罠
いったか。
おっかしな気分やな、ちっちゃかったの頃の乾と巽思い出すわ。
名も知らぬ自分の娘を出送ると、家の中から人の気配がなくなる。
そういや、あいつ自分のこと「はみちゃん」とかなんとか呼んどったな。
それだけやない、気になることも沢山言っとった。この家族父親とは別居しとるとか、そしてオフコラボってなんや。
リビングの扉を開ける。鼻腔をくすぐっていた香ばしいパンの匂いが一段と強烈に広がり空腹にガツンと響く。
「そういえば、腹減ったな。」
部屋の中央に置かれたダイニングテーブルの上には一人分の食事が用意されている。匂いの正体は二切れのホットサンド、それとコーンスープ。
ほぉ、平日の朝っぱらからシャレた生活しとるなあ、ここにコーヒーがありゃもっとよかったんやけど。
丁寧に盛り付けられたホットサンドを一切れ手に取り、リビングの様子をぐるりと観察する。
なんの変哲もないマンションの一角、キッチンとダイニングとリビングが一体となったLDK仕様。ただ、リビングにはカメラやマイクと思われる機材がセッティングされていることが普通の家庭とは少し変わった生活を物語っている。
それらの部屋からは生活感というよりも、小綺麗さが目立つ。
ピロンッ♪
スマホか?どっからや、ソファの上か?
唐突に部屋の中に響いたスマホの通知音らしき音にあたりを見回す。
あったあった。いやー若い体ってのはいいな耳がよく聞こえるわ。
スマートフォンの下部にあるボタンに親指をかざすとフッとロックが解除された。
『あと30分くらいでそっち着くよー』
ロックを解除すると自動的にチャットアプリが立ち上がり、先ほどの通知の内容を知らせてくれる。
30分で着くという旨の連絡に目を疑い思わず時刻を確認する。7:34と表示されており、その人物とのチャットの内容を遡ると、確かに8時ごろに着くと連絡されている。
30分後に、ここに人がくる。娘の時同様、ボロを出さない自信がない。どうしたものか。
朝飯食べながら考えるか。
ピンポーン
インターホンから馴染み深い呼び出しの鐘が鳴る、一枚目のホットサンドを食べ終え、コーンスープを一啜りし二枚目のホットサンドを食べ始めようとして伸ばした手を止める。
いつの間にか時刻はとっくに八時を回っていた。
キッチンで手を軽く水で流し、濡れた手をパタパタと自然乾燥させ、玄関のドアを開け放つ
「おはよー、朝早くからごめんねー」
「おう。とりあえず上がりぃ」
「おじゃましま〜す」
家に入ってきた女は少女のようなあどけなさが残る声でそう言い、玄関に上がり脱いだ靴を整える。
その時にふと目に入った彼女の後ろ姿に息を呑む。
「自分、床屋って知っとるか?」
彼女の腰のあたりまで伸び切った髪を見て思わず皮肉が漏れる。
すると彼女は、自分の髪を指でくるくるとさせながら、あーと声を漏らすとそっかと納得の表情を浮かべて続ける。
「アコちゃんって、美容室系VTuberだもんね。もう慣れちゃったから不便とかないし、ちょっとしたキャラ付け?おしゃれ?的なやつだから気にしないで」
そういって彼女はケラケラと笑っている。彼女のそんな立ち振る舞いや放つ言葉には不思議と引き込まれれるようで妙な中毒性がある。
そんなものか。結局本人の自由で、本人がいいのであれば特にこれ以上口出しする必要もないか。
それよりも、と彼女は驚いたような口調で聞き返す
「アコちゃんって子供いたっけ?配信じゃいるなんていってないよね?」
『子供』というのは、朝に出会ったあの娘のことを指してるのだろう。彼女とこの体の持ち主の関係性もわからない状態でわざわざ嘘をつくリスク背負う必要もない。
いる。そう言葉にしようとした途端、懐かしく忌々しい。人間から滲み出る悪意、その片鱗を目の前の女から感じとり、すんでの喉の奥でつっかえた。
今までの経験と磨き上げた勘が働く。
その不信感の正体は彼女の声量にあった。先ほどまでの声量でも十分会話ができていたにも関わらず、急に声が大きくなった。ただそれだけのことだが、その手口には覚えがある。
ちょうどいい。わしの能力、『ビートボックス』とやらを試すいい機会や。
彼女を見据え、手のひらを天井に向けて前に差し出すと、いつの間にか、青白く光る立方体を手にしていた。それは比較的ゆっくりと一定の速度で脈動する。
「録音、しとるやろ。」
瞬間、立方体の脈動が急激に速まった。




