a025――図書館の猫
俺は小説家である。
名は神無月という。
長い微睡みから目覚めると、上位世界である叡智の図書館に俺はいた。
ソファの上で欠伸をして伸びると、身体に違和感を抱く。
寝ぼけ状態で這うように移動し、手近の鏡を覗いた時、我が身に起きた異変に気がつき、眠気は吹っ飛んだ。
俺の姿は青い目の黒猫と化していたのだ。
何かの間違いか幻覚かと、頭を振ったり、前腕を振ったり、鏡に顔を近づけたり遠ざけたりするが、鏡の中の俺は間違いようがなく猫だった。
鏡の中の自分の顔をマジマジと眺めていると、背後から視線を感じる。
鏡に映る俺の背後には、オレンジ色の髪のツノの生えた幼い少年……子ゲンマがニコニコしながら立っていた。
俺がゆっくりと振り返ると、奴は口の端を釣り上げ、ニンマリ笑う。
今の、頼りない小さな体の俺には、この上もなく……恐ろしい笑顔だった。
慌てて、その場から逃げ出した。
「まってよー!」
奴は笑顔のまま、俺を追いかける。
◇
叡智の図書館は六角形の円柱のような建造物で、その中心にある吹き抜けの空洞を螺旋階段がなぞるようにあった。
各階には小部屋に通じる扉があり、そこに宇宙の記録の全てが記された蔵書が並べられていて、叡智の使徒である司書たちが、その管理をしている。
俺は螺旋階段を登ったり降りたりして、ゲンマを振り切ろうとするが、奴はこの追いかけっこを楽しんでいるのか、面白半分で俺を追い回していた。
「まってってばー」
「遊ぼうよー」
「うわー、すばしっこいなー」
「あはははー」
奴は走り回ってても余裕で追いついてくるが、俺は必死に逃げ回って、息も絶え絶えだった。
「つーかまーえたっ!」
隅っこに追いやられた俺は抵抗虚しくゲンマに飛びつかれてガッチリホールドされた。
ゲンマは見た目相応の子供らしい遠慮のカケラもなく俺を力任せに締め付けて頬ずりする。
思わず『助けてくれー』と言葉を発しようとするも、俺の口からは『にゃーにゃー』という情けない鳴き声しか出てこない。
「こらー!ゲンマー!!」
聞き覚えのある声で叱責が飛び、俺は緩んだ隙に拘束から逃れる。
「猫を苛めちゃダメじゃないか!!」
俺は声の主であるセツ少年に駆け寄った。
「いじめてないよー」
奴は手を振って弁明する。
「猫さんは寝るのが仕事みたいなもんでヤンス。あんまり長い事追いかけ回したら疲れ果てちゃうっす」
セツ少年の隣にいる、初対面の少年がしゃがんで俺の背中を撫でながら労ってくれた。
「この子だーれ?」
ゲンマは少年を指差してセツに尋ねた。
「新顔のヤコくんだよ。長い事ダンジョンで彷徨ってたのを、お館様が連れてきたんだ。ヤコくん、こいつが赤龍族のゲンマだよ」
「ふーん……君が、ヤコブスくんねー。よろしく!」
ゲンマが手を上げて元気よく挨拶すると、ヤコ少年は立ち上がって揉み手をしながらペコペコしだした。
「これはこれは、天下に名高い友人龍ゲンマ様!お初にお目にかかり光栄でっせ!!」
「んんー?なんかイメージと違うなぁ……?」
ゲンマは少年の分かりやすいゴマ擦りに首をひねっている。
「ヤコくん、別にご機嫌取らなくていいよ……コイツちょっと煽てるとすぐ調子に乗るから……」
「ひどーい!」
セツ少年が呆れ気味に言う事に俺は“激しく同意”を表明するも、やっぱり『にゃー』としか言えない。
「権力者には全力でへつらうのが自分の処世術でヤンス!媚は売れるだけ売ってナンボでっせ!」
良く分からないが、年の割には随分と逞しい精神の持ち主のようだ。
「君はウルラのお兄さんなんだよねー?」
「ウルラ……?あー、スカーレの事か!いやー、妹が大出世したみたいで、お兄ちゃん嬉しいでヤンス!」
ウルラは確か冒険者ギルド幹部の一人だったな。
現在は魔大陸のギルド支部長を務めている筈だ。
