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第17話 守るためではない一発

「私は、二発目を覚えています」


 文治の鉛筆は、紙へ触れる寸前で止まった。


 取調室の小さな窓から、夕方の光が斜めに差している。格子の影がガドの顔を二つに分けていた。


「どこまで、覚えていますか」


 記者の問いだった。


 声だけは、そう聞こえたはずだ。


 だが文治の胸の内では、別の声が叫んでいた。


 忘れていたと言ってくれ。


 女が間へ入ったから、当たったか分からなかったと言ってくれ。


 あれは二発ではなく、一つの勢いだったのだと。


 そう言ってくれれば、まだ書きようがある。


「全部です」


 ガドは答えた。


 逃げ道が閉じた。


「あの男が倒れたところも、ヨナさんが前へ立ったところも。『次は守るための一発ではなくなる』と言われたことも、聞きました」


「聞こえていたんですか」


「はい」


「意味も分かっていた?」


「分かっていました」


 文治は鉛筆を握り直した。


 指先に汗が滲み、軸が滑る。


「それでも、殴った」


「殴りました」


「なぜですか」


 ガドは黙った。


 取調室の外を、巡吏の靴音が通り過ぎた。机の隅に置かれた水差しから、一滴ずつ水が漏れている。石床へ落ちるたび、やけに大きく響いた。


「ガドさん。答えてください」


「ナージャを侮辱されたからです」


「違うでしょう」


 文治は、すぐに言った。


 ガドが顔を上げた。


 自分でも、なぜ否定できたのか分からなかった。


 ナージャを守るためだった。仲間のためだった。そう書けば、読者は分かりやすい。文治自身も、そう信じたかった。


 しかし二発目の直前、ガドは倒れた男ではなく、自分の拳を見ていた。


 あの顔は、誰かを守ろうとする者の顔ではなかった。


「一発目は、そうだったかもしれない。男は私を壁へ突き飛ばし、あなたを殴った。止めなければならなかった。でも二発目のとき、男は倒れていた。ヨナさんもいた。ナージャさんは、その場にすらいなかった」


 文治の声が震えた。


「ナージャさんの名前を、二発目の言い訳にしないでください」


「……はい」


 ガドの肩が落ちた。


「違います。二発目は、ナージャのためではありません」


「では、何のためです」


 長い沈黙があった。


「静かだったんです」


 ガドは、自分の拳を見つめた。


「一発目を殴ったあと、みんなが黙った。それまで笑っていた者も、新聞を売っていた者も、私を見ていた者も。誰も何も言わなくなった」


 太い指が、ゆっくり曲がった。


「私は、あの静けさに安心しました」


 文治は息を止めた。


「子どもの頃から、私が部屋へ入ると声が小さくなりました。怒っていなくても道を空けられた。倶楽部へ行けば、壁にするには便利だが、揉め事を起こす前に出ていけと言われた。何もしていなくても、いつか殴ると思われていました」


 ガドは唇を噛んだ。


「怖がられるのが嫌でした。身体を小さく見せようとして、肩を丸めました。笑うときは歯を見せないようにした。誰かにぶつかられても、先に謝った。腹が立っても手を開いた。そうすれば、化け物ではないと分かってもらえると思っていた」


