第六話:滅びの国の会議
「……全員、集まったな」
ハンスが戻ってきてから、しばらくして。僕たちは庭仕事の手を止め、畑の脇に机を一つ引っ張り出した。
立派な会議室なんてものはない。作業道具を脇に寄せ、泥のついた板を囲んでいるだけだ。集まったのは、フィオナ、クルト、ハンス。
それに、今の庭を支えてくれている街の人たちが数人。その中には、あの年配の女性もいた。……腕を組んで座っているだけで、場の空気が一段引き締まるのはどうしてだろう。
それでも、これから話すことは、ここにいる全員の人生に関わる。
「昨夜、領主から報告を受けた。細かいところは、僕が書き出した記録を後で読んでほしい。要点だけ言うよ」
僕は、机の上に紙の束を置いた。
「五日先の小都市は、ほぼ全滅した。魔族の先遣隊に食料を奪われて、街の中心には魔術兵器を据えられた。あの灰を、もっと濃くして撒き散らしてる代物だ。使者の話では、先遣隊は数人規模だったらしい」
「……で、次はここの番ってわけか」
ハンスが、低く唸る。
「可能性は高い。昨夜のうちに、フィオナと計算した。濃い灰がここに届くまで、およそ二週間」
「二週間……」
誰かが、息を呑む。
「誤差はある。だから、二週間あると思わないでくれ。二週間しかない、と思ってほしい。それと」
僕は、紙の端を指で叩いた。
「高濃度の灰を吸わせた小動物は、死んだ。人間がどうなるかは分からない。……試したい人は、いないよね?」
「当たり前だろう」
クルトが短く言う。
「ひとつ、気になってることがあるの」
フィオナが、小さく手を挙げた。
「魔族は、抵抗した騎士団や冒険者は殺したのに、それ以外の人は見逃した。食料を奪うだけなら、全員殺す必要はなかったのかもしれない。でも、見逃す理由も、私には思いつかないの」
「僕も、同じところで止まってる」
正直に答えた。
「目的が分からない相手は、最悪の場合を想定して備えるしかない。少なくとも、友好的じゃないことだけは確かだ」
「同感だ」
クルトが頷いて、腕を組む。
「なら、まず防衛を固めるべきだろう。魔族がいつ来るか分からん以上、今ある庭を守るのが先だ。人手も、無計画には増やせん」
「うん。守りは固める。……ただ、守るだけじゃ足りないと思ってる」
「どういう意味だ?」ハンスが眉を寄せた。
「灰は、壁じゃ防げない。空気だからね。庭そのものは守れても、灰が降り積もれば、そこで育てるものが死ぬ。僕たちが手に入れなきゃいけないのは、灰の中でも作物が育つ方法そのものなんだ」
「そんな都合のいいもんが、どこに——」
「あったんだよ。五日先に」
ハンスが、口を閉じた。
「あの都市は、地下の魔気に侵されていない土と、魔法陣を使って、小麦を実らせていた。魔法陣は壊されたと聞いたけど、跡形もなく消えたかどうかは、見てみないと分からない」
「陣は、石板に刻むものだ」
クルトが、静かに言った。
「騎士団の陣も、駐屯地の中央に据える。叩き割られていたとしても、欠片くらいは残っているかもしれん」
「つまり、その街まで行って、見てくるってことか?」
ハンスが、目を剥いた。
「魔族が居座ってる街にだぞ。正気かよ、お前」
「正気だよ。たぶん」
「たぶんって言うな。そこは自信を持って言え」
「往復で十日。時間は、ぎりぎりだ。でも、何も知らないまま灰を迎えるより、ずっといい」
「却下」
フィオナが、にっこり言った。
「まだ何も言ってない」
「どうせ『フィオナは庭に残って』って言うのでしょう?」
そうですが、なにか?
