第66話 道がなくなる
揺れが収まる前に、次の砲弾が落ちた。
私は照子の足元へしゃがんでいた。替えたばかりの布を直そうとしたところで床が突き上がり、膝から手へ振動が伝わった。棚の器がぶつかり合い、誰かが灯りを押さえた。
照子が私の腕を掴んだ。
私は足へ掛けた布を引き上げ、その上へ身体を伏せた。天井から落ちた土が首筋へ入り、汗に貼りついた。
入口の方で、何かが崩れる音がした。
石が転がる音に悲鳴が重なった。私は顔を上げたが、灯りの向こうが土埃で見えなかった。
「入口を空けろ」
声がした。
照子の指が腕へ食い込んだ。私はその手に触れた。
「ここにいて。見てくるから」
立ち上がろうとしたとき、また揺れた。壁へ手をつかなければ立っていられず、私は照子の横へ膝を戻した。
砲声には、まだ遠近があった。
けれど、遠くの音が鳴り終わる前に近くで爆発し、その振動が消える前に別の音が来た。静かになったら動こうと思っているうちに、何度も身体を伏せ直すことになった。
私は照子の腕を支えた。
「大丈夫?」
返事は聞こえなかった。照子の口が動いたので、耳を近づけた。
「足に、石、落ちない?」
私は掛けた布の上を見た。
細かな土が溜まっていた。大きな石が落ちてくれば、この布では何も防げない。
「少し奥へ寄ろう」
それだけ言って、近くにいた美咲を呼んだ。
*
入口の脇が崩れていた。
奥へ照子を移してから向かうと、通路へ土と石が広がり、もともと狭かったところがさらに細くなっていた。兵隊さんが二人、身体を低くして石を動かしていた。
その後ろで、洋子が座り込んでいた。
額へ手を当て、膝に落ちた血を見ていた。幸子がその手を外させ、布を押し当てている。
「石が当たっただけ。歩ける」
洋子は誰に尋ねられたわけでもないのに言った。
「私、歩けるから」
高橋さんが顔を確かめ、奥で傷を見るよう幸子へ伝えた。
私は洋子の荷物を持った。立ち上がるときによろめいたため腕を差し出したが、洋子は壁を掴んだ。
「持てるよ」
「分かってる。今だけ、持つから」
洋子は布を額へ当てたまま頷いた。
足元に、割れた椀があった。誰かが脇へ寄せたのか、破片と米粒が泥の中で一緒になっていた。
その横を通り、新しい負傷者が運ばれてきた。
担架が狭くなった入口につかえた。前を持っていた人が止まり、後ろの人が向きを変える。載っていた兵隊さんが声を上げた。
土を掻き出す人と、担架を通そうとする人の肩がぶつかった。
「そっちを先にどけろ」
「足を持ってくれ」
私は洋子の荷物を幸子へ渡し、呼ばれた方へ戻った。
*
外へ出たのは、入口へ溜まった土を運ぶためだった。
野原さんが先を見てから、私と信子を手で呼んだ。籠に入れた土は水を含み、二人で持っても腕が下へ引かれた。
「遠くへ行かなくていい。そこへ置いて戻って」
私は頷き、足元を見ながら進んだ。
入口の外には、前に使っていた細い道があったはずだった。
その場所が分からなくなっていた。
斜面へ続いていた踏み跡は掘り返され、途中に大きな穴ができていた。縁には白っぽい石が露出し、底へ茶色い水が溜まっていた。隣にも、その向こうにも穴があり、土の盛り上がりが道を横切っていた。
畑の畝は途中で切れていた。根から掘り出された作物が泥に埋まり、折れた枝が葉を下にして倒れていた。
私は籠を置いた。
空の上で、長い音がした。
初めは飛行機かと思った。けれど、見上げる間もなく野原さんに腕を引かれた。
「伏せて」
信子と一緒に地面へ倒れた。
すぐ先で土が噴き上がった。
身体へ音がぶつかり、伏せていた胸の下まで震えた。背中へ土の塊が落ちた。私は首を縮め、両手で頭を覆った。
次の音が、頭の上を通った。
顔を上げられなかった。目を閉じても、近くの爆発の光が瞼の裏へ残った。歯の間に砂が入り、噛みしめるとざらついた。
どこへ落ちるのか分からなかった。
自分の上へ来ると思い、そのたびに息を止めた。別の場所で爆発すると息を吸えたが、吸い終える前に、また音が近づいた。
「戻るぞ」
野原さんの声がした。
私は肘をつき、立とうとした。足が滑り、膝が泥へ沈んだ。信子が袖を引き、私はその肩へ手をついた。
入口まで、来たときより遠く感じた。
*
壕へ入っても、震えが止まらなかった。
掌の泥を服へ擦りつけ、器を取ろうとしたが、指がうまく開かなかった。信子も壁へ背中をつけ、息を整えていた。
棚の向こうで、兵隊さんが外から戻った人へ尋ねた。
「艦砲か」
「それだけじゃない。近くにも落ちてる」
