2話
意識が鈍痛と共に泥濘の底から浮かび上がる。
左の後頭部と首筋が酷い痛みを訴えてきている。
ついでに言えば左目の奥底も少し痛い。
「お・・・、ケホッ、ケホッ。」
意識が無い間口を開けたままにしてたようで、喉の奥まですっかり乾いていて思わずむせる。
「おっ、起きたな嬢ちゃん。さっきは蹴っちまってすまなかったな。水飲むかい?」
パキパキと音がして目の前に差し出されたのは市販のペットボトル水。
見れば周りはゴミだらけで、外は暗く、木々のざわめきからどこか山奥の廃墟の一室だというのが解った。
大きなバッテリーから伸びたケーブルが天井にくくり付けられた投光器に繋がっていて、割れた蛍光灯の隣で部屋を照らしていた。
腕も足も全金属製のがっしりしたイスに縛り付けられていて動かせそうもない。
目の前に居るペットボトルの差出人も同じイスに座っているから、恐らくこの椅子は元からこの廃墟にあった物だろうか。
ここは山奥の廃病院か何かだろうか。
「アンタ凄ぇよ嬢ちゃん。ローファーの底にセラミックナイフ見つけた時はシビれたぜ。俺を撃った時もそうだったが、相当覚悟キまってんなアンタ。」
銃で撃ち殺したと思い込んでいた男の、その仕立ての良い黒地に薄紫が入ったスーツには穴が開いていて僅かに凹んだ痕がある防弾プレートが覗いている。
「・・・、アナタどこの何者よ。」
「んあ?悪ぃ悪ぃ、こういう時は自己紹介が先だったな。オレは月岡組で若頭やってる安城ってモンだ。半年くらい前に嬢ちゃんの親父さんにウチのオヤジとか諸々しょっ引かれてな。今はオレが代わりにシキらせてもらっている。」
「そう、それでお父様への仕返しにわたしを誘拐したってわけね。脅迫に使うつもり?それとも殺すの?」
「話が早くて助かるねぇ。ついでにこの状況で取り乱さない胆力も良い。気に入ったぜ、嬢ちゃん。」
「一緒に連れてきた子が居るでしょう。あの子はどうしたの?」
「あぁ、あっちの嬢ちゃんなら隣の部屋にいるぜ。ぼちぼちゴンダのヤツが”お楽しみ”に使い始めて・・・、終わったらそれでお終いだろうな。」
「・・・、下衆ね。」
「そこは同意だ。だがあの街じゃ一般の目撃者は出せない事になってるし、消すまでの間にどうなろうとオジさんが知った事じゃない。まぁ、何の後ろ盾も無くあの場に居合わせたあの子の運が悪かったって事さ。」
”運が悪かった”、その言葉が深く冷たく、心の奥にのしかかってくる。
違うのだと心が叫びたがっている、彼女はわたしが巻き込んでしまったのだと。
「わたしの事、気に入ったついでであの子の事は見逃してくれると助かるんだけど。」
「嬢ちゃんにもあの子にも悪いがそれはできないな。ここで解放したってどうせ後で今回の依頼主に消されるのがオチさ。」
安城を名乗る男はあっさりと申し出を切り捨てた。
当然交渉に使えるような物や条件なんて持ち合わせていない。
これ以上彼女を守る手立てを思いつけない。
手足はプラスチック錠できつく縛られ、せめてもと隠していた武器も暴かれて取り上げられたわたしに何ができるのか。
諦めまいと必死に拘束を解こうと体を動かす。
結束バンド様の拘束具だ、イスのどこかの突起部分に擦りつければなんとか切断する事ができるかもしれない。
「おっと、嬢ちゃんそれまでだ。一応依頼主には生きてるのが好ましいって言われてるからな。暴れられたらさすがにオジさんも嬢ちゃんの命を取らなきゃなる。」
そう言ってペットボトルの代わりに差し出されたのは漆黒の銃口だった。
男はゆっくりと撃鉄を起こし、あとは引鉄を引くだけで拳銃はその口から火を噴く。
パンッパンッ、と乾いた発砲音が2発、建物を反響した。
時刻は戻ってその日の夕刻。
「それで、ちゃんと神山少年を追い出してくれたんだな?」
背もたれに深く背を預けて生徒会長は報告を聞き取る。
