが嫌だったんでしょ。噂が流れたら一応せっつくのはしてこなくなったよ」
別に、お母様に操を立てる必要性はお父様にない。と思う。貴族なら愛人が割と普通なのは知っている。
だが、それを言うのもなんだか嫌で、わたしがもごもごしている間に次はご自分の服を取りながらお父様の雑談は続く。
「いやー社交界怖いよ。特に愛人がいるなんて宣言してないのに、イザベラが姿を隠す格好した上で、市場で食材買って、この家で作って、食べてから屋敷に帰って貰って。ってだけで噂が立ったからね」
…それは怖い…。
「イザベラが食材を買って帰るだけでそんな噂が…」
「使用人が食材を運んでるって事は、誰かいる。って事だからねぇ。想像が膨らむんじゃない?」
お父様は言いながら、私に眼鏡を渡してきた。黄色い色眼鏡でごつくて格好いい。
「はい、この眼鏡付けてね。ここは服や食材の他にも色々あって、別荘みたいなものだから。着替え終わったらくつろいで大丈夫だよ」
有り難く頂くと、わたしは2階に向かう。階段に足をかけようかというところでお父様が思い出したように声をかけられた。
「そうだフリーダ。街にいる間はジークフリート…ジークって呼ぶよ」
「ジークですか、いいですね」
フリーダは大昔の聖女の名前で、ジークフリートは同じ時代の英雄の名前だ。聖女ではなく、英雄の名前で呼ばれるのはとても嬉しかった。
笑顔で頷く。
今度こそわたしは2階に行き、侍女と部屋に入った。侍女はイザベラが連れて行くようお父様にお願いした古参の使用人の1人で、わたしが男の子だと知っている。
遠慮なく着替えを手伝って貰った。
服はぴったりのサイズで、過不足が全くなかった。ちょっと不思議に思う。服というものは仕立て屋を呼ぶか、店に行く事になっても採寸して作って貰うものだ。
お父様が棚から服を取り出していたという事は予めここに服が用意されていると知っていたのだ。
―――いつ用意したんだろう。
不思議に思ったが、階下から呼ぶ声が聞こえ、街に行ける楽しみに私の思考は霧散していった。
この家が用意されたもう1つの理由を、わたしが知る事になるのはもっと先の話である―――。
最後までお読み頂き有難う御座いました