 文治は、練習場で何度も開かれたガドの手を思い出した。


 仲間同士の言い争いへ入るときも、味方を起こすときも、ガドは拳を作らなかった。


 あれは穏やかな性格だけではなかった。


 毎日、自分を疑う者へ見せ続けてきた証明だったのだ。


「でも、あのときは」


 ガドの声が掠れた。


「一発で、みんなが黙った。説明しなくても、謝らなくても、私を見て笑わなくなった」


「それが、嬉しかったんですか」


 聞きたくなかった。


 だが、聞いた。


「はい」


 ガドは目を閉じた。


「ほんの少し、嬉しかった。怖がられることを、初めて楽だと思ったんです」


 告白した声が、石の部屋へ沈んだ。


「倒れた男が、またナージャを侮辱した。私を化け物と呼んだ。あの言葉を止めたかった。いいえ――あの男の口だけではない。通りにいる全員を、もう一度黙らせたかった」


 ガドの拳が震えた。


「一発目は、止めるためでした。二発目は、黙らせるためです」


 黒い取材帳へ、鉛筆の先が触れた。


 文治の手は動かなかった。


「書かないんですか」


 ガドが尋ねた。


「少し、待ってください」


「忘れる前に書くのでしょう」


「待ってくれと言っているんです!」


 声が取調室の扉を震わせた。


 外で巡吏が動く気配がしたが、入ってはこなかった。


「なぜ、そんなことまで言うんですか。二発だったと認めるだけで十分でしょう。黙らせるのが嬉しかったなんて、そんな言葉を私に渡して、どうしろと言うんです!」


「書いてください」


「簡単に言わないでください!」


 文治は机へ両手をついた。


「あなたが正直に話せば、それで立派ですか。罰を受ければ終わりですか。あなたには倶楽部がある。あと九日で天翼団との試合がある。あなたがいなければ、北境の正面を誰が支えるんです。七人が今日も互いを責めていた。あなたまでいなくなったら、あの人たちは本当に壊れるかもしれない!」


「分かっています」


「分かっていない!」


 涙が込み上げた。


「私は、あなたを失いたくないんです。記事の中の選手としてじゃない。目の前にいるガドさんに、また練習場へ戻ってほしい。一発だったと言ってくれれば、私はそう書けた。ヨナさんの証言はある。でも、私自身は当たる瞬間を見ていない。あなたが覚えていないと言えば、疑いとして赤い帳面へ残すこともできた!」


 口にしてから、自分が何を言ったのか分かった。


 文治は、喘ぐように息を吸った。


「いまのは……忘れてください」


「忘れません」


 ガドは静かに答えた。


「浦上さんも、二発目を一発にしたかった。そのことも覚えておきます」


 責める声ではなかった。


 だからこそ、文治の胸へ深く刺さった。


「私は最低だ」


 椅子へ崩れるように座った。


「昨日、エダが事実の並べ方を変えたと怒った。大きな見出しで人を誘導するなと怒鳴った。その私が、今日は同じことをしようとしている。あなたの一発目を大きくして、二発目を小さくする。好きな人を守るためなら、それでいいと思いかけている」


 涙が取材帳へ落ちた。


 慌てて拭おうとした文治へ、ガドの大きな手が伸びかけた。


 拘束紐は外れている。


 それでもガドは、途中で手を止め、太腿へ戻した。


 もう、自分の手で誰かに触れることを怖がっている。


 その仕草を見て、文治の涙がさらに溢れた。


「触れてください」


 文治は言った。


「私は、あなたの手を怖がりたくない」


「でも、私は殴りました」


「殴ったことと、あなたの手が拳しか作れないことは同じじゃない!」


 ガドの目が揺れた。


「一発目と二発目を分けるなら、殴った手と、それ以外のあなたまで分けてください。二発目を書いたからといって、私の全部を二発目にしないでください」


「そんな器用なことが、できると思いますか」


「してください」


 初めて、ガドが強い声を出した。


「私が頼んでいるのは、罰してほしいからではありません。戻りたいからです」


「戻る?」


「二発目を隠して戻れば、また誰かに知られるのが怖くなる。ヨナさんの顔を見るたび、黙っていてくれるか考える。仲間が私を信じてくれても、その信頼が嘘の上にあると分かっている。そんなところへは、戻れません」