「はい、俺の権限で本日付けの下校処分をしましたので神山は明日朝4時まで登校できません。それと会長、やはり神山は今日の事に結構勘付いてました。」
事務的に報告するのは藤藤コンビのうち、政治的に会長に近しい藤堂の方。
「はぁ、本当に彼ってヤツはどこから嗅ぎつけてきてるんだか。それで、彼は何か言ってたかい?」
「はい。アイツ、俺達に賭けを申し込んできて”彼女たちが生き残る方に賭ける”と。」
「賭けとは、本当に好きだな彼は。先週僕にホールデムを勝手に仕掛けてきては勝手にボロ負けしたくせに、全く懲りないヤツだ。」
以前から重ねられていた神山少年の奇行を思い出す生徒会長、久我宮。
クスクスと笑う彼の背後にあった無線機が鳴った。
『こちらポイントB、恐らく外部のヤクザだと思われますが武装勢力が目標を襲撃しました。護衛の4名は死亡、複数の狙撃手による銃撃があった模様です。阿良々木女史が護衛の銃器で応戦しましたがすぐに制圧され、居合わせた一般生1名と共に連れ去られました。』
「なんだって?」
急いでマイクに振り返り、問い直した久我宮の背筋に冷や汗が染み出す。
「確認だ。一般生に巻き添えが出たのか?」
『はい確かです。改札の通過情報と顔認証から1年E組の忍田シナが現場に居合わせて攫われたようです。』
「・・・、承知した。各監視ポイントの諸君は監視を継続。アクアライン経由か海路経由か、連中の脱出経路を確認するまで監視を継続してくれたまえ。」
『『了解しました。』』
現場指揮官たる生徒会長は出すべき指示を出し終えると、思わず食いついていたマイクから体を離し、再び生徒会長用の豪奢な背もたれにもたれかかってその柔らかさを確かめる。
「ふぅ・・・。さて、君たちが聞いていた通り計画外の、一般生が巻き込まれるという不味い事になった。風紀月間という建付けで今週この時刻の都市外への外出は禁止にしてたが、どうしても風紀を守らない一般生が出てくるものだな。藤堂君、習志野の君の御父上に動いていただくことは可能か?」
「はい、すぐに一佐に連絡を繋ぎます。」
「さて、通常の手順なら問題の一般生はこれからウラのデータベースで照会がかけられて、シロだった場合は処分されることになる・・・。ことになる・・・、が。」
真剣に思考を巡らす彼の脳裏に先ほどの闖入者の間抜けな笑顔が過る。
「すまないちょっと待ってくれ藤堂君。あと藤森君ふたり共にもう一度確認したい。神山少年はなんて言っていたって?」
スマホ片手の藤堂と、後ろ手に組んで待機していた藤森が互いに顔を見合わせる。
「そういえば・・・。」
「神山は彼女”たち”が生き残る方に賭けると・・・。」
「くっ・・・!」
ふたりの回答を聞いた瞬間、生徒会長は凄まじく渋い、まさに苦虫を嚙み潰したような表情になる。
神山少年がどこまで噛んでいるのか、どこまで知悉しているのか、正当会長には未だに読めない事が多いが、少なくともこの状況を彼は既に予見していた事が帰納法で証明された。
「露崎君、件の一般生の照会をやってもらえるか?」
「実施中です会長。表も裏も何も登録が無く、彼女は間違いなくシロです。今は経歴を調査中ですが・・・、あっ・・・。」
会長席の隣でノートPCを動かして情報収集を行っていた彼女の手が止まった。
「どうしたね露崎君。何か掴んだのか?」
「えっと・・・、その・・・。何て言えばいいか・・・。」
「一体何を見つけたんだ。言葉に詰まるなんて君らしくない。」
「問題の忍田シナについて渡航歴あり。一昨年両親の仕事関係で出国、昨年帰国となっていたのですが、出国履歴に偽造の気配があって掘ってみたんですが・・・、あの・・・。」
普段は鋭い眼光と鋭い眉、厳しい表情で黙々と仕事をこなす彼女が非常に珍しく慌てていた事に、他の3人は何か途轍もない異常が進行中である事に勘付く。
