1 始まり〈小池隼人〉
全12話。
妻子に捨てられた男が一人。
夢を忘れた女が一人。
盗みを楽しむ少年が一人。
愛に飢えた男の子が一人。
箱に閉じ込められたこの四人。
即席に作り上げられた関係に何を思う。
ほんのちょっとの数十分。
これはそんなちっぽけなお話。
箱で生まれた、小さな家族のお話。
・ ・ ・ ・ ・
ガタン! とそれは大きく揺れた。
恐竜でも乗っかったのかと思い、小池隼人は見上げたが、そこに見えるのは無機質なパネルが並ぶ簡素な天井。
中央には開けられるようになっているのか、口のような四角い枠がある。
いつも乗っているエレベーターはこんな天井だったのか……と、隼人はランドセルの肩紐を握りしめて、口をぽかんと開けた。
しかし、まわりの大人たちは、隼人のようにのんびりとしていない。
同じエレベーターに乗っていた他の三人は、揺れと同時に不安を口にした。
「何だ、止まったぞ?」
背の高い中年男性が、顔をキョロキョロさせる。
髪の毛は短髪で整えられているものの、髭が不精に伸びており、服装もジーパンにボーダーのポロシャツとやけにカジュアルだ。
「ちょっと、もしかして故障?」
そう言ったのは、ピシッとスーツを着こなす若い女性。
長い髪の毛を後ろで一つにまとめ上げ、一本の乱れも許しはしないと言いたげにバレッタで留めている。
そんな彼女の勝気な印象の瞳も、突然のエレベーター停止に不安の色が陰っていた。
大人二人の向かいには、学ランを着た中学生くらいの男の子が立っている。
カバンを腰らへんで携え不機嫌そうに舌打ちをしたので、近くにいた隼人はちょっとだけ肩をすくめた。
(怖そうな、お兄ちゃん)
隼人がちらりと中学生男子を見上げれば、何見てんだよと言いたげに、彼は睨みつけてくる。慌てて視線を下に落とした。
見た目はいたって普通の中学生だが、小学生からしたら十分に怖い存在だ。
小池隼人、小学四年生。
今時の小学生らしく、毎日習い事に追われる日々を過ごしている。
現在乗っているこのエレベーターだって、英会話教室がこのビルの五階にあるために乗り込んでいたのだ。
週に二回、半年ほどこの教室に通っている。
しかし、そこへ向かう隼人の足取りはいつだって象のように重くのろい。
英会話教室の小花先生の英語は、どうにも胡散臭く隼人には聞こえる。
初日に「ホワッツゥユァネーィムゥ?」なんてビブラードされた言葉に、隼人は口を引きつらせたものだ。
(行きたくないとは思ってたけど……まさか、エレベーターが止まっちゃうなんて)
他の人物に視線を向ける。
困ったことや危ないときがあったら、まわりの大人に助けを求めなさい。という母親の教えを思い出して、隼人は一番年上の中年男性をじっと見つめた。
すると、バチッとその中年男性と目が合う。
彼は隼人の視線に、はっとしたかのような表情を見せると、小さく咳払いをした。
「まぁ、落ちついて。とりあえず緊急連絡をしようじゃないか」
一番落ちついていなかったくせに、そう言う。
中年男性は、階数ボタンが並んでいるところの上にある非常ボタンを強く押した。
それを見て隼人は「あれ僕も押してみたかったな、ちぇ」なんて思う。
「あーすみません。エレベーターが止まってしまったみたいなんですが」
マイクに向かって、彼は言葉を発した。
しかし、そのマイクの向こうから声はなかった。
「すみませーん、聞こえてますか?」
返事はない。
「あのー、誰かいませんかー?」
続けるが、ない。
「止まって困っているんですー」
まったくない。
しばらく、小さなマイクに向かって叫ぶ中年男性。
そんな彼を他の三人はじっと見ていたが、手応えがないのをすぐに感じ取ることができた。
その視線を受けて、中年男性の声も弱くなっていく。
「あのー。もしもーし……」
虚しく中年男性の声だけが、エレベーターの中で響いている。
そんな声を遮ったのは、凛としたスーツの女性の声だ。
「もしかして管理人さん、いないんじゃないんですか」
その言葉に先に反応したのは、今まで黙っていた中学生男子だった。
「何それ。コールセンターとかにつながるんじゃないの?」
「直接コールセンターにつながるボタンと、まず管理人室につながってそこからメンテナンス会社に連絡する、ていう場合があるって聞いたことがあるの」
少年からの疑問に、女性は冷静に答える。
しかしその表情には、うっすらと焦りのようなものもある。
「反応がないってことは、管理人さんが気づいていないんじゃないの。それか」
そこで女性は間を一度置いて、三人を見た。
「そのボタン自体が、故障したか」
その言葉を受けて、三人の男たちは押し黙ってしまう。
しんと静まり返ったエレベーター内。
そんな中、隼人はのん気にも「これで英会話教室に行かなくて済むかなぁ」なんて考えていたのだった。




