第20話 どこへ行く?
秋になって、島袋先生から、進学先について家の人と相談しておくように言われた。
中等部三年生の教室では、それまで遠い話だった次の春のことが、急に自分たちの話になった。先生が黒板へ学校名を書くと、皆が顔を上げた。
沖縄県立汐見女学校。沖縄県立蒲生女学校。沖縄県立若葉女学校。沖縄県立白浜女学校。
それぞれの高等部へ進むことを考えている者は、通学や家の事情も含めて相談するように、と先生は言った。私は帳面に学校名を写した。同じように見える文字の並びが、一つ選べば別の道になるのだと思うと、鉛筆を持つ手が止まった。
授業が終わると、文子が私の机へ来た。
「理恵、どこ行く?」
まだ黒板に残っている名前を見ながら、私は答えた。
「汐見かな。おばちゃんの店から通えるし」
「私も、そう思ってたんだけど」
文子は言葉を切り、椅子を寄せた。
「白浜に、お母さんの知ってる人の娘さんが行ってるの。話を聞いてみたらって言われて」
春子も鞄を持ってやってきた。
「私は蒲生のことを言われたよ。親戚の家が近いから」
「千代は?」
文子が尋ねると、千代は机の中を確かめてから振り向いた。
「若葉。家で名前が出ただけだけど。私は、まだ分からない」
四人とも、このまま一緒に上がるのだと思っていた。
皆が家で別の学校の話をしていることを、私は知らなかった。文子が白浜へ、春子が蒲生へ、千代が若葉へ行けば、朝の待ち合わせも、放課後に机を寄せることもなくなる。
「みんな、別々になるかもしれないんだね」
口にすると、文子が私を見た。
「まだ決まってないよ」
「うん」
返事をしたものの、私は帳面に書いた四つの名前へ目を落とした。どれも架空の場所のように感じられなくなっていた。
*
その日は、帰る前に四人で少し残った。
進学の話をしているうちに、高等部を終えたあとはどうするのか、という話になった。春子が文子に尋ねると、文子は帳面の角を指で押さえ、しばらく黙った。
「私、先生になりたいんだ」
誰も笑わなかったので、文子は少しだけ顔を上げた。
「小さい子に教える先生。だから、高等部へ行って、その先の勉強もできたらと思ってる」
「島袋先生に相談した?」
千代が聞くと、文子は首を振った。
「まだ。数学も、あんなでしょう。先にもっとできるようになってからの方がいいかなって」
「どうしたらいいか、聞けばいいんじゃない?」
私が言うと、文子は困ったように笑った。
「理恵は、簡単に言うね」
「私には、文子が教えてくれたよ」
帳面の端を押さえていた文子の指が止まった。
「読めない字も、学校で何をするかも。私が分かるまで、何回も教えてくれたでしょう」
「それは、友達だから」
「文子が先生だったら、分からないところ聞けると思う」
文子は私から目をそらし、少し乱れていた帳面を揃えた。
「……じゃあ、相談だけしてみようかな」
千代が、私たちも待ってるよ、と言った。
春子は立ち上がりかけ、それから椅子へ座り直した。
「千代は? 何かしたいこと、ないの?」
「縫い物は、もっと覚えたい」
千代は自分の袖口を見た。
「直すだけじゃなくて、寸法を測って、初めから作れるようになりたいんだ。着る人が動きやすいように」
「私のも作って」
文子がすぐに頼むと、千代はその顔を見た。
「何を?」
「服」
「それは分かるけど」
春子が吹き出した。文子も笑って、それから、どんな服がいいかな、と本気で考え始めた。
「春子は?」
私が尋ねると、春子は机へ肘をついた。
「食堂、やってみたい」
私は思わず顔を上げた。
「お店?」
「うん。自分で作ったものを、食べに来てもらうの」
春子は私の反応を見て、少し照れたように続けた。
「うち、家族が多いでしょう。毎日作るのは大変だけど、鍋が空っぽになると、ちゃんと足りたんだなって思うんだ。お店だったら、もっと大変だろうけど」
「おばちゃんも、足りるか気にしてるよ」
「でしょう? だから今度、聞きたい。何人来るか分からないのに、どうやって決めるのか」
私は、いいよ、と答えた。おばちゃんに尋ねたら、きっと春子を台所へ招くだろう。そう思うと、私まで少し楽しみになった。
「理恵は、食堂を継ぐの?」
文子に尋ねられ、私はすぐには答えられなかった。
おばちゃんから、そんな話をされたことはない。私にも、そこまで先のことを言える自信はなかった。
「分からない。でも、手伝いは続けたい」
「料理も?」
春子が聞いた。
「……覚えられたら」
「覚えようよ。私も教わりたいから、一緒に」