「その、出国審査時に提示された扱いになっているパスポートに、恐らく会長宛てのメッセージが書いてありまして・・・。」
そう言って露崎女史がすごすごとノートPCの画面を会長に見せると、そこには出国記録としてアーカイブされていたパスポートの写真が写っていた。
そのパスポートの名義欄に本来あるはずの本名の記載は無く、”やっほー!会長みてるー?”の文字列が。
名指しでメッセージを受け取った久我宮は、その瞬間に力が抜けてそのまま机に突っ伏した。
それを黙って見守り続く指示を待つ藤堂と、抱腹絶倒で床を転げる藤森、予想外の事態に困惑する露崎女史。
「いやまだだ!これは好機である!妙に暗躍をしてる風だった神山のヤツがついに尻尾を出したんだ、ここで黙って手をこまねいている暇はない!藤堂君、君の御父上に偵察用無人機を出して頂けるか聞いてくれ!あと元一般生の経歴は後回しでいい、露崎君はその書類が誰の手で偽造されたかを引き続き調査してくれ!」
しかし学園生徒会の長たる久我宮の気持ちの切り替えは非常に早く、状況を分析して対応を策定、出すべき指示をふたりに出す。
「「了解しました。」」
指示を拝領したふたりは早速その通りに動き出す。
「すみません会長。そういえば以前、親父さんに神山の事相談するって言ってましたよね?」
手持ち無沙汰だった藤森が生徒会長に問いかけた。
「あぁ。父上に申し上げたさ。そしたらなんて返ってきたと思う?”フィクサー気取りのヤツはいつでもどこでも居る。乗りこなせ無ければお前は器ではないだけだ”って激を飛ばされたよ。今まで不明だった彼の所属、目的が明らかになりそうなんだ。これを利用しないワケはないさ。」
そう答える久我宮会長の目は輝いていた。
「あぁん?ゴンダのヤツ、もうヤっちまったのか?」
隣の部屋で響いた2発の銃声に男がわたしから目を離して部屋の入口の方を見る。
部屋の外に目を向け、明らかに油断していて、今なら噛みついてその拳銃を奪う事もできるだろう。
だがもうすべて遅かった。
隣の部屋で銃声が鳴った意味と、そして多分その原因も伺い知れた。
あの時彼女におせっかいを焼かなければ、という後悔の念が溢れ出てくる。
「オイ、スガイ。ちょっと見てこい。」
「ウッス。ゴンダの野郎随分と早かったな。」
スガイという男が言われた通り、隣の部屋を見に扉を開けた瞬間、目の前にそれは居た。
頭からつま先までずっぷり血飛沫を浴びた真っ赤な少女が、幽鬼のような目で。
肉体、精神、魂、総てこの世に非ずというような目で、スガイを見返していた。
若頭、安城は最初から違和感を感じていた。
計画にはいつだって”振れ幅”がある。
今回だって最高で一瞬で護衛を消して無傷で嬢ちゃんを拉致、最悪で車で体当たりキめてアシを封じて、銃撃戦の果てに無傷じゃないかもしれない嬢ちゃんを拉致、とケース分けで段取りしてあった。
依頼主側からも、現場に目撃者がいる可能性は非常に低くなるようセッティングされていると伝えられていた。
そこに偶々居合わせたあの小さい少女。
あの小さい方の嬢ちゃんが”運良く”護衛全員と、この嬢ちゃんの気を引いてくれたから計画は最高の結果になった。
偶々運が良かっただけかもしれないがそれはこの業界、そういう上振れは実際少ないのも経験している。
今回、余りにも事が上手く運び過ぎていることに今更気が付いた。
そういう時は大概誰かが絵図を描いていて、自分達がその上を踊らされている時だ。
ではこの罠は誰が張った物なのか。
スガイの体を赤茶色い何かが這い登った後、ポロリと部下の頭が落ちる瞬間にそれを理解した。
再び響く銃声、明りを撃ち抜かれた。
「何モンだ嬢ちゃん・・・ッ!」
銃は隣の部屋の奴らのだ、だがスガイの首を落としたエモノは何だ?