 ガドは右手を、今度こそ机の上へ置いた。


「書いてください。最初の一発と、二発目を。どちらも私です」


 文治は泣きながら、鉛筆を動かした。


 ――一発目は、止めるため。


 ――二発目は、黙らせるため。


 黒い帳面へ書いた。


 薄茶の帳面には、一行だけ書いた。


 ――私は、これを載せたくない。


     ◇


 取調室を出ると、ヨナはまだ長椅子にいた。


「話せましたか」


「ええ」


「二発でしたか」


 文治は、その問いに腹が立った。


 顔へ出たのだろう。ヨナは視線を逸らさなかった。


「あなたは、ガドさんが憎いんですか」


「いいえ」


「では、どうして数ばかり聞くんです。あの人が何を考えたか、なぜ止まれなかったかは、気にならないんですか」


「気になります。でも、それを聞くのはあなたの仕事でしょう」


 文治は言葉を失った。


「私は見たことを話す。あなたは聞いたことを書く。役目が違います」


 ヨナは長椅子から降りた。


「それに、私はあの人を怪物にしたくありません」


「二発目を証言すれば、怪物だと思う人が増える」


「黙れば、優しい大男になります」


「それの何が悪いんです」


「優しくなければ仲間に入れないなら、怒ったときに誰にも言えなくなる」


 ヨナは取調室の扉を見た。


「あの人は、ずっと自分の怒りを隠してきたのでしょう。大きな人は、少し怒っただけで怖がられる。だから優しく振る舞うしかない。でも、怒らない人間になったわけではない」


「だから殴っても仕方がないと?」


「逆です。怒ることを認めるのと、殴ることを許すのは違います」


 あまりに迷いなく分けるので、文治には眩しくさえ見えた。


「あなたは、何でも分けられるんですね」


「分けないと、測れません」


「荷測り人だから?」


「壁役だからです」


 ヨナは、それだけ言って警舎を出ていった。


     ◇


 井戸端新聞の印刷所へ戻ると、ティナが白紙を一枚、机の中央へ置いた。


「聞けた?」


「聞けました」


「書ける?」


「書きたくありません」


 文治は椅子へ座った。


「でも、書きます」


 見出しを最初に置いた。


 ――最初の一発と二発目を分けて記す。


 一行目で手が止まった。


 ガドが殴った、と書けばいい。


 それだけなら短い。


 だが、一発目へ至るまでには、男たちの嘲笑があった。文治が壁へ突き飛ばされた。ガドが頬を殴られた。六邦公報の見出しが町を走り、ナージャへの侮辱へ変わっていた。


 二発目へ至るまでには、倒れた男の言葉があった。ヨナの警告があった。そして、止まると決められる時間があった。


 どちらを削っても、別の話になる。


 文治は書いた。


 ――本紙記者は現場に居合わせた。最初に手を出したのは、負傷した男性側である。


 ――ガド選手は殴打を受けたのち、一度殴り返した。この一発には、攻撃を止める目的があったと認められる。


 ――男性が倒れ、抵抗をやめたのち、ガド選手は再度拳を振るった。二発目は防御ではない。


 ――ガド選手本人は、本紙の取材に対し、「一発目は止めるため。二発目は黙らせるためだった」と認めた。


 そこまで書いて、文治は原稿用紙を裏返した。


「無理です」


 額を机へ押しつけた。


「書いたでしょう」


「書けません。これを活字にするのは、書くのとは違う」


「どこを削りたい?」


 ティナに問われ、文治は顔を上げた。


「削らないでください」


「では、どこを小さくする?」


 分かっていて聞いている。


 文治は原稿を表へ戻した。


「二発目を、小さくしたいです」


 喉が痛んだ。


「男たちが先に手を出したことを一段目へ置いて、ガドさんの告白を最後へ回したい。見出しには『仲間を守った壁役』とつけたい。二発目は、最後まで読んだ人にだけ分かればいい」


「それで?」


「それで、ガドさんが試合へ出られるなら」


「出られるかどうかを決めるのは、競技院よ」


「でも、町が一発だと思えば、競技院も重くはできない!」


「だから紙面で押すの?」


「そうです!」


 言い切った。


「私はエダと同じことをしようとしています。分かっています。でも同じ手を使わなければ、守れないものがある! 向こうは大きな紙面でナージャさんを裏切り者にした。私が馬鹿正直に全部並べて、どうするんです。正しい記事を書いて、倶楽部がなくなりましたでは、何のための新聞ですか!」


