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あなたのいる明日へただいま  作者: ほむら


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第21話 兵隊の来る島



 高等部へ入って間もない朝、私たちは学校へ行く途中で、道の端に並んで立った。


 軍の車が通るからだった。


 先に来た車が角を曲がっても、次の車が見えた。荷台には木箱が積まれ、その横に兵隊が座っている。車輪が土を巻き上げるたび、文子は顔を背け、春子は鞄を胸へ抱え直した。


「まだ来るね」


 文子が言った。


 千代は道の先を見ていた。向こう側では、荷を持った女の人も待っている。いつもなら挨拶を交わして通り過ぎる場所で、皆が車の行き先へ顔を向けていた。


 最後の車が通ったあと、私たちは歩き始めた。履物の上に薄く積もった埃を払っていると、春子が、遅れちゃう、と先を急いだ。


 私は追いかけながら、一度だけ振り返った。


 荷台に座っていた兵隊の一人が、車の揺れに合わせて頭を下げていた。眠っているように見えた。その顔が私たちよりずっと大人だったのか、少し上くらいだったのか、通り過ぎる間には分からなかった。


     *


 その頃、食堂で耳にする話も変わり始めていた。


 どこに兵隊が来た。どの道を車が通った。知り合いが飛行場の仕事に出ている。私には場所の分からない名前も多かったが、読谷や嘉手納という地名は、何度も聞くうちに覚えた。


 ある日の午後、ゲンさんが、畑を潰して飛行場を広げる話を聞いた、と言った。


 向かいに座っていた上原さんが箸を止める。


「飛行機が来るなら、広い場所が要るだろうね」


「要るのは分かるけど、植えたものもあるからさ」


 ゲンさんは椀の縁へ目を落とした。


 私は二人の間に水を置き、台所へ戻った。おばちゃんは切った野菜を鍋へ入れていた。私が黙って隣へ立つと、空いた籠をこちらへ寄せた。


「これ、洗ってくれる?」


 返事をして、水のそばへ持っていった。


 畑がなくなるという話を聞いても、私にはその畑が見えていなかった。誰が耕し、何が植わっているのか知らない。けれど、台所で洗っている籠にも、朝までは野菜が入っていた。


 蛇口から落ちる水を見ながら、私は指で籠の隙間の土を落とした。


     *


 学校では、地図を使って戦争の話を聞く時間があった。


 先生は教壇の脇へ地図を掛け、沖縄から南へと指を動かした。島の名前が続いた。聞いたことのある名前も、初めて聞く名前もあった。


 戦争は、日本から遠いところで続いている。


 これまでの話も、そんなふうに聞こえていた。敵の船を沈めたという放送を聞いても、教室の窓からは校庭が見えた。休み時間になれば弁当を開き、夕方には家へ帰れた。


 その日、先生の手は地図の沖縄へ戻った。


「南西諸島を守るため、軍の備えも強められています」


 私は背筋を伸ばした。


 沖縄を守る。


 その言葉が教室で語られることに、私は慣れていなかった。ここにはすでに軍服の人がいて、軍の車も走っていた。それでも、地図の上で指された島と、自分のいる場所が重なると、椅子に座った身体まで落ち着かなくなった。