彼女にはなるべく危険な目にあってほしくないのだ。
「魔力の流れが見えるのは、この中で私だけ。兵器も、陣の欠片も、見る人がいなければ意味がないもの。行かない理由がないわ」
「それは、そうなんだけど」
「それに」
フィオナは、ほんの少しだけ声を落とした。
「あなたを一人で行かせて、帰りを待つほうが、私には耐えられない」
周りの空気が、ふっと緩んだ。ハンスがわざとらしく咳払いをして、何人かが明後日の方向を向く。年配の女性が、ふふ、と喉の奥で笑った。
これは、あんまり断れる感じでもないな。それにここも安全とは言い切れないのだから、一緒にいた方が安心かもしれない。
「……分かった。一緒に来てくれ」
「最初から、そう言えばいいのに」
「俺も行こう」
クルトが言った。
「魔族がいる以上、剣は要る。腕は、万全じゃないがな」
「出発までに、私が治します」とフィオナ。
「薬草と、ちゃんとした食事と、あと気合で」
「最後だけ、根拠が薄いな」
「大事ですよ、気合は」
「……で、俺は?」
ハンスが、むくれた顔で言った。
「また留守番か」
「留守番じゃない。庭を任せたいんだ」
「同じだろうが」
「全然違う」
僕は、はっきりと言い切った。
「僕たちがいない間、この庭を回せるのは君しかいない。街の人にも、門の外の人にも、顔が利くのは君だ。庭が止まったら、帰る場所がなくなる。一番大事な持ち場だよ」
ハンスは、しばらく黙っていた。ちらりと、年配の女性のほうを見る。彼女は何も言わず、ただ一つ、小さく頷いた。
「……ちっ。そこまで言われて、断れるかよ」
「頼む」
「ただし」
ハンスが、人差し指を突きつけてくる。
「七人しか雇わねえって話は、まだ納得してねえからな。門の外の連中が腹を空かせて待ってるのは、事実だ」
「分かってる」
「分かってるだけじゃ、腹は膨れねえんだよ」
「……だから、約束する」
僕は、ハンスの目をまっすぐ見た。
「収穫が消費を超えた日には、門を開ける。全員、入れる。その日が来たら、君に真っ先に知らせる」
「……本当か」
「計算が合わなきゃ嘘になる。でも、合わせる努力は、全力でやる」
「そこは『必ず』って言えよ」
「必ず」
「……ふん」
ハンスは、そっぽを向いた。
「その言葉、忘れんなよ。俺は、忘れねえからな」
「灰への対策は、僕とフィオナで。防衛はクルト。庭と、門の外の人たちのことは、ハンスに。
……それで、決まりだ」
誰も、異を唱えなかった。
問題が片づいたわけじゃない。むしろ、増える一方だ。それでも、何をすべきかは、少しずつ見えてきた。
灰への対策。庭の維持。魔族への備え。そして、ここに集まった人たちが食べていくための食料。どれか一つだけを考えていればいい段階は、もう終わったのだ。
会議が終わって、みんなが持ち場へ散っていく。その背中に、年配の女性が声を投げた。
「ユーリさん。ちゃんと食べて、ちゃんと帰ってきなさい。それが、一番の仕事ですよ」
「……はい」
返事が、ちょっとだけ裏返った。どうして、この人の前だと背筋が伸びるんだろう。
ハンスには、先に門の外へ行って、説明を始めてもらっている。僕も少しして、城門へ向かった。
……そのはずだったのに、門の外から聞こえてきたのは、どうにも穏やかじゃない声だった。
「おい、そりゃねえぜ。散々協力しろって言って、次は迷惑だからやめろってか?」
「そういうわけではない。とにかく、こちらも用意できる報酬に限りがあるんだ。理解してくれ」
「そんなこと言われても困るぜ。俺たちゃあ、土仕事でも戦闘でもなんでもできるように、もう準備しちまったんだ!」
声の主は、熊みたいな大男だった。門番の騎士が、困り顔で一歩下がっている。その隣で、ハンスが腕を組み、「やれやれ」という顔をしていた。
「ごめん、待たせた」
話しかける機会を失っていた僕が、やっとの思いで割って入ると、ハンスが「やっと来たか」という目でこちらを見てきた。気づかなかったのは、そっちなんだけどね。
「庭師のお出ましかよ」
大男が、鼻を鳴らす。
「飯を炊く係が、俺たちを選ぶってのか。笑わせるぜ」