 ティナは反論しなかった。


 静かに原稿を読み直した。


「あなたは、これをガドに読ませられる?」


「……分かりません」


「本人は、二発目を書けと言ったのでしょう」


「あの人は罰を受けようとしている。自分を傷つける言葉なら、何でも本当だと思っているんです」


「では、あなたが選んだ『優しいガド』だけが本当?」


 文治は拳を握った。


「違います」


「優しかった。怒っていた。殴った。後悔した。戻りたいと言った。どれを一つにすれば、あの人になるの」


「一つには、できません」


「なら、一つにしないで」


 ティナは活字箱を引き寄せた。


「見出しは、このまま。最初の一発と二発目は同じ大きさで組む。男たちが先に手を出したことも、ガドが二度目を選んだことも。ガドが戻りたいと言ったことも載せる」


「戻りたいという言葉まで?」


「それを削ったら、二発目だけがガドになる」


 文治は目を閉じた。


 ガドの手が、自分へ伸びかけて止まった場面が浮かんだ。


「……お願いします」


 ティナが一つ目の活字を拾った。


 文治も立ち上がった。


 油墨の匂いが鼻を刺す。


 一字ずつ拾うたび、ガドを練習場から遠ざけている気がした。


 それでも手を止めなかった。


     ◇


 翌朝、『井戸端新聞』は市場通りへ貼り出された。


 見出しを見て、足を止める者がいた。


 最初の一発だけを読んで、「やはりガドは仲間を守った」と言う者がいた。


 二発目まで読み、「半巨人を競技へ出すべきではない」と言う者もいた。


 最後まで読み、何も言わずに紙の前を離れる者がいた。


 文治は少し離れた軒下から、そのすべてを見ていた。


 誰にも、読み方を命じられない。


 記事を出せば正しく伝わるなどと、もう思っていなかった。


 それでも、少なくとも紙の中では、一発を二発に増やさず、二発を一発に減らさなかった。


「ずいぶん不親切な見出しですね」


 隣にエダが立った。


「読めば分かります」


「読まなければ分からない。見出しとは、読まない者にも分からせるためにあるのでは?」


「一行で分かった気にさせることと、分からせることは違います」


 エダは貼り紙を見た。


「この告白があれば、競技院は軽い処分にできません」


「分かっています」


「あなたの記事が、ガド選手を正式試合から外すかもしれない」


「分かっています」


「それでも載せた」


 文治は、すぐに答えられなかった。


 平気な顔で「はい」と言えば、ガドを切り捨てたことになる気がした。


 迷いながら載せたと言えば、覚悟が足りないように聞こえる。


「載せたくなかったです」


 文治は言った。


「いまも、これでよかったとは思えない。今日の紙を全部剥がして燃やしたい。何もなかった昨日へ戻りたい。でも、ガドさんは二発目を隠して戻ることを望まなかった。私は、その言葉まで隠したくなかった」


