第八話:庭師は、根を張る場所を選ぶ
魔族は黒い剣を構え、相対するユーリ•フロックスは剣すら持たず土に手を押し当てている。
使えるものは、もうほとんど残っていない。
魔族の魔力によって枯らされた根。崩れた瓦礫の隙間にわずかに露出した土。そして、そこにかろうじて残っている生命の気配。
これだけで、あの魔族を止められるとは思えない。真正面から戦えば、僕は一瞬で斬られるだろう。あれは見つけたらバレないうちに逃げないといけないチーターの類だ。
だから、勝とうとするな。まずは相手の動きを一瞬でも止める。
「……フィオナ。魔族の魔力を、少しでも乱せるか?」
「できるかもしれない。でも、長くはもたないわ」
「それで十分だ」
僕は顔を上げた。
「クルト、カシアン。僕が合図したら、魔族をあの壁際まで誘導してほしい」
二人の視線が、僕の示した方向へ向かう。そこには、半ば崩れた石壁があった。
壁そのものはまだ立っている。けれど、足元の石畳には亀裂が走り、崩れた瓦礫の隙間から土が覗いていた。
土の中には、かろうじて生き残った根がある。この街に残された、わずかな生命だ。
「壁の近くっていうことは———できるのか?」
「ああ、おそらくな」
「だがそれをするということはみんなも———」
「約束はできないが、これが一番勝率が高いだろう」
「了解した」
クルトはそれ以上聞かなかった。
カシアンも、傷ついた身体をかばうようにしながら剣を構える。
「要するに、あいつを壁の近くまで連れていけばいいんだな」
「そういうこと」
「なら、任せろ」
魔族が僕たちのやり取りを眺めていた。その顔には、余裕の笑みが浮かんでいる。
「相談は終わったか? ならば、次はお前たちの番だ」
黒い剣が動いた。
「来るぞ!」
クルトの声と同時に、カシアンが前へ出た。
魔族の剣とカシアンの刃がぶつかり、硬い音が廃墟に響く。
カシアンは正面から力比べをしようとはしなかった。剣を受け流し、相手の動きに合わせて距離を取る。
その隙を狙い、クルトが側面から斬りかかった。
魔族は身体をひねって攻撃を避ける。
だが、二人の狙いは攻撃を当てることだけではなかった。
少しずつ。
確実に。
あれを壁の方へ追い込んでいる。僕は土の中へ意識を沈めた。
根の位置を探る。
どこまで伸びているのか。どの部分がまだ生きているのか。どこに土が残り、どこが石に塞がれているのか。
見えてくるのは、ひどく頼りない構造だった。
根は途中で途切れかけている。土も少ない。少しでも魔力を流しすぎれば、残された根まで枯れてしまうかもしれない。
ここが山場だな。
僕は気合を入れて土に流す魔力を調整した。根を無理やり成長させるのではなく、すでにある根を、土の中で繋ぐ。
亀裂の向こう側へ。崩れかけた石の下へ。
根が石を押し上げるほどの力を生み出すわけじゃないけど、ほんのわずかな変化だけで、支えを失いかけた石が、もう一度揺れるだけでいいんだ。
「フィオナ、今だ!」
「わかった!」
フィオナが魔力の流れへ干渉した。空気が震えたような感覚が走る。
魔族の周囲で膨れ上がっていた黒い魔力が、一瞬だけ乱れた。
「……小細工を!」
これはフィオナの魔術における最大出力であった。魔族の視線がフィオナへ向く。
その一瞬を、カシアンは逃さなかった。
「こっちを見ろ!」
斬り込んだ刃が、魔族の身体をかすめる。魔族は反射的に剣を振るった。
カシアンが身をひねって避ける。黒い刃が石壁にぶつかり、砕けた破片が周囲へ飛び散った。
壁が、大きく揺れた。
今だ。
僕が壁の中の根へ、残された魔力を流し込むと同時に根が亀裂の中で動く。
石を押し上げるのではない。
石の下に残っていた土を崩し、すでに緩んでいた支えを失わせる。
小さな変化だ。
けれど、その変化が最後の一押しになり、壁の足元で、鈍い音がした。
次の瞬間。
石壁が傾いた。だが、まだ油断はできない。さっきクルトは壁を崩すことでみんなが巻き込まれることを想定したのだろう。ここで魔族に捕まったら終わりだ。
これは本来あってはならない賭けだが、もう賭けに出るしかない段階に入っている。
「下がれ!」
クルトの叫びが響く。
カシアンが飛び退き、クルトも距離を取った。魔族が異変に気づいたときには、もう遅かった。
崩れた石壁が、轟音とともに倒れ込み、大量の瓦礫が魔族へ降り注いだ。
地面が揺れ、砂埃が舞い上がる。僕は腕で顔をかばいながら、必死に足を踏ん張った。
やったのか。いや、まだ生きているだろうな。
土の中に残っていた根が、急速に黒ずんでいく感覚が伝わってきた。
魔族の魔力だ。
瓦礫に押し潰されながらも、あいつはまだ力を使っている。
なんて生命力と魔力だ…
「全員、警戒しろ!」
クルトが叫ぶ。砂埃の向こうから、黒い魔力が噴き上がった。
瓦礫が弾け飛ぶ。