「その飯を、さっきおかわりしてたのはどこのどいつだったかな」
ハンスが、涼しい顔で言った。
「……三杯だ」
「胸を張るところじゃねえよ」
周りから、くすくすと笑いが漏れる。大男は、むっとして黙り込んだ。……悪い人では、なさそうだ。
「で、とりあえず聞きたいんだが。あなたたちは、何人参加するつもりでいたんだ?」
側で見ていた長身の好青年が、一歩前に出て答えてくれた。
「数千人の中から選りすぐった、三十人ほどだ。戦闘目的が二十五人。土や植物の知識が豊富な者が六人ってところだな」
そんなに来てくれたのか。それは喜んでいいのか、悪いのか。……まあいい。
「戦闘、というと、どれくらいを想定している?」
「そうだな。大半は、そこらの魔物なら倒せるくらいの実力だ。俺たちみたいに、難民に混じってここへ流れてきた中には、大物にも挑めるやつが七人ほどいる」
七人。クルトと同等か、それ以上ということだ。攻撃魔法を扱えるフィオナと、同じくらいかもしれない。
この世は基本的に、魔術師のほうが剣士より強い。ただ、魔術の才能を持つ者は限りなく少なくて、僕の人生で出会ったのも、フィオナくらいだ。
待てよ。
そこまで強いなら、魔族とも渡り合えるんじゃないか。宰相エルゼがなす術なく倒されたという話だから、魔族の将級には歯も立たないだろうが、数人規模の先遣隊なら、きっと大丈夫だ。
「分かった。全員を雇い切ることはできない。でも、頼みたいことがある」
僕は、彼に向き直った。
「僕たちは、あの小都市へ調査に出る。同行してくれる冒険者を、あなたを含めて四人、選りすぐってほしい。場合によっては、死地にも乗り込むことになる。経験豊富で、肝の据わった人を頼む。遠征中の食事は自前の携行分で済むから、庭の食料には響かない。命の保証はできないが、飯は保証しよう」
「おお! とりあえず、それで満足しよう。美味い飯を期待しているぞ」
彼は、満面の笑みで右手を差し出した。
「改めて、カシアン・ドレイクだ。よろしく頼む」
冒険者は無骨なイメージが強いし、実際そういう連中が多いのだが、彼はとても丁寧だ。優雅さすら感じる。
「ああ、よろしく頼む。ユーリ・フロックスだ」
僕は、彼の手を強く握り返した。
「人選は、任せてもらおう。まず一人目は、こいつだ」
カシアンが、親指で大男を指した。
「は? 俺か?」
「力と体力だけは保証する。態度の悪さは、俺が責任を持って矯正しよう」
「おい!」
「いいんですか? さっき、僕のこと『飯を炊く係』って……」
「事実だろう?」
カシアンが、涼しい顔で言う。
「飯を作る人間が、一番偉いんだ。覚えておけ」
大男は、ぐっと言葉を詰まらせた。ハンスが、横でにやにやしている。
庭に入ってもらう七人は、ハンスと相談して決めることにした。土や植物に詳しい六人は、優先して。それから、門の外の人たちへの説明も、ハンスと一緒に始めた。全員が納得してくれたわけじゃない。それでも、「計算が合えば、全員入れる」と伝えたとき、少しだけ空気が変わった気がした。
その夜、庭の隅の物置で、遠征の準備をした。
「……どうだ」
クルトが、腕を吊っていた布を外し、壁に立てかけてあった剣の柄を、ゆっくりと握った。額に、汗が浮かんでいく。
「握れては、いる」
「握れてる『だけ』ですよね」
フィオナが、すでに薬草をすり潰しながら言う。
「今夜と明朝に、これを貼ってください。それと、食事は残さないこと。残したら、怒ります」
「……子供扱いか」
「怪我人は、全員子供です」
ぴしゃり。クルトが、おとなしく頷いた。この人にこんな顔をさせられるのは、たぶん世界でフィオナだけだ。
「ユーリ、お前はこれを着けろ」
クルトが、物置の奥から簡易甲冑を引っ張り出してきた。胸当てと、腕を覆う板金。年季が入っている。
「重い……」
「着慣れていないだけだ」
「動けるけど、走れる気がしない」
「走らなくていい。当たらなければいい」
「それが一番難しいんだよ」
フィオナが、口元を押さえて肩を震わせている。笑いごとじゃないぞ、これは。