しかしどうやってボディチェックをすり抜けたのか?
湧き続ける疑問は他所に応戦しようと銃を構える安城。
暗闇の中、地面を這うように高速で接近するソレに狙いを構えるが、上手く照準が定まらない。
手首に何か細い物が引っかかり、皮膚を擦り上げる熱感と共に上に引っ張られる感覚がすると、銃を握る手首が自身から離れたのが見えた。
斬鋼線ッ。
安城はその思考が自分の手首を落とした武器の正体に気づいた瞬間、自分の胴体を最期に目撃して思考の泥に沈んでいった。
ふたり分の死体から噴水のように溢れる血が部屋にまき散らされ、咽かえる臭いが部屋を充満していく。
防刃・防弾ベストなどにも使われるアラミド繊維製のワイヤーにダイヤ粉をまぶしたものを、相手の体を這い登りながら首に巻き付け、そのまま肩を蹴って飛び上がった勢いでその”刃渡り”を最大限に活して頭を切り落とした少女。
切り口から噴き出る血液を、空中で宙返りしながら全身で浴びた彼女は、そのまますとん、と軽々と着地を決めた。
セーラー服も、髪の毛もすっかり赤黒い鉄と脂でできた液体に塗れたその姿を見て阿良々木ナギは全てを理解した。
彼女は今まで沢山こんな事をしてきたから、あんなにも痛んだ髪の毛をしていたのだと。
「先ほど直接申し上げたが、やはり藤堂君の御父上には本当に感謝しかないな。」
先方は快諾してくれたがしかし、子供たちの管轄でおきた”おままごと”に大人を巻き込んでしまうのは気後れする物がある。
それでも秘密裏、直接に陸自の一部を動かしてもらうよりはこちらの方がまだマシというもの。
今、生徒会室のモニター6面全面を使って表示されているのは、”習志野”から1時間だけとお借りできたスキャンイーグルからの偵察映像。
操縦はその1時間の間、生徒会室のパソコンと回線を介して藤堂少年が行っている。
光量増幅および赤外探知が可能なカメラを搭載したそれは、監視班が確認したプレート情報と、海ほたるから千葉に行った情報を組み合わせ、交通カメラで検索して割りだした山奥の廃病院の上空を自動モードで旋回していた。
中の様子は伺い知れないが、その小さな病院の入り口前の狭い敷地内に追跡していた車が止まっていたのと、電気が通ってない筈の建物に2部屋分の明かりが灯っている事。
そして何よりなんらかの武装集団が山林に隠れて病院を、大体半径100mほどの円の形で包囲しているのが赤外線で見えた事が確定的だった。
2,3名単位で行動し、合計15名6班で互いにカバーできる位置を取りながら、山林に隠れながら病院を監視できる状態を維持している。
病院の大きさはまぁまぁあり、表に並んだ小さな物とは別に山側の裏手にも大きめの駐車場スペースが用意されてある。
包囲の内訳は5つの班が山林側、のこりの1班+山林側の両端にある班が車道側へ逃げた場合の”対応”をする手筈の様子。
その配置や動き方から山岳兵に分類されるであろう兵科である事が推察されるが、今回誘拐された彼女の父親は警察官僚。
事態発生に気づいてご息女を助け出すために繰り出したと考えると、この武装勢力は”古巣”の特殊部隊の可能性があるが、残念な事に藤堂君曰く「警察の動き方じゃない」そうなのでこの謎の武装勢力は警察所属の特殊部隊ではない。
もちろん自衛隊でもない。
今回、御令嬢を誘拐したヤクザは学園都市に正規に出入りできる事を利用した使い走りで、この武装勢力の方こそが直轄の手駒なのであろう。
「これ、多分革命独立派の兵隊だよね?・・・、本当に大丈夫なのかい?」
「大丈夫なのかいって、会長が”神山を信じる”って言い出したんでしょう。オレ達、もう今更引けませんよ?やっぱ藤堂の親父さんに直接出てもらった方が良くなかったですか?」
