第36話:元平の上皇隠居革命と、新帝の即位
1:帝の御譲位と、新平定の国を飾る
『元平の上皇』日本全土の完全国営化(日本統一)を成し遂げ、元号を『元平』へと改めた西暦一五七四年の初夏。日の本が戦わずして完全に平定されたその瑞兆を受け、京都の御所(禁裏)からは、歴史を大きく揺るがす驚天動地の宣下が下されようとしていた。
長年、泥沼の戦乱による心労と、朝廷の過酷な困窮によって激しく疲弊しきっておられた正親町天皇が、ついにその重荷を下ろし、上皇へとなられる『御譲位』を公式に宣言されたのである。
「日の本の戦乱はすべて終わり、朝廷の安泰も信長の『百代の計』によって永久に保証された。朕は長年の心労を退き、これよりは一人の隠居として、平穏なる日の本の行く末を見守るものとする」
余はこの帝の御意志を厳かに受け入れ、上皇陛下となられた御方が、これからの余生を何不自由なく穏やかに過ごせるよう、新政庁の潤沢な国営財源から破格の『上皇陛下専用・国営固定静養扶持(定額給与)』を終身全額保証することを即座に決定した。
かつての歴史のように、隠居した後に政治に介入する院政を敷く必要などどこにもない。
ただただ優雅で豊かな余生を約束するという、新政庁による「無理のない健全な隠居環境(完全白化)」の提示であった。
長年の重労働から完全に解放され、手厚い隠居扶持を支給された上皇陛下は、この世界一温かき引退後の環境に涙を流して大感動された。
「信長、お主は現世の民だけでなく、この朕の老後まで無理のない白き世界へ導いてくれるか。誠に天晴れなる救世主よ」
上皇陛下からの最大級の御褒めの言葉に、余は覇王の仮面を被りつつも、内心では安堵の冷や汗を流していた。
(……いやー、本当に良かった! 二十一世紀の歴史知識でも正親町天皇の疲弊は深刻だったからね。戦乱を先回りして終わらせて、最高の後ろ盾(上皇陛下)として第二の人生を楽しんでもらえるのは、これ以上ないハメ手だよ! これで朝廷との完全な同期は盤石になったわ!)
余が心の中で胸を撫で下ろしていると、禁裏ではすぐさま、次なる新帝の即位の儀式が幕を開けた。
2:新帝の即位と、盤石なる葦原中国総大総督
上皇陛下の御譲位に伴い、新たなる新帝(誠仁親王)が即位され、禁裏は新たな活気に包まれていた。
余は人臣最高位である『正一位・太政大臣』、そして神話の時代に国を造り固めた神の如き権能を持つ臨時の最高大権職『葦原中国総大総督』として、この歴史的な新帝即位の儀式を一分の狂いも無く完璧に差配してみせた。
新政庁の莫大な国営財源を惜しみなく投入し、公家衆にも手厚い固定給を支給して執り行われた即位の儀は、古今東西で最も華やかで、かつ誰一人として過労死することのない無理のない交代制の職務によって完璧に運営された。
この、朝廷の権威がこれまで以上に織田新政庁と強固に一体化した姿を目の当たりにし、安土城へ就職したばかりの全大名(毛利、島津、伊達、上杉、武田、最上、蘆名、安東、南部、津軽、葛西など総勢数十名)は、もはや織田家に対して一言の異論も挟めぬほどに畏怖し、ひれ伏すしかなかった。
朝廷の絶対的な大義名分(黄金の盾)を背負った余の権威は、ここに日の本はおろか、世界を相手にしても揺るがぬほどに十割完成したのである。
(よし、これで国内の政治的な足固めは百パーセント完璧だ。関白殿からもお礼を言われたし、新帝からも絶大な信頼を勝ち得た。これほどの圧倒的な大義名分があれば、これから始まる世界大開発の御触れも、元大名たちは『新政庁の公務』として命がけで働く近代官僚になってくれるぞ!)
覇王の仮面の下で、余の脳裏には世界無双の海洋帝国を築くための、完璧な地政学チートの絵図が完成しつつあった。しかし、日の本を完全に掌握したはずの余であっても、安土城の奥御殿に待ち受ける「家庭内の環境改革」だけは、一筋縄ではいかなかった。
3:北海・南海の大開発始動と、覇王の冷や汗
まみれる子守唄朝廷の体制が完璧に整ったことで、安土城の『新政庁』からは、ついに世界無双の大開発への第一歩が公式に発令された。
安東愛季や南部晴政らの『北海開発総局』による蝦夷地(北海道)・樺太・千島列島への大調査艦隊の派遣、ならびに毛利輝元や島津義久らの『南海防衛旅団』による琉球(沖縄)・台湾・海南島への海の防衛網の敷設が、一斉に本格始動したのである。
国友鍛冶のからくり技術と九鬼水軍の鉄板加工技術を同期し、無理のない労働環境で造船職人たちが今まさに建造を進めている漆黒の切り札『鉄甲蒸気船』の噂は、南蛮の宣教師コエリョを戦う前に戦意喪失させるほどの威圧感を放ち始めていた。
世界規模の大計略が美しく動き出す傍ら、安土城の奥御殿に帰還した余は、傲然たる覇王の足取りから一転して、冷や汗まみれで胃壁を激しく軋ませていた。
執務室の扉を開けると、そこには懐妊中で身重の正室・帰蝶と内政副総裁の井伊直虎、そして婚姻内定の立花誾千代が、余の帰りを待ち構えていた。
「お帰りなさいませ、総大総督。世界の大開発の発令、実に見事にございました。……ですが上様、本日の夜は、上様自らが制定された『給与全額保証の国営育児交代制職務(交代制シフト)』の、記念すべき夜泣き対応の初番にございますよ?」
帰蝶が、自身の大きな腹部を優しく撫でながら、すべてを蕩かすような微笑みで交代表を指差した。
「上様が作られた無理のない交代制の職務ですからね。私と帰蝶様が健やかに安息を得るためにも、正一位の夫自らが大奥の手本となって、国営保育師の侍女たちと共に夜泣きの対応を実践せねばなりませぬ」
直虎もまた、嬉しそうに子守唄の楽譜を差し出してくる。永高内親王殿下や誾千代も、楽しげに余の困り顔を見つめている。
(……いやいやいや! 嬉しいよ!? 帰蝶と直虎の子供の夜泣き対応なら喜んでやるけどね!? 昼間は世界を相手に地政学チートでコエリョをハメ殺す算段を立てて、夜は家に帰って奥方たちの機嫌を取りながら子守唄の交代制シフトって、余の頭脳と胃壁への圧力が十割ブラック環境なんだけど!?)
世界を調和させる覇王の歩みとは裏腹に、家庭内における「無理のない育児革命」の最高責任者に指名された余の胃の寿命だけは、嬉しさと緊張の冷や汗とともに、限界領域へと叩き落とされるのでかった。
(第37話:漆黒の鉄甲蒸気船と、惟任日向守の世界出張へ続く)




