第七話:庭師は、土の上でしか戦えない
「フィオナ!」
彼女が反応するのと、僕が地面に魔力を流し込むのはほぼ同時だった。
奇襲された場合の対応は、事前に話し合ってある。幸い、魔族が僕たちの背後に現れた場所には土が多い。石畳の上よりは、僕のスキルを使いやすい。
地中で根が蠢いた。
狙うのは胴体ではない。まずは足を止める。動きを封じれば、首筋に伸ばされた手も離さざるを得ないはずだ。
そう考えての行動だ。
しかし。
「やはり人間とは、遅いものなのだな」
魔族の身体が、横に滑った。根が地面から飛び出した瞬間には、もうそこにいない。空を切った根が、石畳に叩きつけられる。
だが次の瞬間、首筋から冷たさが消えたことに気づいた。
助かったな、危ないところだっ——
ん?
そう思った直後、僕の頬を何かが掠めた。遅れて、熱が走る。頬に触れると、指先に血がついていた。
……今、斬られたのか?
剣を振るう姿すら、まともに見れなかった。首筋に触れていた手が離れたことに安堵した、その一瞬。僕は斬られていたのだ。
「ユーリ!」
クルトの声が飛ぶ。僕は返事をせず、地面を蹴って魔族から距離を取る。
背後で、フィオナの気配を感じる。彼女は大丈夫なのか?今の一瞬で切られていてもおかしくはないだろう。振り返りたい。無事かどうか確かめたい。
けれど、今それをやれば死ぬ。
目の前の相手から、視線を外せなかった。黒い甲冑、人間よりも長い手足、表情の読めない顔。そしてこちらを観察するような目。
魔族は剣を構えたまま、首を傾げた。
「今のは何だ。魔術か?」
「……庭仕事の延長だよ」
「そうか」
魔族は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「ならば、庭ごと刈り取ってやろう」
言い終わる前に、魔族の姿が消えた。
「っ!」
反射的に、簡易甲冑を着けた腕を掲げる。金属音が耳を打った。
受け止めたわけではない。刃を逸らすのが精一杯だった。それでも衝撃は腕の芯まで響き、僕の身体は石畳の上を転がった。
腕が痺れている。まともに剣を受ければ、次は防ぎきれない。こいつ、ただ速いだけではない。今切られたのは二の腕のあたりか。くそ、これだと痛みで手元が狂うな。
真正面から打ち合えば、僕の腕が先に壊れる。そもそも、僕は剣士のような近接戦闘はしない。
攻撃魔法もまだまだ未熟だ。こんなことならフィオナに教えてもらっておくべきだった。
持っているのは自分の身体と、土をいじるためのスキルだけ。
……笑えないぞ。これ
僕の認識が甘かったと言わざるを得ない。先遣隊としての任務目標である情報収集、魔族の兵器に気が向きすぎて魔族自体の脅威を見誤った。
だが今思い知らされた。魔族である限り、たとえ先遣隊でもこれほどまでに強いのだ。
こんな相手に、どうやって勝てというんだ。
魔族が追撃してくる。
僕は身を捻って避けた。剣先が服を裂き、背後の石壁に火花を散らす。間髪入れず、地面に魔力を流す。根が伸びる。
今度は足元ではなく、魔族が踏み込む先を狙った。だが、相手は踏み込みを止めた。
根が飛び出すのを見届けてから、軽々と飛び越える。反応されたというよりは、地面の魔力変化を見られているのか。今は下からしか攻撃できない以上、大体は読まれるわけだな。
そして、根は下から上へ、自由自在に伸びるわけではない。相手より高い位置を取れなければ、戦闘で有効な根を伸ばすのは難しい。
そんな当たり前の制約を、僕は今さら思い知らされていた。
庭なら、土を整え、植物を育て、必要な場所に根を張らせればいい。
でも、戦場では違う。相手は、僕が根を伸ばすのを待ってくれない。
それに、ここは庭ではない。
