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第3話:戦わずして美濃を干上がらせよ! 未来知識による『ノーザン・エコノミー計画』

1. 銭で国を切り従える


今川義元を電撃戦で討ち取った桶狭間の大勝利から数ヶ月。

清洲城の一室で、余――織田信長は、引き抜いたばかりの明智十兵衛光秀、そして足軽の木下藤吉郎の二人を前に、一枚の大きな和紙を広げていた。


そこには、尾張の隣国である美濃国(岐阜県)の主要な街道と、特産品である「美濃和紙」や「染料」の流通経路が、目を見張るほどの正確さで墨書されていた。


「これより、我が織田家は美濃の攻略にかかる」


余の一言に、光秀が居住まいを正した。

「美濃の斎藤義龍よしたつは、桶狭間での我が方の勝利を警戒し、国境の城の守りをガチガチに固めていると聞きます。力攻めをすれば、我が方にも相当な血が流れるかと」


「違う。兵は一兵も動かさん。仕掛けるのは、銭と物資による戦――『美濃経済封鎖の策』だ」


信長が室内の広大な机に、ドサリと日ノ本の地勢図を広げた。

その一言に、明智十兵衛光秀は端正な眉を跳ね上げ、思わず身を乗り出した。


(――未来の言葉で言えば、北部経済封鎖計画、すなわち『ノーザン・エコノミー計画』といったところか。信長は不敵に笑い、需要と供給を支配する資本主義の仕組みを二人に授けた)


「経済、戦争……? 斎藤義龍を軍事力で討つのではないのですか? 尾張は桶狭間の戦耗せんもうから未だ癒えておりませぬ。今動くのは無謀かと!」


正論だった。だが、信長はフッと口元を不敵に歪め、地図の真ん中――山々に囲まれた美濃の国を、漆黒の扇子でコツンと叩いた。


「美濃は確かに頑強な内陸国だ。油、絹、紙などの特産品は豊富で一見、隙がない。だがな、十兵衛。この国には致命的な欠陥が二つある。――『塩』と『銭』が自給できんのだ」


「あ……」


光秀の眼が、見開かれた。理詰めの頭脳が、信長の狙いを瞬時に察知し、戦慄し始める。


「人間は塩がなければ一ヶ月と生きられん。家畜も育たず、兵糧の保存もきかん。そしてその塩は、すべて我が尾張の津島と熱田の港を経由して美濃へ運ばれている。……本日をもって、美濃宛ての塩の流通を、一粒残らず完全に差し止める」


信長が地図の港湾部に扇子を突き立てる。その眼光は、鋭い刃物のようだった。


「しかし、殿!」光秀がすかさず反論する。「尾張を閉じたとて、美濃には近江(浅井)や越前(朝倉)へと繋がる裏口の流通ルートがございます。そこから塩や物資を買い付けられたら、封鎖は意味をなしませぬ!」


「ハハハ! 読まれているな、十兵衛。だが、その裏口はすでに『買い占めて』ある」


信長がパチンと指を鳴らす。

すっと影から現れたのは、いつも通りの飄々(ひょうひょう)とした笑みを浮かべた男――木下藤吉郎、後の豊臣秀吉だった。


「お呼びでがすか、殿! 仰せの通り、例の『東インド会社』の銭の力、存分に振るってまいりました!」


藤吉郎は懐から、巨大な商権が記された連判状の束を取り出し、机に並べた。


「近江の浅井、越前の朝倉に深く食い込んでいる巨大商人どもを、尾張の圧倒的な富と、殿から伝授された『未来の特産品』の独占販売権を餌に、あらかじめ全員抱き込みました! 今や近江も越前も、織田のかねの紐でがんじがらめでげす。美濃がどれほど金を積もうが、彼らは美濃に一粒の塩も、一反の布も売りゃあしません!」


「な、何だと……!?」


光秀の額から、タラリと冷たい汗が流れ落ちた。軍を一切動かさず、ただ裏で『東インド会社』という謎の経済組織を動かし、他国の流通網まで先回りして完全に支配している。これが、この男の言う「ホワイトな天下統一」の裏の顔か。


(よし、完璧だ……! 秀吉のコミュ力と金の力はマジでチートだな。だが、これだけじゃ終わらねえぞ。経済戦は効果が出るまで数ヶ月から半年はかかる。義龍が痺れを切らして突撃してくる前に、内側からトドメを刺す!)