「次は、街への入り方だな」
選ばれた冒険者たちも顔を出した物置で、地図を広げたカシアンが、顎に手を当てた。
「旅の者に化けて、正面から入る手もある。魔族に見逃された住民が相手なら、敵意はないと思われるだろう」
「村人変装案、か」
「ユーリは、演技はできそうか?」
「……」
「その沈黙が答えね」
フィオナが、にこりと笑う。「ユーリ、嘘をつくときは、右の眉が上がるのよ」
「えっ」
思わず、眉を押さえた。全員が、吹き出した。完全に初耳である。
「それに」
クルトが、笑いを収めて言う。
「小さな街だ。住民は顔見知りばかりのはず。見知らぬ顔が七人も増えれば、すぐに目立つ。魔族のいる街で、そんな危険は冒せん」
「じゃあ、こっそり侵入するしかないか」
「城壁に、馬が通れるくらいの穴を開けるわ」とフィオナ。
「うるさくない程度にね」
「頼もしいけど、さらっと言うなあ」
「もう一つ、決めておきたいことがある」
僕は、全員の顔を見回した。
「奇襲された時の動きだ。魔族は、人間より速いと思っておいてほしい。見つかった時点で、まともに戦える相手じゃない。だから、最初の一手は僕が打つ。足を止めて、その隙に全員が距離を取る」
「お前が囮か」
クルトが、眉をひそめた。
「土に触れていれば、時間は稼げると思う。合図は、僕がフィオナの名前を呼ぶこと。聞こえたら、全員、下がってくれ」
「名前だけでいいのか」
「長い台詞を言ってる暇は、たぶんないから」
物置に、短い沈黙が落ちた。
「……分かった。名前が聞こえたら、下がる」
「頼むよ」
準備を終えて、物置の外に出ると、夜風が冷たかった。
星は、まだ見える。灰の空は、庭の向こう側にだけ、ぼんやりと広がっている。
「ユーリ」
隣に立ったフィオナが、ぽつりと言った。
「怖い?」
「……少しだけ。ほんの少し、緊張してるくらい」
「そう」
彼女は、それ以上は何も言わなかった。ただ、僕の袖の端を、きゅっと指でつまんだ。夜の中でも、震えているのが分かった。……震えているのは、僕のほうだったかもしれない。
「ちゃんと食べて、ちゃんと寝ましょう。明日は、長いから」
「うん。そうしよう」
袖をつまむ指は、しばらく、離れなかった。
翌朝。夜明けとともに、僕たちは庭を出た。
見送りは、ハンスと、年配の女性だけだった。彼女は、僕の手に、ずしりと重い布袋を押しつけて言った。
「干した野菜です。食べずに死んだら、許しませんよ」
「それは、どういう脅しですか」
「脅しではなく、事実を言っているだけです」
袋は、ほんのりと温かかった。
「ユーリ」
ハンスが、そっぽを向いたまま言う。
「庭は、俺が見とく。……さっさと、帰ってこい」
「うん。行ってくる」
それから数日。果てしなく続く荒野。僕とフィオナ、協力者達は合わせて7人で馬を走らせていた。
「…見えたぞ」
例の都市は、真ん中から立ち込める大量の灰を除いて特に異変はないようだ。街に入る方法として村人変装案も考えたのだが、結局こっそり侵入することになった。
「ここまで、長かったな」
「ああ、だがあんたの怪我も剣を触れるまで回復してよかったよ」
「それもそうだ。奇跡の回復だよ。しかし。だからと言って何か解決したわけではない。ここからは魔族と遭遇することもあるかもしれないし、灰の病に侵されるかもしれない。だがその時は真正面から堂々と打ち砕いてやろうじゃないか。みんな気合を入れておけ」
「おお!!」
みんなの士気は上々だ。僕も気張っていこう。
きっとこれだけの精鋭ならば、魔族の一人や二人倒せるだろう。先遣隊と言っても数人規模だったというし、多勢に無勢ともなるまい。
「あそこの城壁を壊して侵入しよう。フィオナ、馬が通れるくらいの穴を開け——」
背後に何かが立っていた。僕の首筋に手を当てながら。
囁くような声でそれは言いかけた。
「動く——」
「フィオナ!!!!」
僕はフィオナに撤退の合図を送ると同時に、魔族に根の攻撃を目一杯の力で繰り出した。
そうして、魔族と僕たちの長い攻防は幕を開けるのであった。