「でも、自分がうっかり行方不明になっちゃったせいで、随分苦労させちまって、本当に申し訳ないでヤンス!」
ああ、思い出した。
ソルラエダが王都のダンジョンで殺害した奴らの仲間の冒険者だったか。
「気になってたんだけどさー。何で、アイツらの仲間やってたの?アイツらマジで悪人でしょ?」
「いやー、ゲンマ様、それがですねぇ……あの当時は他に目ぼしい冒険者がいなかったんでヤンス……」
彼は頭を掻きつつ弁明している。
「英雄ジョイスが故郷に帰った後、冒険者の引退ラッシュが続いた結果、王都には彼らくらいしか実力者が居なかったんでヤンス」
俺は『へー』と言ったつもりだが、口から出てきたのは、やはり『にゃー』だった。
「それに、昔はもう少しマトモ……というか、あそこまではヤバくなかったんで……特にリーダーは悪い仲間と縁が切れれば、まだ引き返せる……と思ったんすが自分の判断が甘かったでヤンス。でも、王都ダンジョンの管理者権限とか自分一人で扱える案件じゃなかったし、当時はリーダーに相談するしかなかったんで……とほほー」
「だからって、いきなりダンジョンの管理権与えたのは不味かったんじゃない?」
「いやー、それがっすねー、まさか、いきなり刺されるとは思わなかったし、しかもダンジョンで死んだのが確定するとは思わなかったんでヤンス!制御室は仕様が別なんすねー。まったくダンジョンは謎だらけっすよ!ほんっと、仮権限にしておいて、良かったっすー」
ゲンマは少年の物言いに納得しつつもまだ首をひねっている。
「幹部経由で聞いた話とだいぶキャラが違うなぁ……聖人みたいな善人って聞いていたけど……?」
「いやー、自分、善人って柄じゃないんで。ただ、王都在住で盗賊のクラスを持ってると、近所で盗難事件が起きるたびに弁解する羽目になりがちでして……日頃から意識して点数稼ぎしとかないと、ままならないんす。保身っす保身。王都の盗賊クラスの冒険者は大変でヤンス!」
「盗賊クラスを変えれば良かったんじゃない……?」
セツ少年は尋ねた。
「それはごもっともなんすが……他に王都で稼げるクラスがなかったんで。魔術師は素質もコネもない、レンジャーは王都を出て郊外で厳しい修行する必要がある、戦士系は供給過多な上に初期費用が掛かる……当時、自分に出来て、手っ取り早く稼げそうなのが盗賊クラスの冒険者と荷物持ちくらいだったっす」
なるほどなー。
中々、地に足のついた少年じゃないか。
少年達の話を聞いてるうちに、睡魔が襲いかかってきた。
俺は螺旋階段の脇にあるアンティークなソファの上で丸くなる。
「猫さんは疲れたようでお眠でヤンス」
「もう、追いかけ回したりしちゃダメだぞ、ゲンマ!」
「しないよー!」
「よし!じゃあ、ダンジョンに遊びに行こう!」
「やったー、でヤンス!」
「わーい!」
少年たちは、どこかに遊びに行き、辺りは静寂に包まれた。
◇
大きな白い手のひらの上を蝶になって飛び回る夢から目覚めると、俺はまだ叡智の図書館にいた。
欠伸をして顔を前腕で擦っていると、上空から何かが迫ってくる気配を感じる。
俺は螺旋階段が取り囲む無限に伸びる吹き抜けの遥か上方を覗き込む。
空から降りてきたのは、キラキラしたパーティクルを伴った羽の生えた猫だった。
水色のフサフサした毛並みで、額に星の模様が入っている変な猫だ。
『にゃづっちゃ〜〜ん!!』
そいつは妙な鳴き声をあげながら俺に向かって飛び跳ね、擦り寄ってきた。
ゴロゴロゴロゴロ……と喉を鳴らす彼女に戸惑っていると……
「えー、また君ー?何でこんな所まで来てるのさー!」
声の方を見ると、ゲンマがダンジョンの戦利品らしき財宝を身に付け、槍とド派手なデカイ仮面を手に持ち走ってきた。
「どーせ、なんかズルして侵入したんでしょー!用がないなら帰りなよー!」