信長は内心のドキドキを押し殺し、懐から一つの「銭」を取り出し、机にカランと放り投げた。それは、見たこともないほど精巧に作られた、美濃の主要通貨(永楽通宝)の「粗悪な偽金」だった。現代の最新技術を応用し、藤吉郎の工場で大量生産させたものである。


「仕上げだ、十兵衛。この偽金を、東インド会社が抱き込んだ『闇商人たちの手引き』で、美濃の市場へ一気に横流し(流通)させる」


光秀はその銭を震える手で拾い上げ、じっと見つめた。そして、信長の真意に気づいた瞬間、あまりの恐ろしさに息を呑んだ。


「……物資が極端に不足している美濃国内で、大量の偽金が回れば……。物がないのに金だけが増え、銭の価値が紙クズ同然にまで暴落いたします。……物価の常軌を逸した『狂い咲き(高騰)』が起きますか……!」


「そうだ。ただでさえ塩や物資がなくて物の値段が上がっているところに、価値のない偽金が溢れるんだ。民は飢え、兵への恩賞(給与)も払えなくなる。武器を買う銭も価値を失う。戦を起こす前に、国が内側から自滅するのだ」


信長は不敵に笑う。


「効果が出るまで半年。その間、余は尾張の内政を整え、美濃の国人たちが『助けてくれ』と泣きついてくるのを高みの見物とする。戦わずして勝つ。これが余の『天下布武』だ」


美濃の最高権力者・斎藤義龍が、目に見えない「経済」という名の悪魔に、すでに首を絞められていることに気づくのは、もう少し先の話であった。


2. 将軍の神輿みこしは担がぬ


続いて余は、じっと控えていた光秀に視線を移した。


「十兵衛。お前はかつて足利将軍家に仕えようとし、将来的に余と室町幕府を繋ぐ役目を担おうと考えていただろう」


光秀の全身に冷や汗が吹き出した。

まさに、いつかは将軍・足利義輝やその弟の義昭を頼り、織田家を京都へ押し上げようと心の中で青写真を描いていたからだ。

会ったばかりの主君に、なぜ脳内を見透かされているのか。


「十兵衛、その必要はない。余は足利将軍などという『古き神輿』を担ぐつもりは毛頭ない」


「な……! 将軍家の権威を借りずに、いかにして天下を平定なさるおつもりで?」


余は冷徹に言い放った。

一度目の人生で将軍を担ぎ上げた結果、奴らは権力に執着して織田包囲網を敷き、泥沼の戦いを生み出した。

その過ちを二度と繰り返すつもりはなかった。


「将軍は私利私欲で武士を争わせる存在に成り下がった。余が目指すのは、海の向こう、南蛮の脅威に対抗できる強固な日の本だ。そのためには、一人の強力な最高権力者の下に国がまとまらねばならん。古い神輿は不要だ。だが――」


余は地図の上、京都の『御所』を指差した。


「――『朝廷』は別だ。余は将軍の代わりに、朝廷の唯一無二の『守護者』となる」



3. 皇室の救済と、京都の頭脳


「朝廷、にございますか……?」

光秀が怪訝な顔をする。

当時の朝廷や公家衆は没落し、日々の暮らしにも困窮していた。


何より、時の帝である正親町おおぎまち天皇でさえ、内裏(皇居)の修繕費はもちろん、即位式の費用すら足りず、数年間にわたって式を挙げられぬという、前代未聞の極貧状態に陥っていたのだ。