独立派とは我が国が所属する陣営と絶賛冷戦中の某隣国のイデオロギーに感化された連中で、その兵隊とくれば密やかに中央アジア某国で教練を受けた者もいるという。
「それこそもう遅いってものさ、諦めて僕らは眺めるしかないよ。ところで半年前に組長逮捕とシノギを潰されたヤクザは阿良々木副大臣への意趣返しが目的として、コイツらはなんで動いていると思う?露崎君。」
「現状では判りかねます。治安維持特命副大臣は非常に積極的に敵を作っていますので特定が困難ですね。一応副大臣が過去に逮捕・壊滅に関わった独立派暴力組織のリストアップは終わりましたが、今すぐ役に立つような物ではないでしょう。」
「だよねぇ・・・。」
力なく椅子に沈み込んでいる生徒会長は、リラックスを通り越して最早諦めたように事態を見守るが、考える事は止めていなかった。
「ところで、露崎君。結局後回しの指示を出してしまったが件の一般生の素性の方はどうだい?」
「はい。彼女が出国した扱いになっている南米ブラジル大使館にて、5年前に国外行方不明人として処理されていた彼女の戸籍の復帰手続きが行われた所まで判明しています。これ以上の調査は明日、日中に正式な書類を外務省に提出してからになります。」
「ふぅん。戸籍復帰手続きとは、かなり珍妙な経歴の持ち主だなぁ彼女は。なんだろう、副大臣は警察出身だし外事課経由でなんか横車を押した感じかなぁ?」
会長がそう暢気に口にした時、監視映像で動きがあった。
「それで、貴女は本当は何者なの?本当はわたしに近づいて殺しに来た別口の殺し屋?」
イスに縛られたまま、少女は未だ髪の毛から血が滴るもうひとりの少女にそう問いかけた。
問われた殺人鬼は答えない。
誰何を無視してただ、窓の外を見、そして天井を見透かすように宙を見る。
そして徐に足元に転がってるたった今こさえたばかりの右手無し、首無し死体の腰に手を伸ばし、そこに差さっていたプレートナイフを取り出す。
少女の手には不釣り合いに分厚く、幅広の刃をもった鈍色の刃が枠だけになった窓から差す月光に晒され輝いた。
ナイフを逆手に構え、死を友とし背後に連れ、足音も無く殺し屋が近づいてくる。
縛られた少女は動けない。
椅子の上の少女の脳天へ空気を引き裂きながら金属が襲いかかる。
音速を超えて飛来した7.62mm弾をプレートナイフが弾いた。
金属と金属が出会って砕け、石火が暗闇を奔る。
肉厚のナイフが砕けた断末魔が室内の人間の鼓膜を破りそうになる。
「ひゃっ?!」
脳天にナイフを突き立てられると思った事、その脳天の後ろで人を殺して余りある運動エネルギーが爆発的に霧散した事で、思わず小さい悲鳴を上げた少女。
激しい衝撃音に呆気に取られている間に椅子に縛られた少女は横倒しになっていて、月明りの当たらない窓際の影、目の前には命を救ってくれた血塗れ人形の玻璃の瞳。
「ここを動くな。」
「”動くなって”、最初から動けませんよわたし?!」
一方的に命令して狩人は血の匂いを残して暗闇に溶け消えた。
「狙撃失敗、狙撃失敗!なんだアレは!ナイフで弾かれました!」
「狙撃失敗了解。目標Aの排除は一時止め、目標Bの排除を優先に変更。このまま殺傷界を維持しつつ1,2班で突入して狩る。2班はこちらに合流しろ。」
焦る部下と対照的に、この部隊唯一の”アフガン帰り”の指揮官は淡々と命令を下す。
彼も確かに光増幅型暗視装置で見える緑色の景色を通して、まぐれかも知れないが確かにナイフが砕けて狙撃が失敗したのを横で見ていた。
冷静に、事態の急変を分析する指揮官。
ヤクザが事前に誘拐したと報告していた2名。
片方が本来捕獲する目標だった副大臣の娘、目標A。
そしてもう片方は「予定外の目撃者」としてヤクザが回収、捕縛した目標B。