私は春子を見て、うなずいた。
現代では、まだ決めなくてもいいと思っていた。大人になるまでには時間があり、その間に何か見つかる気がしていた。
ここで同じ話をすると、皆の希望は、家や弟妹や、今日してきた仕事につながっている。私の答えにも、おばちゃんの台所があった。
*
職員室へ入った文子は、思ったより長く戻ってこなかった。
廊下で待ちながら、春子は窓の外を見ていた。千代は鞄の紐のほつれを指でまとめている。私は中から聞こえる声を気にしていたが、何を話しているかまでは分からなかった。
やがて戸が開き、文子が出てきた。
「どうだった?」
私たちが近づくと、文子は一度息を吐いた。
「白浜のことも、汐見のことも聞けた。先生になるには、この先どんな勉強が必要なのかも」
「どっちにする?」
春子が尋ねた。
「家で、もう一度話してみる。でも、学校を変えなきゃ先生になれないわけじゃないって」
文子はそう言い、私たちを見た。
「汐見でも、ちゃんと勉強しなさいって言われた」
「そこは、どこへ行っても同じだね」
千代に言われて、文子は、分かってるよ、と口を尖らせた。
*
その夜、店の片づけが終わってから、私はおばちゃんと向かい合って座った。
学校名を書いた帳面を広げると、おばちゃんは手を拭いてから、頁をのぞき込んだ。
「ほかの学校も、考えてるの?」
「皆、家で話が出てるって。私は……汐見へ行きたい」
おばちゃんは、うん、と続きを待った。
「友達がいるからだけじゃなくて、先生にも聞きやすいし、道も分かるし。ここから通って、帰ったら手伝えるから」
「手伝うために決めなくていいんだよ」
私は顔を上げた。
おばちゃんは帳面へ手を置き、もう一度言った。
「店のことは、私が考える。理恵は、通いたいところを考えなさい」
言われると、かえって言葉に詰まった。自分の希望を話していたつもりなのに、店の役に立つ理由を並べていたことに気づいた。
私は四つの学校名を見直した。
「それでも、汐見がいいと思う」
「そう」
おばちゃんはうなずいた。
「じゃあ、先生に、これから何が必要か教えてもらおうね」
私は帳面を閉じずに、少しだけおばちゃんの方へ押した。
「お金も、かかるでしょう」
「かかるね」
おばちゃんは曖昧にしなかった。
「だから、それも相談するんだよ。理恵が一人で決めて、諦めなくていいように」
私は膝の上で手を握り、うん、と答えた。
*
冬の間に、四人の進学先が決まった。
春子は蒲生へ通う場合のことを家族と話し、家から通いながら手伝いを続けられる汐見を選んだ。千代も、若葉の話を聞いたうえで、今の学校で勉強を続けることにした。
文子が汐見に決めたと教えてくれた日、私は嬉しくて、すぐに返事ができなかった。
「何、その顔」
「また一緒なんだと思って」
「まだ、勉強はしなきゃいけないけどね」
文子は鞄から帳面を出した。数学の問題が開いてあり、分からないところに印がついている。
私も椅子を寄せた。ほどなく千代と春子が来て、机の上に四人分の帳面が並んだ。
それぞれ別の学校を考え、それぞれ家で話して、同じところを選んだ。そのことが、初めから一緒だと決まっていた頃よりも嬉しかった。
*
昭和十九年の春、私たちは沖縄県立汐見女学校の高等部へ進んだ。
新しい教室へ運ぶ荷物を抱え、四人で階段を上った。踊り場の窓から道を見ると、軍服の人たちが列になって歩いていた。最近、登下校の途中でも、その姿を見ることが増えていた。
春子が一度足を止めた。私も窓へ寄り、大きな荷物を背負った人たちを見下ろした。列は途切れず、私たちが来た道の方へ続いている。
「理恵、先に置こう。重い」
文子に呼ばれ、私は荷物を持ち直した。
教室には、まだ誰のものでもない机が並んでいた。先生の指示に従って二人ずつ運び、脚を引きずらないように下ろす。窓から入る風で、机に載せた紙の端がめくれた。
私は鞄から帳面を取り出した。
秋に書いた四つの学校名のうち、汐見のところに丸がついている。その下には、文子が書いた、先生、という文字があった。春子は隣に食堂と書き、千代は笑いながら、その二つの文字の間に小さな針と糸を描いていた。
「それ、まだ使ってるの?」
隣から文子がのぞき込んだ。
「まだ頁があるから」
「私の字、変」
「読めるよ」
私は消さずに帳面を閉じた。
先生が教室へ入ってきたので、文子も自分の席へ戻った。春子が椅子を引き、千代が机の上を整える。私も背筋を伸ばした。
道を行く人たちの足音が、開いた窓から聞こえていた。