ゲンマが塩対応でしっしっと手を払うと、彼女は舌を出してあかんべーをする。
『BLドラゴンの魔の手から、にゃづっちゃんをまもるにゃ!』
「意味分かんない事言わないでよー、むかつくー!」
ゲンマと彼女が睨み合っていると、空から雨傘を持ったエルス族の少年がゆっくりと降りてきた。
「……これは失礼。ゲンマ様、カンナヅキ殿」
以前に自治区にも訪れたモンちゃんだ。
左手には手錠で繋がれた銀色に輝くジェラルミンケースを持っている。
「君まで何しにきたのさー!ここは関係者以外立ち入り禁止だよー!」
ゲンマはぷんぷん怒っているが、子供状態だと迫力ないなーと思った。
「何の騒ぎだ」
その一言で、俺たちは全員、その場で平伏した。
お館様だ。
「エルダーエルスのモメントだな?」
「ははっ!いと尊き、叡智の管理者パレス・ビブリオン様!」
「夢幻界から侵入したようだか……何の用だ?」
「時間管理局ノルンよりの密書をお持ちしました……お納めください」
彼は手錠を外してジェラルミンケースをお館様に差し出した。
「確かに受け取った。後ほど内容を改めよう……せっかく来たのだから、君もゆっくりしていくが良い」
「ははっ」
モンちゃんは俺の知らないお偉いさんの御使いで来たようだ。
経緯はともかく、お館様は彼の滞在を許可した。
「君は何しに来たのさー。ここは不法侵入者には厳しいんだからね!」
ゲンマは水色猫に厳しく詰め始めるも、お館様はやんわり押しとどめる。
「まぁ、ゲンマ。彼女はこれでも上位存在の端くれでもある、人間の理りには当てはまらない存在だ」
「ええー、それズルいー!」
水色の猫はドヤ顔で澄ましている。
「しかし、星の民の娘スピカよ。この叡智の図書館は飽くなき探求をする者の為に存在する構造体だ。君がここに足を踏み入れた以上、何か一つでも新しい学びを得て行きなさい」
彼女はお館様の言葉に一瞬ギクッとして冷や汗を流すが、
『はい!がんばるにゃん!』
と、明るい笑顔で能天気に答えた。
俺は再びソファの上で丸くなると、その隣にスピカが飛んできて擦り寄る。
さらにゲンマが龍形態に戻り、俺たちの周囲をとぐろを巻くように囲み込んで眠りの姿勢を取った。
俺はやれやれと思いつつ目を閉じた……。
◇
――目が覚めると、領事館の寝室だった。
隣ではモジュローが酷い寝相で寝ている。
「ふへへへ……チョコレートのケーキもプリンも全部いただきますよ……」
コイツ、また食い物の夢を見てるのか……。
俺は何となくムカついて、モジュローの額にデコピンをかました。
「――痛っ!!」
目覚めたモジュローは寝ぼけ眼でヨダレを拭う。
「何するんですか!!」
お前、食い物の夢しか見ないのかよ……他の事に興味はないのか?
「な、な、何を言ってるんですか……そんな筈ないでしょう!そ、そういうあなたはどうなんですか!!」
「俺は猫になった夢を見て、その夢の中で昼寝して蝶になった夢を見たぞ」
「何ですかそれは……あなたは夢の中ですらメチャクチャな上に惰眠を貪っているのですか?」
それにしても……果たして俺は猫になった夢を見たのか、猫の俺が人になった夢を今見ているのか……一体、そのどちらが真であるのだろうか……?
「何故あなたは、答えの出ない問題や非生産的な事ばかり考えているのですか。もっと社会の役に立つ実用的な事に頭を使ったらどうですか!」
「うっせーなー。そんなこと言ってたらオヤツやらないからな。あー、チョコのケーキとプリンだっけ?じゃあ、今日はプリンケーキでも作るか」
「何故そのような素晴らしいモノを私から遠ざけるようとするのですか!許しませんよ!!」
俺はキーキー怒るモジュローの頭を撫でてるうちに夢の内容を忘れ、ただその余韻だけに浸った。