その中心に、魔族が立っていた。が、身体には新たな傷が刻まれている。
完全に避けきれなかったのだろう。脇腹から黒い血が流れ落ちていた。
初めて、まともに傷を負わせた。
けれど、それだけだった。魔族はゆっくりと顔を上げ、僕たちを見た。
「……なるほど。土と植物だけで、ここまでやるか」
その声から、先ほどまでの余裕は消えていた。だが、怒りに任せて突っ込んでくる様子もない。
こちらの手を見極めようとしている。
この魔族は、一度見た手段を簡単には繰り返させてくれない。厄介どころの話ではないぞ。
今の攻撃は、もう通用しないだろう。魔族の周囲で黒い魔力が渦巻いた。
地面に残った根が、また一本、黒く変色していく。
「ユーリ、もう一度いけるか!」
クルトの声に、僕は首を横に振った。
「無理だ。今ので、使える根の大半が駄目になった」
嘘をつく意味はない。
土はある。けれど、根がなければ同じことはできない。
この場に残っている植物を無理に使えば、次の一撃を放つ前に枯らされる可能性が高い。
魔族は黒い剣を握り直した。
「ならば、これで終わりだ」
その瞬間、カシアンが一歩前へ出た。
「終わらせるのは、こっちだ」
「待て、カシアン!」
クルトが制止する。カシアンは一瞬だけ歯を食いしばった。
悔しいのだろう。
僕だって悔しい。
ようやく傷を負わせたのに、ここで引かなければならない。
でも、勝ち目が薄いことと、何もできなかったことは違う。
僕たちは、魔族の力の一端を知った。
植物の生命力を奪うこと。こちらの攻撃を観察し、対策を立ててくること。そして、瓦礫を浴びてもなお戦い続けられること。
この情報を持ち帰ることには意味がある。
「クルト、撤退しよう」
僕は魔族を見据えたまま言った。
「これ以上は危険だ。今の手は二度と通用しない。ここで全滅したら、何も残らない」
クルトは一瞬だけ黙り、それから頷いた。
「全員、撤退だ! 負傷者を優先しろ!」
途中から戦いについていけず、外から戦闘に入る隙を窺っていた他のメンバーが動き出した。
…連携も課題だな
魔族がこちらへ踏み出した。僕は足元の土へ意識を向ける。
使える根は、ほとんどない。
それでも、崩れた石の隙間に残る土を動かし、足場を不安定にする程度ならできるかもしれない。
「人間、お前は同じ芸をしてまた通用するとでも思っているのか!?」
ほんの一瞬、動きが——鈍らなかった。
地に足をつけることなく、一歩で距離を詰めてくる。
くそ、ここまできて死ぬのか?
———ここで、フィオナが切り札を切った。
「ファイアボール!!」
彼女が本当に重要な場面まで使いたい気持ちを抑えて待っていた、必殺技である。
彼女の魔力はほぼ枯渇しているのだろう。本当に野球ボールほどの大きさだが、あれの追撃を逃れるのには十分だ。
ファイアボールが放たれたと同時に、僕とフィオナは全力で距離を取った。
背後から、魔族の声が飛んでくる。
「逃げるのか、人間!」
振り返りたい気持ちを、僕はこらえた。
逃げる。
生きて帰り、次に備える。
それもまた、戦いの一部だ。
家に帰るまでが遠足というように、戦いも家に帰らなければ。
僕は歯を食いしばり、仲間たちとともに廃墟を駆け抜けた。
やがて、魔族の気配が遠ざかる。
足を止めたときには、息が切れ、身体中が重くなっていた。
「……なんとか、逃げ切れたか」
カシアンが肩で息をしながら呟く。
「まだ安心するな。追ってくる可能性はある」
クルトは周囲を警戒しながら答えた。
とぼとぼ歩いていると、フィオナが僕の隣へやってくる。
「ユーリ、大丈夫?」
「ああ。少し魔力を使いすぎただけだ」
「本当に?」
「……本当だよ」
「ごめん、あなたがファイアボールの使い所を決めていたら、倒せたかもしれない」
「いや、ファイアボールがあってもあれは倒せなかっただろうし、そうなったらさっきみたいな逃亡もできなかっただろう。」
元々、使う時の判断はフィオナに委ねていたしな。結果オーライだ。
彼女は納得していない様子だったが、それ以上は追及しなかった。
…ふう
僕は自分の手を見下ろした。
何も持っていない手。
剣もない。杖もない。魔族と真正面から戦える力もない。
それでも、さっきの一撃は届いた。僕一人の力ではない。
全員の力を合わせれば、傷一つ負わせられなかった相手に届くことがあるんだな。
僕は、もう一度自分の手を握りしめた。
庭師にできることは、土の上で根を張る場所を探すことだ。
どんなに荒れ果てた土地でも、どんなに小さな可能性でも。
使えるものを見つけ、繋ぎ、育てる。それは、戦いの中でも変わらない。
「……次は、もっと上手くやる」
誰に聞かせるでもなく、僕は呟いた。
まずは、連携の強化とスキルの研究だな。
それと今度フィオナに攻撃魔術を教えてくれって頼んでおこう。