理由や経緯が不明だが、目標Bは自分を拘束していたヤクザ2名を不明の手段で殺害し、更に目標Aを確保していたヤクザ2名も同様の手段で一瞬で殺害。
近接戦闘に置いて非常に強力な攻撃力を持っている事が伺える。
直前に見た光景はまるでナイフで椅子の上の息女を殺そうとしている様にも見えたが予断は禁物、目標は敵性として排除を麾下の兵士に命令した。
鹵獲された可能性のある武装は最大でヤクザの拳銃が4人分4丁分、襲撃用に支給していた自動小銃は乗ってきた車両に置いてあるのを確認している。
環境は夜闇。
彼我の距離は100mほど。
偶然、奇襲の狙撃は防がれたせいでこちらの存在には気づかれてしまったが、依然夜眼鏡と自動小銃の力で優位はこちらにある。
ヤクザが全滅し、謎の護衛と思しき戦力が登場したことで、作戦目標は既に目標Aの確保から殺害へと移行している。
障害は2つ。
まずは目標Aが隠されている廃病院のコンクリート壁、こちらの小銃弾では貫通しない。
手りゅう弾を使おうにも接近する必要がある。
そして何より最大の障害である目標B。
これの近接戦闘能力が未知数ゆえに廃病院に近づくためには数が要る。
それ故にまずは麾下の1班と近くの2班が合流し、道路をふさぐように配置した6班を除いた3,4,5班の援護を受けながら廃病院に接近する必要がある。
大枠としては「武装として有利な遠距離から牽制を続け、近接戦は人数で押す」。
目標Bが本当に阿良々木副大臣息女の護衛だった場合、向こうが取れる対処フローは限られる。
息女を連れて逃げる事は不可、山道での移動は当然の事、車での移動は軽機関銃2丁と4または5班の射線を生き残る必要がある。
迎え討って出る事も公算は低いだろう、最悪車の自動小銃を見つけられ、ヤクザのひとりが個人的に夜眼鏡を持ちこんでいたとしても人数差で押し潰せる。
やはり一番の不安材料は近接戦闘になった際の戦闘の不可測さ。
G36を見つけられる前にふた班で一気に接近し、拳銃で応戦してきた際は残りの班と合わせて牽制射撃を行い制圧し、そのまま息女を暗殺する。
今回は死体の確認までが仕事。
唐突に遠くから発砲音が多数響いた。
「こちら4班!目標Bがこちらに突撃してきました!発砲すれど効果確認無し!目標は既に森の中!4班交戦開始!繰り返す!4班交戦中!」
遠くでもけたたましく聞こえる散発的なライフルのバースト射撃音が、報告の内容を確かにする。
目標Bは包囲の端へ向かって進撃し、敢えて姿を晒す事で4班の居場所を自ら知らせるように追い込んだのだ。
ここは森の中。
緩やかな丘陵地形のおかげで駐車場を挟んで病院への射線の通りが良いが、森の中の互いをカバーするには木が多すぎる。
目標Bの近接戦闘能力の評価を無限大に仮定する。
そしてこちらの配置状況が明らかに読まれている。
「1、2,3班は今すぐ病院へ走って目標Aを殺害しろ!残りは持ち場を維持して援護!急げ!走るぞ!」
直下の2名を率いて指揮官も丘を下り始める。
「4班!状況報告!4班!聞こえているのか!」
応答がない。
少し前から銃声が無いのは膠着状態の兆候と思ったが手遅れだったらしい。
目標Bが山に入って30秒足らずで2名が戦闘不能。
2名との間には距離最短80mに加えて登り坂と山林の障害物があったはず、山駆けの速度が人間のそれではない。
二足を限界まで動かしながら最悪の事態を考える。
2名が装備していた自動小銃を鹵獲されたとして、最初の銃撃で恐らく駐車場を横切る間に撃たれる者はいるだろう。
しかし銃撃で自分の位置を知らせた目標Bに向けて5班と自分が制圧射撃で抑え込み、動ける者が病院に入ってしまえば任務完了と同義。
壊滅した4班のその場の位置から飛んできた鉛弾と耳に馴染んだけたたましい銃撃音。
「構うな!走れ!」