石畳と瓦礫に覆われた、死んだ都市だ。根を張るための土も、生きた植物も、ほとんど残っていない。
「ユーリ、下がれ!」
クルトが割って入った。剣と剣がぶつかる。
クルトは魔族の一撃を受け流したが、二撃目には対応しきれず、後ろへ押し戻された。
「ぐっ……!」
「クルト!」
「来るな! こいつは俺が――」
言い切る前に、クルトの剣が弾き飛ばされた。魔族の刃が、彼の胸元へ走る。
僕は考えるより先に、手を地面に押し当てていた。
「伸びろ!」
石畳の隙間から根が飛び出し、魔族の手首に絡みつく。
ほんの一瞬。それだけで十分だった。クルトが身を捻り、致命傷を避ける。
魔族はすぐに根を斬り落としたが、クルトは距離を取ることに成功した。
……よかった。
いや、よくない。致命傷を回避しただけで切り傷は増えるばかりだ。
だが今の一瞬で、僕は理解した。
根で魔族を倒すことはできなくても、仲間が死ぬのを防ぐことはできる。
ならば、そこに勝ち筋があるかもしれない。倒すことに固執するな。
真正面から勝てないのなら、相手の動きを再現することに徹すればいい。
僕は息を整えながら、周囲を見渡した。崩れた城壁。ひび割れた石畳。建物の残骸。
そして、少し先にある傾斜した瓦礫の山。
山……ということは高低差。
あそこなら、僕が魔族より高い位置を取れる。
ただし、瓦礫の上に乗れば足場は不安定になる。崩れれば終わりだ。
それでも、地面に立ったままでは勝てない。
「フィオナ!」
「はい!」
「魔族の魔力の流れを見てくれ! 何か、攻撃の前兆がないか!」
「わかりました!」
フィオナは距離を取り、魔族を注視した。その間にも、魔族はゆっくりとこちらへ歩いてくる。
明らかに舐めくさっているな。
「仲間を盾にするか。庭師というのは、もっと臆病な職業だと思っていたが」
「実際、臆病だよ。死ぬのは嫌だからね」
「ならば、逃げればいい」
「そうしたいところだけど、後ろに人がいるんだ」
僕は手を強く握って恐怖を誤魔化しながら言う。
「それに、せっかく育てた庭を荒らされるのは、もっと嫌なんだよ」
魔族は答えず、剣を構えた。次の瞬間、再び踏み込んでくる。
速い。
けれど、さっきよりもわずかに動きが読めた。剣を振るう前、肩が沈む。
踏み込む足に力が集まる。それだけの予兆がある。見切れるわけではない。反応できるわけでもない。
僕は地面に魔力を流した。
根が伸びる。
魔族の足元ではなく、その背後へ。魔族は即座に振り返り、剣で根を斬り払った。
その隙に、僕は瓦礫へ向かって走った。
「逃がすか!」
背後から凄まじい殺気が迫る。
あと少し。
あと一歩。
僕は瓦礫の斜面に飛びつき、手をかけた石を足場にして上へ登った。
直後、剣が足元を薙いだ。
左足に痛みが走る。ただ不幸中の幸い、重症ではなさそうだ。
あと一瞬でも遅ければ、僕の胴と左足は離れ離れだったな。
冷や汗が止まらない。僕は転がるように斜面の上へ出た。魔族を見下ろせる位置だ。これなら十分に攻撃としてスキルを運用できるだろう。
ただし、安心するには早い。
魔族は僕を追って瓦礫に足をかけると、剣を構えた。
ここから落とそう。
そう考えた瞬間、スキルが視界に情報を映し出した。
土壌の魔気濃度、毒素の割合、地中に残る根の状態。
普段なら、作物を育てるために使う情報だ。
僕は瓦礫の下にある土へ意識を集中させた。
魔気濃度は高い。土壌は痩せている。生きた根も少ない。
くそ……駄目だ。
このまま根を伸ばしても、魔族を拘束できるほどの力は出ないだろう。
なら、どうする。
土を変えるか?無理だ。そんな時間はない。
植物を育てるか?
何を言っている。もっと無理だ。種を蒔いている暇などない。
今できることは何だ。この場所にあるものだけで何ができる?