海はここから見えなかった。
どの音が船から来たのか、私には分からなかった。空を通る音も、地面を掘り返す爆発も、壕へ入ってくるとひと続きになった。
砲撃の間に、乾いた短い音が混じることがあった。
それが何なのか考えていると、入口から入ってきた兵隊さんが、前線が近い、と言った。
周りにいた人が顔を上げた。
その人は泥のついた靴を脱がず、軍医のところへ向かった。私たちの横を通る間、誰も呼び止めなかった。
千代がそばへ来た。
「近いって、どのくらい」
私は首を振った。
外へ出たとき、敵の姿は見えなかった。穴だらけの地面しか見ていなかった。顔を上げて確かめる余裕もなかった。
千代は私の肩についた土を払った。
背中へ触れたとき、私は身体を引いてしまった。
「痛かった?」
「違う。ごめん」
千代の手が止まった。
私は首を振り、もう一度払ってもらった。
*
その夜、島袋先生に呼ばれた。
和子が紙を持ち、私たちの名前を確かめた。全員が一度に仕事を離れることはできず、近くにいる者から順に集まった。
先生の足元には、縛り直された荷物があった。
「いつでも運べるように、身の回りのものをまとめておいてください」
私は先生を見た。
「病院、移るんですか」
「その可能性があります。まだ、出発の時刻は聞いていません」
玲子が照子の寝ている方へ振り返った。
「歩けない人は」
「今、相談しています」
先生は答えた。
「まず、誰にどのくらい介助が必要か、確かめます。渡嘉敷さんと石川さんのところへは、私が行きます」
清美は支えれば立てる。照子は立てない。
私はその違いを考えた。
棚の脇に担架があったが、ついさっき別の負傷者を運ぶために使われていた。戻ってきた布は血で濡れ、持ち手にも赤黒い跡が残っていた。
「先生、照子を四人で運ぶのは」
私は尋ねた。
「私と文子と千代と、もう一人で」
先生は私の顔を見た。
「途中で交代する人も必要になります。道の様子も、まだ分かりません」
外にあった穴が浮かんだ。
春子を運んだときには、小さな石を跨ぐだけでも担架が揺れた。今の道では、どこへ足を置けばいいのだろう。
「でも、運ぶ人がいれば」
私は続けた。
先生が私の腕へ触れた。
「寺田さん。まだ、置いていくと決まったわけではありません」
私は口を閉じた。
自分が何を怖がっているのか、先生にまで伝わっていた。
*
照子は荷物を開いていた。
寝たままでは奥のものを取れず、玲子に出してもらっている。着替えと、小さな布の包みと、短い鉛筆が横へ並んでいた。
「これ、減らした方がいいかな」
照子が私に尋ねた。
「重いと、運ぶ人が大変でしょう」
私はそばへ座った。
布の包みには、糸と針が入っていた。照子は指で端を寄せ、小さく畳み直した。
「これくらいなら、持っていける?」
「うん」
私は言った。
照子は少し安心したように頷いた。
文子が隣へしゃがみ、風呂敷を広げた。玲子が出したものを一つずつ戻し、取りやすい場所に水の器を置いた。
照子が足へ目を落とした。
「私、立てるようにしておけばよかった」
「今、立ったら傷が悪くなるって」
玲子が言った。
「でも、ずっと寝てたから」
「寝て治さなきゃいけないんだよ」
玲子の声が強くなった。
照子は黙り、畳んだ針の包みを文子へ渡した。
私はそのやり取りを聞きながら、荷物の結び目を確かめた。自分の荷物と一緒に持てないだろうかと、重さを手で量った。
*
灯りのそばで、野原さんが別の兵隊さんと道の話をしていた。
前に通ったところは使えない。途中から別の道へ入る。荷物を載せた車が通れるかどうかも、確かめなければならない。
断片だけが聞こえた。
その中に、南へ、という言葉があった。
私は結び目から手を離した。
文子も顔を上げた。少し離れたところで荷物を整理していた千代が、こちらを見た。
まだ、行き先の村の名前までは分からなかった。
私は確かめようと立ち上がりかけたが、通路の兵隊さんを見て止まった。清美へ向けられた銃が浮かび、口を閉じた。
「理恵」
照子に呼ばれた。
「これ、結べてる?」
私は風呂敷へ手を戻した。
端を引いて、ほどけないように結び直した。照子が持ちやすいところを上へ向け、枕元へ置いた。
また、砲弾が落ちた。
照子が荷物へ手を伸ばし、私はその上から押さえた。灯りが揺れ、文子が芯の入った器を支えた。
入口の方から、石を動かす音が続いていた。
私は次の揺れを待ちながら、照子の荷物の重さを、もう一度掌で確かめた。




