2 連絡〈大谷恭司〉
大谷恭司は焦っていた。
齢三十八歳の彼は、この事態にもちろん自分が率先して動かねば、という責任感を感じていた。
ぐるりとまわりを見渡す。
そこにいるのは、若いスーツ姿の女性、目つきの悪い中学生男子、ランドセルを背負った幼い男の子。
どう見ても年長者は、大谷だ。
肝心の非常ボタンが繋がらないピンチだが、連絡手段はもちろん他にある。
「えっと、じゃあ携帯で連絡しよう!」
「そうね。それがいいと思う」
同意を示してくれた女性だが、先ほどと違い、言葉遣いが少しくだけた印象だ。
敬語を使えないあたりが最近の若者だよな、なんて大谷は考えてしまうが、自分が若かった頃のことはもちろん考えない。
ジーパンのお尻ポケットに手を伸ばし、スマホを取り出そうとする。
しかしそこにあったのは、潰れたタバコ箱とライターだけだった。
「あ、ない」
しまった、と大谷は思う。
彼はこのビル三階の一室を借りて、仕事場にしている。
禁煙となっている室内でタバコを吸えないため、タバコ休憩はいつも、ビルの外にある喫煙所まで行っていた。
スマホはデスクに置いてきたままだ。
こんなことなら、階段を使えばよかったと思っても後の祭り。
若い頃ならば平気で階段なんて上がっていたのに、最近ではすぐに息が上がる大谷は、ついエレベーターを使用してしまっていた。
(俺も、もう若くないなぁ)
なんて、自分の年齢に憂いている大谷に女性が声をかける。
「それなら、私が連絡するわ」
もうすっかり、敬語はどこかへ消えている。
「あ、ありがとう」
不甲斐ない、と小さく肩を落としつつも、他の子ども二人に目を向ける。
二人は大人のやり取りをじっと見ているが、何を考えているのかはいまいち大谷にはわからない。
でもこの非常事態だ。
きっと、不安で怖くて声も出せないのだろうと考える。
(大丈夫……きっとすぐに、出られるからな!)
大谷がグッと拳を握っていたら、女性はスマホが通じたのか会話を始めた。
狭いエレベーター内で彼女の声だけが響く。
「すみません、エレベーターに閉じ込められたのですが」
ボタン下に書かれていた管理会社に、連絡を入れた女性。
現在の場所の詳細を伝え、何度か相槌を打って電話越しの相手と話をする。
「え、そんなにかかるんですか!」
突然、女性の声が大きくなった。
「……はい、はい。わかりました。なるべく早くお願いします」
しばらくすると通話を切って、彼女は大きくため息をついた。
「どうだったの?」
そう聞いたのは中学生男子だった。
彼に対し女性は、人差し指を一本ピッと立てる。
「着くのに一時間くらいかかるってさ」
「え、そんなに? 何で!」
思わずそう叫んだ大谷を、女性はじろっと睨んだ。
「知らないわよ」
いくぶん低くなった声に、大谷の体がのけぞる。
「そ、そうだよね」
まるで、蛇に睨まれたカエルである。
女性より一回りもでかい図体をしているのに、大谷という男は女性よりも気が弱い。
というか、己がいつも一言多いことを自覚しているからこそ、今の女性の反撃にしょんぼりとしてしまったのである。
大谷には、つい最近もあったのだ。
こんなふうに、女性から鋭い視線を向けられたことが。
──あなたは、私のことを何もわかっていないわ。私のことだけじゃない。圭介のことだって──
かの姿を思い出して、大谷の胸が締め付けられる。
あの時も、自分は何か余計な一言を言っていたんじゃないだろうか。
トンチンカンな言葉で、相手の思いを汲み取れなかったのではないだろうか。
そんな考えに胃が痛くなり、ぎゅっと目を閉じる。
そしてうっすらと瞼を開くと、その先にはエレベーターの隅で立つ小学生の隼人がいた。
ランドセルの肩紐を握って、少しだけ不安げな顔をしている彼と目が合う。
(圭介と、同い年くらいかなぁ)
自分に似て、年齢のわりには体も背もでかい息子を思い出していた。
さっきも、この男の子の視線に背中を押してもらって、緊急ボタンを押すことができたのだ。
(子どもの目ってのは、どうしてこうも眩しいんだろうな)
大人ってのは、つまらないものだ。
そう考えて大谷は、逃げるように隼人の視線から目を逸らした。




