第2話:【【悲報】織田家、週休二日制を導入。明智光秀のブラック労働を阻止せよ
1. 誰も信じない「大勝利」の裏側
永禄三年(1560年)五月十九日、夕刻。尾張国・清洲城の大広間は、静寂に包まれていた。
「……勝った……のか?」
柴田勝家が、呆然と呟いた。
その手には、泥と血に塗れた「今川義元の首」が握られている。
四万と言われた今川の大軍を、織田軍はわずか三千の兵で打ち破った。
主君・織田信長が朝方に放った予言通り、昼過ぎに視界を遮るほどの豪雨が降り注ぎ、油断して田楽狭間の窪地で休んでいた義元本陣を急襲したのだ。
あまりにも完璧すぎる勝利。
だが、家臣たちの顔には、歓喜よりも「恐怖」が勝っていた。
「豪雨のタイミングを言い当て、敵の正確な陣形を見抜いていた……」
「我が殿は、本当に神仏の類になってしまわれたのではないか……?」
家臣たちがガタガタと震える中、清洲城の城門を叩き、大広間へと駆け込んできた一集団がいた。
今川方の先鋒・松平元康(のちの徳川家康)の猛攻を受け、丸根砦で討ち死にするはずだった――佐久間大学(盛重)たちであった。
本来の歴史(一度目の人生)なら、彼らはここで全員が壮絶な討ち死にを遂げている。
だが、当日の朝、信長は出陣直前に彼らへ向けて、早馬で一通の奇妙な御触書(命令書)を送りつけていたのだ。
『元康らの攻撃が始まったら、一切抵抗せずに砦を捨てて清洲へ退け。一兵も死なせるな。命を無駄にするな』
「殿! 砦を敵に明け渡すなど、武士の恥! 織田の面目丸潰れにございますぞ!」
悔し涙を流しながら信長に抗議する佐久間大学。
だが、上座に座る信長は、フッと鼻で笑った。
「大学、お前は勘違いをしている。あの粗末な木組みの砦など、今川を田楽狭間に誘い出すための『餌』に過ぎん。奴らは砦を落としたことで完全に油断し、あの窪地で弁当を食い始めた。だからこそ義元の首を獲れたのだ」
信長は立ち上がり、安堵から腰を抜かしている大学の肩をポンと叩いた。
「お前のその頑強な守りの才能を、あんなちっぽけな砦で腐らせてたまるか。お前には将来、我が織田家の重鎮として、日の本、いや世界を相手にその盾を振るってもらう。死ぬのは百早いわ」
「と、殿……っ!」
自分の命と才能を、誰よりも高く評価してくれていた主君。
大学は不忠を恥じ、その場に平伏して号泣した。
未来の記憶による的確な指示が、有能な忠臣の命を救った瞬間であった。
2. 越前からのヘッドハンティング
信長は不敵に笑いながら、未来の記憶から書き起こした一冊のを和紙の束――手控えを広げた。
「これより我が織田家は、国内の不毛な内戦を最速で終わらせる。……そのためには、早急に『戦える人材』を集めねばならぬ。簗田出羽守、おるか」
影から、織田家の情報頭(忍びの統括)が音もなく姿を現す。
「はっ。ここに」
「美濃の斎藤家に仕えていた浪人で、明智十兵衛光秀という男を探し出せ。奴は今、越前(福井県)の朝倉義景の元にいる。一介の足軽として埋もれているはずだ」
簗田は驚きで目を見開いた。
「え、越前……!? な、なぜそのような他国の無名な浪人を、殿がご存知なのですか!?」
「余には見えるのだ。簗田、お前たちが探し回る必要はない。この書状を持って、越前の十兵衛の元へ、狙い澄まして密使を飛ばせ」
信長が手渡した書状。
そこには、光秀が現在住んでいる越前の正確な居住地と、朝倉家での役職、さらには光秀の現在の「薄給」までが克明に記されていた。
手紙の最後には、信長自身の文字でこう書かれている。