 先生は、私たちにもできる協力をしなければならない、と話した。


 帳面へ書こうとして、鉛筆の先を止めた。


 今、皆は何を書いているのだろう。


 隣の席では、春子が先生の話を聞きながら、短い言葉を一つずつ写していた。私はその手元から顔を上げ、地図を見直した。


 未来のことは、描かれていなかった。


 この島の道も、食堂も、文子の家も、その地図にはない。沖縄は、先生の指で隠れるくらいの大きさだった。


     *


 帰り道、文子が言った。


「だから、兵隊さんが増えたんだね」


「今朝も、たくさんいたね」


 春子が答えた。


 千代は鞄を持ち替え、道を歩く兵隊の方へ目を向けた。二人連れだった。片方が紙を広げ、もう一人が道の先を指さしている。


 私たちが近づくと、紙を持った人が顔を上げた。


「すみません。この道を行けば、ここへ出ますか」


 差し出された紙を、千代がのぞいた。書かれた場所を確かめてから、今来た方を振り返る。


「そこの角を曲がって、まっすぐです」


「ありがとう」


 兵隊は紙を畳み、隣の人へ何か話した。私はその手に、細かな傷があるのを見た。爪の脇が割れ、指の関節に土が残っていた。


 二人が行ってしまうと、文子が小さく笑った。


「こっちの道は、私たちの方が詳しいね」


 千代も、初めて来たら分からないよ、と答えた。


 私は振り返りかけて、やめた。


 ここを守りに来た人たちも、道を知らない。家を離れ、誰かに教えてもらいながら、ここで暮らし始めている。


「兵隊さんがいたら、少し安心だって、お父さんが言ってた」


 文子の声に、私は顔を向けた。


「そうなんだ」


「何もないより、いいでしょう?」


 文子は、私に確かめるように尋ねた。


 私は口を開いたが、すぐには言葉が出なかった。


 守ってくれる人がいる。文子がそう思うことは、分かった。もし歴史を知らなかったら、私も同じことを言っていたかもしれない。


「……怖いのが減るなら、いいと思う」


 ようやく答えると、文子は少し考え、うん、と言った。


「理恵は、まだ怖い?」


 私は頷いた。


 文子は理由を聞かず、隣を歩いた。


     *


 五月になる頃には、道で軍の車を見ても、皆が長く立ち止まることはなくなった。


 来ると分かれば端へ寄り、通り過ぎたら歩く。車の音がすると、私たちは会話を中断した。聞こえなくなってから、さっき何を話していたか思い出して続きを話す。


 食堂にも、初めて見る軍服の客が来た。


 おばちゃんはいつものように席を示した。私は注文を聞き、料理を運んだ。卓へ置くと、一人が、ありがとう、と顔を上げた。


 それだけのことなのに、少し驚いた。


 私は軍服ばかり見ていて、その中にいる人を見ていなかったのかもしれない。食べるのが早い人も、熱い汁を少しずつ飲む人もいた。隣の人と話して笑うと、店の中にいつもある声に混じった。


 けれど、その人たちが腰へ下げているものや、入口に置いた荷物を見ると、私はまた動きを慎重にした。


 客が帰ったあと、おばちゃんと卓を片づけた。


「忙しくなったね」


 私が言うと、おばちゃんは椀を重ねながら、そうだね、と答えた。


「来た人には、食べてもらわないと」


 私は空の皿を持ち上げた。


 春子も、同じことを言っていた。


     *


 その夜、日記を開いて、昭和十九年五月、と書いた。


 新しい教室のこと。進学してから教わったこと。軍の車が増え、食堂へ兵隊が来るようになったこと。


 そこで手を止め、初めの方の頁を開いた。


 ここへ来たばかりの私が書いた、覚えている年号が並んでいる。昭和二十年の沖縄戦。その文字を指でたどったあと、今の頁へ戻った。


 あと一年、という言葉を書きかけた。


 けれど、鉛筆を置いた。


 私が覚えている大きな戦いの前にも、誰かは家を離れ、畑を失い、毎日の仕事を変えなければならなくなっている。今朝も、車が通るまで道を渡れなかった。そんな小さなことから、私の暮らしも変わっていた。


 隣の部屋で、おばちゃんが戸を閉めた。


 私は日記をしまう前に、明日、春子に料理を教わりたいか聞く、と書き足した。日を決めなければ、また今度と言ったままになる。


 机を離れて窓を閉めようとしたとき、遠くで車の音がした。


 昼間と同じ音だった。近づいてきて、しばらくすると遠ざかった。


 私は窓の掛け金を確かめ、布団を広げた。横になってからも、次の車が来るかどうか、耳が道の方へ向いていた。



 

第32軍は1944年3月22日に創設されました。沖縄では1943年から読谷や伊江島などの飛行場建設が進み、1944年には嘉手納などの建設も進められました。

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