「そうだ。南蛮の連中が宗教を武器に侵略してくるとき、日の本の民の心を一つに繋ぎ止めるのは、帝の存在だ。十兵衛、お前に極秘任務を与える。京都へ登り、まずは困窮している公家たちに接触しろ。米を贈り、生活を完全に保障してやるのだ。……だが、最優先すべきは皇室だ」


余は光秀の目を真っ直ぐに見据えた。


「正親町の帝に、内裏の修復費用、そして滞っている即位式の費用として、織田から金銀を惜しまず、匿名で即座に献上せよ。将軍などではなく、帝こそがこの日の本の真の主。その主が困窮しているのを見捨てる武士など、余の国には不要だ」


「み、帝と皇室に直接の経済援助を……!? 幕府を通さずに、左様な巨万の富を動かせば、天下が騒ぎ出しますぞ!」


「騒がせておけ。腹が減っては高潔ではいられぬのは公家も同じだ。だが、食うに困らなくなれば恩義を感じ、こちらの言葉に耳を傾ける。公家たちを文化の担い手、そして我が織田の『京都における頭脳』として味方にするのだ。特に、関白の近衛前久殿をはじめとする五摂家(近衛・九条・一条・二条・鷹司)のすべてと仲良くしておけ。彼らの懐を暖め、五摂家を通じて、日の本のすべての大名たちの背後(京都の外交ルート)を、戦う前にすべて余の掌の上で握るのだ。将来の官位と、地方大名たちの調略のためにな」


光秀の全身に、戦慄にも似た感動が駆け巡った。

戦国の大名たちは皆、己の領土を増やすことしか考えていない。

しかし、この信長という男は、すでに数十年先、数百年先の「国家の形」を見据えて動いている。

古い室町幕府を無視し、直接皇室を救うことで、国際法上の絶対的な正当性を手に入れようという超長期的な戦略。


「……上総介様。その壮大なる大計、この明智十兵衛、震えが止まりませぬ。京の公家衆、そして朝廷の心を、必ずや織田の傘下へと手繰り寄せてみせましょう」


光秀は深く、深く頭を下げた。一度目の人生での古い価値観が、余の圧倒的な新提案によって、より高次元な忠誠心へと昇華された瞬間だった。



永禄四年(1561年)、余の予言通り、美濃の斎藤義龍が急死した。

家督を継いだのは若き斎藤龍興だったが、すでに美濃の経済は藤吉郎の仕掛けた「買い占め」と、尾張の圧倒的な市場によって、致命的な物価高騰を引き起こしていた。


さらに、余が密かに打ち出した驚異の「三公七民」という超減税政策が、領民たちの噂となって美濃全土に駆け巡る。


「織田の領地に行けば、腹一杯食える。それどころか、お上の取り分はわずか三割だそうだ」


その噂は、重税に苦しむ美濃の民の背中を強烈に後押しした。

領民たちは国境を越え、雪崩を打って尾張へ流入し始めていた。


武将たちも例外ではない。

美濃の有力者である「美濃三人衆」のもとへは、光秀の手を通じて、京の公家衆からの手紙や、織田からの魅力的な経済同盟の打診が秘密裏に届いていた。


武力を使わず、銭と物資、そして減税の力で民と武将の心を完璧に懐柔する。

攻めずして、美濃は織田の胃袋の中へと滑り込みつつあった。


清洲城の高き物見櫓ものみやぐらから、西の空を見つめる。

美濃の先にある京都、そしてその先にある広大な世界。


「義龍が死んだか。……十兵衛、京の準備を急げ。足利の古い皮袋を捨て、朝廷の光の下で、新たなる日の本を創るぞ」


未来の記憶を宿した覇王の「天下布武」は、一滴の血も流すことなく、歴史のルールを塗り替え始めていた。


(第4話「美濃無血開城と、五摂家の長・近衛前久の驚愕」へ続く)

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