僕は視線を落とした。
僕たちは戦闘でだいぶ移動してきたらしいな。近くには道がたくさんある。
そして瓦礫の隙間。石畳の下。かつて街路樹が植えられていたらしい、長方形の土の区画。
枯れた木の幹は折れている。
葉もない。
けれど、地中に残った根まで死んでいるとは限らない。
土壌の状態を読み取る。根の一部に、わずかな生命反応。まだ生きている。
ならば、使える。
「フィオナ! 僕が合図したら、魔族の足元を狙って魔力を流してくれ!」
「えっ? でも、私の魔術では――」
「攻撃じゃなくていい! 地面の魔力の流れを乱すだけでいいんだ!」
フィオナは一瞬だけ迷った。
けれど、すぐに頷いた。
「わかりました!」
僕は再度地面に手を押し当てた。
魔族が瓦礫を登ってくる。剣が届くまで、あと数歩。舐められていなければ僕はすでに死んでいるだろうな。
僕は根の状態を確認しながら、魔力を流し込んだ。
根を無理やり伸ばすのではない。残っている根を、地中で繋ぎ直す。
枯れた木の根と、別の街路樹の根。
土の中で細く伸びたそれらを、一本の網のように絡ませる。
時間がかかる。魔気に侵された土は、思うように応えてくれない。
視界の数値が揺れている。魔力を流すたび、腕が痺れた。それでも、少しずつ。
根が繋がっていく。魔族が剣を振り上げた。
ああ…だめだ間に合わない。
そう思った瞬間、フィオナの声が響いた。
「今です!」
地面の魔力の流れが、ほんの一瞬だけ乱れた。
魔族の踏み込みが鈍る。その隙に、僕は魔力を一気に流し込んだ。
「絡め取れ!」
瓦礫の下から、太い根が飛び出した。
一本ではない。
二本、三本。
それらが魔族の足首に絡みつき、さらに膝へ、腰へと伸びていく。
魔族は即座に剣を振るった。
一本が切れる。なんて力だ、これは人の手には負えまい。
だが、その間に別の根が巻きつく。
根は、切られても止まらない。僕が繋いだ地中の根が、次の根を支えているからだ。
初めて、魔族の動きが止まった。
ほんの一瞬。
それでも、今までで最も長い一瞬だった。
「前衛たち!!」
「おう!」
クルトが剣を拾い、瓦礫の下から駆け上がる。他の面々も各々の武器を構え、魔族に迫っている。
クルトの狙いは魔族の首ではない。
剣を握る腕。
クルトの一撃が、魔族の手首を打った。
剣が宙を舞う。続いて、他の面々による攻撃が命中した。
勝った。
そう思いかけた。しかし。
「…フラグ立てちゃったか」
見えたのは笑みを貼り付けた魔族の顔だった。
「フラグ…?まあいい。お前は何をしたんだ?…なるほど。根を繋いだか」
次の瞬間、魔族の身体から黒い魔力が噴き出した。根が、一斉に黒ずんだ。
生きていた根が、急速に枯れていく。
「なっ……!」
地中の根が崩れる感覚が、手のひらを通じて伝わってきた。
魔気。
ただ土を汚染するだけではない。
この魔族は、自分の魔力で植物の生命力を奪っている。
根が崩れれば、支えを失った瓦礫も崩れる。
僕の足元が傾いた。
「ユーリ!」
クルトが叫ぶ。僕はスコップを手放し、転がるように斜面を下った。
背後で瓦礫が崩れ落ちる。
魔族もまた、根から解放されていた。
剣は失った。そして体中に切り傷がある上、さっきの一斉攻撃で左手首は欠損している。
立ち位置的におそらくカシアンの攻撃だ
それでも、魔族は平然と立ち上がり、僕を見た。
「面白い。人間にしては、よく考えた攻撃だった」
魔族の手に、黒い魔力が集まる。それは剣の形を取り始めていた。なんだよそれ。
「だが、今の一手で理解した。お前は土と植物を使わなければ、何もできない」
……その通りだ。
否定できない。僕は攻撃魔法を使えない。剣術も少ししか知らない。土がなければ、根も伸ばせない。
相手が植物を枯らす力を持っているなら、なおさら不利だ。でもだからといって、ここで諦めるわけにはいかないんだ。
僕は足元を見た。崩れた瓦礫の隙間に、土が露出している。その土の下には、まだ生きた根が残っていた。
ほんのわずか。
使えるのは、これが最後になるだろう。それでも、手はある。
「……フィオナ。クルト」
僕は二人を見た。
「次は、僕が合図するまで絶対に近づかないで」
「ユーリ、何をするつもりだ?」
「庭師にしかできないことをする」
魔族が黒い剣を構えた。僕も土に手を押し当てる。さっきよりも強く。
腕は痺れ、息は乱れ、頬と足の傷から血が流れている。勝てる保証など、どこにもない。
それでも。土が残っている限り、僕はまだ戦える。あいつが作り出した剣も、発する魔力が弱いところをみるに、さっきの剣よりも明らかに性能が低いだろう。
それにただの魔術師とは違って僕は魔力切れをほぼ起こさない。
せっかくここまで頑張ってきたのだから、それを壊させるわけにはいかない。
次の一手を間違えれば、今度こそ終わりだ。だがもう怖さはあまり感じない。
戦いの第二ラウンドが始まった。




