第97話 焼けた畑
壕を出る前、私は陽子の母親を探した。
昼に寝かせた場所には別の兵隊さんがいた。奥へ目を向けたが、座っている人の背中に遮られた。
高橋さんに尋ねると、入口に近い方へ移ったと教えられた。
見に行きたかった。
けれど、そのとき文子が私の腕へ触れた。
「先生が、今ならって」
入口で人が動き始めていた。
郁子と和子が美代を支え、清美は美咲の肩へ手を置いていた。先生が一人ずつ顔を確かめ、足元を見るように声をかけていた。
私は陽子の名前を一度呼んだ。
呻きと、荷物を動かす音の間に、返事は聞こえなかった。
*
外の空気は、煙の匂いがした。
壕の中より涼しいはずなのに、胸へ吸い込むと咳が出た。千代が私の背中へ手を当てた。
入口の斜面を上がったところで、先を歩く人が止まった。
狭い場所へ後ろから人が続き、私たちは岩へ寄った。暗がりの向こうで、先生の声がした。
「まとまって立たないで。先へ」
文子が私の袖を引いた。
少し進むと、道が広がった。
そこに、人が倒れていた。
一人ではなかった。
道の端に、畑の境に、崩れた石垣のそばに、身体があった。伏せたまま両腕を頭へ回している人も、仰向けになって片脚を曲げた人もいた。
眠っている形に見える人へ近づくと、顔の下へ黒いものが溜まっていた。
千代が私を止めた。
「踏まないで」
私は足を引いた。
すぐ前に、手があった。指が開き、爪の下へ土が入っていた。その先の身体は、別の人に重なっていた。
*
畑は焼けていた。
背の高い葉があるはずのところに、黒く倒れた茎が残っていた。ところどころ赤いものが燻り、風が吹くと灰が道へ流れてきた。
畑の縁に、人がいた。
最初は、服の色が分からなかった。近づくにつれて、布が焼けて肌へ貼りついているのが見えた。背中の一部が黒く縮れ、その隣には赤茶色のところが残っていた。
身体の下に、焼けた草が潰れていた。
顔を見ようとして、私は目を逸らした。
焦げた臭いに、別の臭いが混じっていた。肉を焼いたような臭いなのに、食堂で嗅いだものとは違い、息を吸うたびに喉の奥がせり上がった。
少し離れた場所で、短く明るい炎が伸びた。
地面に沿って広がり、暗い畑の端を照らした。文子が私の腕を引き、三人で石垣の陰へしゃがんだ。
火炎放射器。
その言葉が頭に浮かんだ。
すべてがそれで焼かれたのか、私には分からなかった。けれど、伸びた火と、畑に残された身体が、頭の中で離れなくなった。
手を上げて出た人も、焼かれるのではないか。
武器を持っていなくても、私たちが学生だと分かっても、同じようになるのではないか。
昼に聞いた、出てきなさいという声を思い出した。
その声を信じて歩く自分を、もう想像できなかった。
*
前の方で銃声がした。
人が一斉に伏せた。誰かが私の肩へぶつかり、袋が石へ当たった。中にあるものの重さを感じ、私は身体を強張らせた。
「こっち」
千代が言った。
崩れた石垣に切れ目があった。文子が先に入り、私は後へ続いた。千代が最後に下りてきたとき、向こうで誰かが叫んだ。
知らない言葉だった。
顔を上げると、道の向こうに人影があった。丸い形の鉄帽と、構えられた銃が見えた。
「走って」
私は文子の背中を押した。
呼び止められたのか、別の人へ叫んでいたのか、分からなかった。振り向く余裕がなく、私たちは畑の低いところへ下りた。
背後で、また声がした。
足音が聞こえた気がした。銃声がして、私は頭を低くした。
膝が痛んだ。
前へ足を出すたび、治りかけていたところが引きつれた。止まれば文子や千代も止まってしまう。私は袋を抱え、息が喉に当たる音を聞きながら走った。
先生の声は、もう聞こえなかった。
*
岩の間に、黒い隙間があった。
文子が先に見つけた。
「ここ」
入口は低かった。手をついて屈むと、中から人の声がした。
「誰だ」
「学生です」
千代が答えた。
「入れてください」
奥で、何かを動かす音がした。
私は入口へ膝をついた。手のひらに尖った石が当たったが、痛みを確かめる前に身体を押し込んだ。
中には、人がいた。
子供を抱いた女の人、膝を抱えた老人、軍服を着た兵隊さん。暗くて奥まで見えなかったが、誰かの足に触れ、謝ると、少しだけ引いてくれた。
千代が最後に入った。
三人で壁へ身を寄せた。
入口の外を、人影が横切った。
私は文子の手首を握り、千代の肩へ顔を寄せた。誰も声を出さなかった。
外の足音が遠ざかっても、私は手を離せなかった。




