第7話:「傷を恐れぬ覇王の盤面」
1. 帝の御意と、二大船室構想
京都、二条御所。
かつて室町幕府の権威が燻っていたその広間は、今や機能美に溢れる「織田政府」の仮司令部へと変貌を遂げていた。
畳の上には、緻密な縮尺で描かれた日の本の海岸線、そして誰も見たことのない巨大な双胴の船の図面が広げられている。
上洛を果たした信長は、将軍の存在を完全に無視し、極貧にあえいでいた朝廷へと向かった。
内裏の修復、並びに正親町天皇の即位式費用を匿名で巨額援助していたのは、他でもない織田である。関白・近衛前久の手引きにより実現した帝との謁見にて、信長は巨万の銭を献上しつつ、静かに奏上した。
『足利将軍家は日の本を戦火に巻き込むばかり。これより織田が天下の静謐を奉じ、帝の権威を高めます』
正親町天皇は大いに喜び、織田を公式に「朝廷公認の天下執行者」と認める勅命を下した。
これにて、織田に敵対する者は全て「朝敵」となる絶対的な大義名分を得たのである。
御所へ戻った信長は、集った明智光秀、木下藤吉郎、竹中半兵衛を前に、冷徹な声音で次なる方針を言い放った。
「これより、日の本を囲む海は世界へ至る大動脈となる。万国の海を渡る大土木工作として、伊勢と播磨に巨大なる『船室』を築く。これより近国の不穏分子を最速で解体し、直轄領とする!」
信長は、集った明智光秀、木下藤吉郎、竹中半兵衛を前に、冷徹な声音で言い放った。
その鋭い眼光に、若き参謀・半兵衛は深く感服したように差配を凝視している。
だが、信長の内心は、冷や汗で泥濘のようになっていた。
(世界大戦を生き抜くには、蒸気機関を積んだ外洋航海船が絶対に要る! だが、そのためには背後の伊賀、伊勢、紀伊、そして播磨の4地域を秒速で直轄領化しなきゃならんのだ。史実みたいに天正伊賀の乱だの石山合戦の泥沼十カ年戦争だのやってたら、余の胃に穴が空いて天下布武の前に憤死するわ! 頼むから戦う前に大義名分と銭でハメられてくれ……!)
「伊賀の忍び、並びに伊勢の北畠。これらは日の本の新秩序に組み込む。光秀、出羽守(簗田広正)を呼べ。すでに網は打ってある」
信長の無慈悲とも言える決断の早さに、光秀は「恐るべき覇王の先見の明……」と背筋を正して一礼した。
「はっ。殿のご指示通り、闇の流通網を使い、すでに伊賀の内部は切り崩してございます」
2. 伊賀忍び衆、国家情報省へ強制雇用
山深い伊賀の国。百地三太夫をはじめとする忍びの長たちは、密かに集まった織田の調略使・簗田出羽守の提示した「書状」を前に、言葉を失っていた。
周囲の山々は、すでに週休二日制で無類の練度を誇る織田のプロ常備軍に、寸分の狂いもない布陣で完全包囲されている。
「……これは、どういうことだ」
三太夫が声を絞り出す。書状に書かれていたのは、一族の罪を問う言葉ではなく、破格の条件だった。
「我が主、織田上総介様からの御提案だ」
出羽守は不敵に微笑んだ。
「これより日の本に必要なのは、闇に隠れて身内を刺す野良犬ではない。世界を欺き、異国の動向を掴む『国家の情報機関』よ。余の忠実なる猟犬となり、織田政府より下される生涯不変の定給(固定給)を食むか、一族諸共ここで干からびるか選べ……とな」
三太夫は絶句した。伊賀の忍びの三分の二は、平時は貧しい暮らしを営む農民である。他国に雇われ、命を賭けて暗殺工作をしても、得られる銭は微々たるもの。それが、織田の「国家公務員」として抱えられ、一族の暮らしが永年保証されるというのだ。
戦う大義名分も、勝てる見込みも、断る理由も、最初から存在しなかった。
伊賀忍び衆は、一滴の血も流すことなく、織田政府・国家情報省へと丸ごと強制雇用された。
3. 最新大砲の威風と「最高武道師範」の栄転
その足で、織田軍の矛先は伊勢湾を望む北畠具教へと向けられた。
伊勢の誇る高名な剣豪である具教は、織田の軍勢を迎え撃つべく軍装を整えていたが、大湊の海岸に引き出された「異形の巨砲」の試射を見た瞬間、その魂を叩き折られることになる。
ドオォォォン!!!
轟音と共に、数町先の巨大な岩塊が一瞬で粉砕され、爆煙が天を突いた。堺の会合衆から買い付け、さらに改良を重ねた織田の最新鋭大砲である。
「……な、何だ、あの凄まじい鉄の筒は……!?」
具教が戦慄する中、織田の使者が信長の手紙を恭しく差し出した。
『具教殿、貴殿の剣技は日の本の宝。そのような刃を、これからの大砲の時代に、伊勢の泥に塗れさせるのは惜しい。安土にて、我が常備軍の『最高武道師範』として、天下の武技を後世に伝えてくだされ。安土の地における名誉ある大身、並びに終身の恩賞(年金)を約束しよう』
具教は、自身の腰にある名刀と、未だ煙を吐く大砲を見比べた。個人の武芸が、どれほど極限に達しようとも、あの鉄の暴風の前には無力。しかし、織田上総介殿は、その武を否定せず、破格の待遇で「国の宝」として召し抱えると言う。
「……織田上総介。恐るべき男よ。我が武芸、安土にて常備軍の若者に授けよう」
具教は静かに刀を引いた。その頃、本陣の信長は、首尾よく届いた「降伏」の報を手に、胸を撫で下ろしていた。
(危ねえええ!! 史実通りに暗殺しようとしたら、三好青海入道並みのガチの剣豪だから返り討ちになるところだったわ! 大砲でビビらせて、安土で高い年金あげて優雅に隠居してもらうのが一番安全なんだよ! 余の命が助かって本当に良かった……!)
内心の安堵を微塵も表に出さず、信長は九鬼嘉隆を呼び寄せる。
「嘉隆、伊勢の大湊を収めよ。これよりここを『伊勢湾船室』とし、大洋を支配する黒き巨船の建造を始めよ!」
「ははっ! この九鬼嘉隆、命に代えても!」
近国の東国側――伊賀と伊勢は、文字通り「戦う前」に織田の近代統治機構へとスクラップ&ビルドされた。完璧な包囲網の完成である。
だが、この驚天動地の無血平定ラッシュは、西国、そして大坂の巨大な闇を激しく揺るがし始めていた。
(地の文:寸分の狂いもない完璧な計画により、東国包囲網は成った。だが、この急速な変革は、紀伊の雑賀衆、そして播磨の若き天才をも戦慄させることになる――)
(第8話「天下の火縄国営化と、二兵衛が描く大航海図」へと続く)