森の中の5班と同時にマズルフラッシュが輝いた地点へ応戦する。
道路側のカバーを想定した5班は分隊支援火器を持つ者をひとり配置してある。
その継続火力をもってすれば山林に出た目標Bを縫い留めるに十分。
2連射目の制圧射撃を叩きこんだ瞬間に違和感を感じた。
銃撃を受ければ木陰に隠れて銃撃の切れ間までやり過ごすのが普通。
であるのに鉛弾の雨を受けている目標Bは一向に射撃を止めない、それに狙いも曖昧で横目で見ればまだ誰も負傷者は出ていない。
恐らく、くくり糸と重しの石ころを使って引鉄を引くだけの単純な罠。
単純なブービートラップを掴まされたのだと気づいた時、夜眼鏡を通して見える緑色の視界が真っ白になった。
信号弾。
非常時用に各班にひとつずつ持たせておいたそれが水平に飛んできて、駐車場を走る集団の中央に着弾して周囲を紅く明るく照らし出した。
この時愚かにも夜眼鏡を外して肉眼で確認しようとした者は、その閃光に目を焼かれている間に何が起こったかわからず死んだ。
夜眼鏡の光量補正機能に頼った者の視界に飛び込んだのは、首、首、首。
手首、足首、生首。
毛髪に隠していた物よりはるかに長い、スカートの腰巻部分に隠されていた刃渡り5メートルを超える2本のワイヤーソーが、防御が薄い部分を絡めとって跳ね飛ばしながら自分に迫ってくる映像が映しだされていた。
現地で「死の風」と呼ばれ恐れられていた殺戮人形の攻撃性能が遺憾なく発揮される様が、彼らが最期に見た景色となった。
既に壊滅と思しい4班に加え、1,2,3班8名のバラバラ死体がたったひとりの少女によって作り出される様を目撃した5班は作戦の失敗を直感する。
「5班より6班!5班より6班!他の班は壊滅した!作戦失敗!繰り返す!作戦は失敗!撤退だ!」
だがしかし、車道側を監視しているはずの6班からの応答が無い。
もう既に?いつの間に?
配下を率いて撤退を開始する班長は所定の無線周波数に変更し、符牒を唱える。
「白樺は燃えず!白樺は燃えず!」
これで少なくとも身柄の受け取りに来る予定だった車両は引き返す。
「俺達だけでも撤退だ!なんなんだあの化け物は!幻でも見せられたんじゃないか!」
魔物が表れた廃病院とは反対方向に山を駆けながら撤退する兵士は、その両の目で確かに見た現象を白昼夢と誤解したのかと疑う。
手入れされていない鬱蒼とした山林をかき分けながら、非常時のアシが置いてある山の反対側を目指す逃亡兵たち。
秋口で落ち葉も多く、事前に頭の中に叩きこんでおいた地形図と、暗視装置が無ければ不可能な速度でガサガサと藪をかき分けながら走る。
そしていつしかふと気づく。
藪をかき分ける音が、自分が立てる音ひとつ分しかない事に。
そして何か、鹿のような軽い生き物が落ち葉の上を駆ける音が自分の背後に迫り寄ってきている事に。
目の前に現れた樹木に体当たりをして強引にブレーキをかけ、ライフルを構えながら振り向く男。
怪物と目と目が合う。
その輝きの無い昏い瞳は、夜眼鏡越しでも確かにこちらの目を見て。
それも肉体ではなく魂を見透かすように静かで冷たい目線で。
結局班長だった男が応戦できたのはたった一発の銃弾だけ。
鹵獲品のナイフがふた筋の弧を描く。
まず引き金にかかった指をなぞり、そして次に顎下から脳髄に突き刺さる。
それでお終い。
追っていた最後の獲物を仕留め終えた狩人は息を潜め、残る視線の気配を感じ取る。
”追いかけっこ”の直前に妙な気配が表れ、遠くにいたふたりを消してすぐに居なくなったのは感覚していた。
そして空から見ている目がひとつ。
遥か上空、暗闇を飛ぶ何かには手が出せないし、向こうも手を出してくる気配がないので無視する。
結局一晩で17人もの人物を殺害した少女はそのまま仕事に戻った。




