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あなたのいる明日へただいま  作者: ほむら


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第47話 病院の入口



 学校を出てしばらくすると、前を歩く美咲の荷物が、同じところで揺れるようになった。


 右、左、右。


 私はその動きに歩幅を合わせていた。顔を上げれば、列は道の先まで続いている。後ろからも足音が重なり、ときどき、荷物の中で食器がぶつかった。


 民家の戸口に立つ人が、私たちを見ていた。


 何人かは声をかけ、何人かは黙ったままだった。畑の脇で作業をしていた女の人が手を止めると、近くにいた子どももこちらへ顔を向けた。


「どこまで行くの」


 その声が聞こえたが、誰も答えなかった。女の人が子どもの肩へ手を置き、道から少し離れさせた。


 私は通り過ぎてから、家々の屋根を見た。


 あの中には、これから朝の片づけをする人がいる。水を汲む人も、子どもを起こす人もいる。自分も今朝までその一つの家にいたのに、列から外れて戸をくぐることはできなかった。


 前の方で車の音がした。


「端へ寄りなさい」


 先生の声に、私たちは道の脇へ移った。荷台に積まれた木箱が目の高さを通り、兵隊の脚と、泥のついた靴が見えた。


 私は美咲の袋を見ながら、車が過ぎるのを待った。身体が強張ったのに気づいたのは、文子が後ろから声をかけてきたときだった。


「理恵、歩ける?」


「うん」


 私は息を吐き、肩紐を持ち直した。


     *


 道が上りになると、列が少しずつ長くなった。


 先頭が曲がるたび、後ろでは足を速めなければならなかった。私たちの間を先生が歩き、離れすぎないよう声をかけていた。


 悦子が荷物を背負い直そうとして足を止めた。静子が袋の底を支え、紐を肩へ掛け直す。その後ろの子たちも止まり、列の前だけが進んでいった。


「待ってください」


 和子が前へ呼びかけた。


 先生が振り返り、歩いていた生徒を止めた。悦子は慌てて追いつこうとしたが、静子が腕を掴んだ。


「走らなくていい」


「ごめん」


「まだ着いてないんだから」


 静子はそう言い、悦子と並んで歩き出した。


 私は水筒に手を伸ばした。朝入れてもらった水は、歩くたび脇で揺れていた。飲もうか迷っていると、美咲も同じように水筒を触っていた。


「次に止まったら、飲もう」


 私が言うと、美咲は頷いた。


 どこで水を足せるのか、まだ知らなかった。口の中が乾いていたが、私は栓から手を離した。


     *


 病院へ着いたと聞いても、初めは、どれが病院なのか分からなかった。


 丘の斜面に、人が出入りする穴があった。入口の周りには掘り出した土が積まれ、木材が重ねて置かれていた。少し離れたところにも別の入口があり、その前で兵隊が荷を下ろしている。


 私は窓のある建物を探した。


 こちらへ来たばかりの頃に寝ていた病院には、廊下があり、寝台があり、外を見られる窓があった。ここで目に入ったのは土と木と、穴の奥の暗がりだった。


「ここへ入るの?」


 文子が小さく尋ねた。


 私は頷こうとして、できなかった。


 地下の病院だったことは知っていた。教科書でも、写真でも見ていた。それでも、荷物を背負った自分の足で入口まで来ると、頭の中にあった知識では、その暗さも、狭さも分からなかったのだと気づいた。