 エダはしばらく黙っていた。


「記者の感情は、事実ではありません」


「知っています。だから紙には載せていない。あなたに聞かれたから答えたんです」


 文治はエダを見た。


「私はあなたのようには書きません。でも、あなたと違うから正しいとも、もう言いません。今日の記事で誰かが傷ついたら、その痛みから逃げません」


 エダの指が、眼鏡の縁へ触れた。


「それを覚えていられるといいですね」


 挑発ではなかった。


 忠告のように聞こえたことが、文治にはかえって不気味だった。


     ◇


 地方競技院の査問は、その日の午後に開かれた。


 傍聴席には、北境倶楽部の八人がいた。


 ナージャも来ていた。左膝にはまだ包帯が巻かれている。キリクから二人分離れ、腕を組んで座っていた。


 ガドが入ってくると、全員が立ちかけた。


 最初に座り直したのはキリクだった。


 嘴を強く閉じ、膝の上で両手を握っている。


 査問では、まず負傷した男の供述が読まれた。


 酒に酔い、ガドと文治を侮辱したこと。


 文治を突き飛ばし、ガドの頬を先に殴ったこと。


 最初の一発のあと、倒れたこと。


 男自身が認めていた。


 次に、ヨナが呼ばれた。


「ガド選手は、何度殴りましたか」


「二度です」


「二度目の直前、あなたは何をしましたか」


「前へ立ち、もう終わっていると伝えました」


「それでも、ガド選手は殴った?」


「はい。私を避けて、腕を伸ばしました」


 傍聴席で、ナージャの耳が伏せられた。


 キリクはさらに俯いた。


 ガド本人も、同じ内容を認めた。


「二発目は、誰かを守るためではありません」


 静かな声が、査問室へ通った。


「私が、相手を黙らせたいと思って殴りました」


 文治は取材帳へ書いた。


 昨夜と同じ言葉だった。


 それでも、公の場で発せられると、重さが違った。


 逃げ場を塞ぐ言葉ではない。


 これから立つ場所を、自分で決める言葉だった。


 審査役たちは協議に入った。


 待つあいだ、ガドは傍聴席を見なかった。


 やがて告げられた処分は、直近三試合の出場停止だった。


 市中での処罰と治療費の負担は、別に市警が定める。


 北境倶楽部の参加資格と、すでに確定した試合結果には影響を与えない。


 だが、九日後の王都天翼団戦に、ガドは出られない。


 木槌が鳴った。


 文治の胸の中で、何かが落ちた。


 覚悟していた。


 自分の記事がなくても、ヨナの証言とガドの自白があった。処分は同じだったかもしれない。


 それでも「自分の記事のせいではない」と考えた瞬間、自分を殴りたくなった。


 また責任から逃げようとした。


 書いたのは自分だ。


 処分を決めたのは競技院だ。


 殴ったのはガドだ。


 どれか一つへ全部を押しつけず、それぞれを持たなければならない。


     ◇


 査問室の外で、キリクがガドを待っていた。


「すまなかった」


 ガドは足を止めた。


「俺が、あんなことを言わなければ」


「あなたの言葉は、痛かったです」


 キリクの翼が縮んだ。


「でも、私の拳を動かしたのは、あなたではありません」


「それでも――」


「言ったことは謝ってください。殴ったことまで背負わないでください」


 キリクは何度も嘴を開き、最後に深く頭を下げた。


「戻ってこい」


「三試合のあとに」


「倶楽部そのものが残っていなかったら、どうする」


 ガドは初めて、八人を見た。


「残してください」


「簡単に言うな」


 オルガの声は怒っていた。


「お前が正面にいないんだぞ」


「空けたのは私です。すみません」


「謝れば壁が生えるのか」


「生えません」


 ガドは少し考えた。


「でも、壁は、大きい者でなくてもできます」


 全員の視線が、廊下の端にいるヨナへ向いた。


 ヨナは調書の写しを受け取り、帰ろうとしていた。


「あの人は、私の足を一度消しました」


「止められていないだろう」


 オルガが言った。


「私は別の道を選びました。正面から押されたわけでもないのに」


「小人族だぞ」


 リオが声を落とした。


「小人族が壁役など、聞いたことがない」


 ヨナの足が止まった。


 聞こえたらしい。


 短い脚で廊下を戻り、北境倶楽部の前へ立つ。


「聞いたことがないなら、見ますか」


「何をだ」


 オルガが尋ねた。


「私の壁を」


 リオが鼻で笑いかけ、ナージャが肘で止めた。


「なぜ、北境へ入りたいの」


 ナージャが尋ねた。


「まだ、入りたいとは言っていません」


「では、何をしに来るの」


「空いた場所へ立てるか、確かめに」


 ヨナはガドを見上げた。


 ガドの拳には、白い布が巻かれている。


「お前に、ガドの代わりが務まると思っているのか」


 オルガの問いに、ヨナは首を横へ振った。


「代わりではありません」


「では、何だ」


「壁が一枚、空きました」


 ヨナは、練習場がある方角を指した。


「空いているなら、そこへ入ります」

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