 先生たちが兵隊と話している間、私たちは斜面の下で待った。地面に置いた袋の底が濡れそうで、私は膝へ載せた。


 春子が隣へしゃがんだ。


「肩、もう痛い」


 私も肩紐の下へ指を差し込んだ。布を当ててもらったところは大丈夫だったが、袋の重さで背中が汗ばんでいた。


「荷物、置く場所あるかな」


 春子は入口を見ながら言った。


 返事をする前に、兵隊がこちらへ来た。


「汐見の生徒は、こっちだ」


 先生が立つように声をかけた。私たちは袋を背負い直し、順に入口へ向かった。


     *


 入口の内側へ一歩入ると、急に足元が見えなくなった。


 外からの光で、自分の影だけが奥へ伸びていた。前を行く美咲が身体を屈めたので、私も頭を下げた。袋が木の柱に当たり、身体が後ろへ引かれた。


「荷物、引っかかってる」


 文子が袋を押してくれた。


 私は少し横を向き、柱を越えた。


 奥では灯りが揺れていた。火が小さく、近くへ来て初めて、壁を支える木や、地面にできた浅い水たまりが見えた。土の匂いに、人の汗と、何か薬のような匂いが混じっていた。


 目が慣れるにつれ、通路の脇に人が横たわっているのが分かった。


 布団のようなものを掛けた人も、上着を丸めて頭の下へ入れた人もいた。こちらを見た顔は痩せ、頬に無精ひげがあった。


 私は足を止めそうになった。


 ひとりの兵隊が、毛布から手を出していた。指先が地面の近くまで下がっている。踏まないように避けると、今度は袋が壁へ擦れた。


「通路を空けろ」


 奥から声がした。


 私は前へ進もうとしたが、美咲も、その前の子も止まっていた。向こうから二人の兵隊が木箱を運んできていた。


 後ろで誰かが私の袋を引いた。


「こっちへ寄って」


 文子だった。


 私は壁へ身体を寄せた。木箱の角が胸の前を通り、持っている兵隊の荒い息が聞こえた。どこへ足を置けば邪魔にならないのか分からず、私は壁へ片手をついた。


 掌に、冷たい湿り気がついた。


     *


 荷物を置く場所は、通路から少し入ったところだった。


 棚の下と壁際を使うよう言われ、私たちは順に袋を押し込んだ。誰のものか分からなくならないよう、紐や名前の布を見えるところへ出した。


 美咲が自分の袋を置くと、私の分だけ隣を空けてくれた。


「ここなら、取れるよ」


「ありがとう」


 肩から重さがなくなると、身体が少し前へ傾いた。私は背中を伸ばそうとしたが、頭の上に木が渡されていて、途中で止めた。


 先生が人数を数えていた。その隣に、白い襟の見える看護婦が立っていた。


「私は高橋です」


 看護婦は名乗り、私たちを見渡した。


「仕事は順に教えます。呼ばれたら返事をしてください。聞こえなかったこと、分からなかったことは、聞き直してかまいません」


 私はその言葉を聞いて、少し息をついた。


「ただし、物の場所は勝手に変えないこと。薬も器具も、言われるまでは触らないで。使う布と、汚れた布を一緒にしないように」


 高橋さんは桶を指し、置き場所を説明した。飲むための水、洗うための水。話を聞きながら、私は似た形の桶を見比べた。


 学校では、説明が終わってから練習した。ここでは、その間にも人が通り、奥で誰かが呼んでいた。


「看護婦さん」


 高橋さんは声の方へ顔を向けた。


「まず、ここで待っていてください」


 そう言い、足早に通路へ出ていった。


 私たちは残された桶と、布の積まれた棚を見ていた。


     *


 最初に頼まれたのは、器を洗うことだった。


 私と美咲と静子が呼ばれ、重ねてある椀と鍋を渡された。外へ出ると、空が眩しかった。壕の中にはそれほど長くいなかったはずなのに、私は目を細め、足元を確かめた。


 洗う場所には、既に清美がいた。


「どこで流すの?」


 私が尋ねると、清美は足元の桶を指した。


「ここ。水、全部使わないようにって」


 私は袖をまくり、椀をひとつ取った。内側に、乾いて貼りついたものが残っていた。少し湿らせて擦り、底から縁へ指を動かした。


 家で洗うのと同じようにしようと思った。けれど、水を流し続けることはできず、何度も桶の残りを見なければならなかった。


 静子が洗った椀を受け取り、美咲が並べた。


「これ、まだついてる」


 美咲がひとつ戻した。


 私は受け取り、もう一度、内側を擦った。


 すぐそばを兵隊が通った。私たちの洗っている器へ目を向けたあと、入口へ入っていった。


 私はその背中を見送った。


 誰かがこれで食べる。私が残した汚れも、洗うのに使った水も、その人の口へ近づくものだった。


 椀を持つ手に力が入った。


     *


 仕事がひと区切りつくと、私は壕へ戻った。


 荷物のところに文子が座っていた。膝の上で布を畳んでいたが、私を見ると手を止めた。


「理恵、ここ」


 私は隣へ腰を下ろした。朝に包んでもらった食べ物を取り出し、文子にも勧めた。


「私はあるよ」


 文子は袋を示した。


 二人で包みを開き、少しずつ食べた。芋は冷えていた。私はひと口噛むたびに、今朝、おばちゃんが鍋から取り出していたところを思い出した。


 通路で足音がした。


 私は包みを膝へ寄せ、脚を縮めた。人が過ぎてから伸ばそうとしたが、向こうからまた別の人が来たので、そのままにした。


「ここで、寝るのかな」


 文子が囁いた。


「まだ分からない」


 私は答えた。


 壁際には荷物があり、通路には人が通る。どこへ身体を横たえればいいのか、見回しても分からなかった。


 私は最後の芋を口へ入れ、包みを畳んだ。


 奥から、誰かが看護婦を呼んでいた。返事があるまで、その声は何度も続いた。


 私は立ち上がりかけたが、自分が行って何をすればいいのか分からず、腰を浮かせたまま止まった。文子も同じ方を見ていた。


 高橋さんの声がして、呼ぶ声が途切れた。


 私はゆっくり座り直した。荷物から椀の袋を取り出し、紐をほどく。その内側に縫いつけた自分の名前を見てから、空になった包みをしまった。


 今朝、おばちゃんに渡されたものが、ひとつずつ、この暗い場所で使われ始めていた。

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