『朝倉のケチな主君の元で、心身を削ってこき使われるのはもう辞めよ。我が織田が千石で召し抱え、六日に二日は必ず休ませてやる』
(――朝倉での過酷なブラック労働から、余が最高の環境でヘッドハンティングしてやるのだ。信長は心の中でニヤリと笑った)
「あ、朝倉での暮らしをすべて見抜いておられる……。御意、ただちに密使を放ちます!」
朝方に信長が口にした「みつひで」という謎の名前の正体に、家臣たちは「あの時の言葉は本当だったのか……!」と、さらに冷や汗を流した。
◇
それから数日後。信長の破格の誘いに魂を震わせ、越前から大急ぎで駆けつけてきた明智十兵衛光秀が、清洲城の一室で緊張した面持ちで平伏していた。
「……正気ですか、上総介殿」
美濃を追われた浪人、明智十兵衛光秀の口から漏れたのは、冷徹なまでの拒絶だった。
その手はいつでも抜刀できるよう、静かに、だが確実に鯉口を切っている。瞳の奥にあるのは、深い猜疑と警戒の色だ。
無理もない。桶狭間で今川義元を討ち取った直後の、文字通り天下に最も近い男が、一介の素浪人にすぎない自分に対し、破格の「週休二日」「成果報酬」などという、この世の泥を凝縮したような奇妙な好条件を提示してきたのだ。
「私をただの浪人と侮り、からかわれているのか。それとも、美濃への手引きをさせるための肉壁にでもなさるおつもりか」
ピリピリとした殺気が室内に満ちる。理詰めで生きる光秀の脳が、「この男を信用するな」と激しい警鐘を鳴らしていた。だが、信長は動じない。むしろ、その殺気を楽しむように口元を不敵に歪めると、光秀の鼻先まで一歩、足を踏み出した。
その眼光は、戦国大名としての圧倒的な威圧感に満ちている。
「からかう? 滅相もない。余はお前の国を治める政の才、長じた先にある『未来の業績』を誰よりも高く買っている。お前は後に、京都の治安維持や領地経営で、比類なき才を発揮する男だ。……どうだ? お前のその傑出した頭脳を、余の頭の中にある新たなる国の仕組みで存分に奮ってみたいとは思わんか」
「なっ……!?」
光秀の息が止まる。
背筋を冷たい悪寒が駆け抜ける。
なぜだ。なぜ、今日初めて会ったばかりの男が、自分自身すらまだ自覚していない「統治の才」を、ここまで正確に、確信を持って言い当てられるのか。
まるで、自分の人生のすべてを、未来の特等席から見下ろしてきたかのような底知れなさ。光秀の脳裏に「この男は、人ではない何かだ」という恐怖が刻まれる。
(よし、食いついた。光秀のやつ、プライドの塊だから、普通に優しく勧誘したら絶対に裏があると思って逃げられるところだった。本能寺の変ルートを完全に潰すためにも、ここは絶対に味方に引き入れねばならん。結末を知ってはおるが、生きた心地がせぬわ……!)
信長は内心で冷や汗をかきながらも、未来の覇王としての余裕を崩さず、静かにだが重々しく右手を差し出した。
「お前を使い潰すつもりはない。働きに応じた破格の恩賞も出す。お前の才を完全に活かせるのは、この日の本で余だけだ、十兵衛」
室内に沈黙が満ちる。光秀の額から一筋の汗が流れ、畳に落ちた。信長の圧倒的な覇気と、自分の未来を見透かされた衝撃。光秀はしばし信長の目を凝視していたが、やがて敗北を認めるように深く息を吐き、その場にカチリと両手を突いた。
「……御意。その言葉に嘘偽りがないか、特等席で見極めさせていただきます。この命、使い潰されぬ程度に、上総介様に捧げましょう」
3. 次なる標的、足軽・藤吉郎
「よし、十兵衛。まずはゆっくり休んでから、余の右腕として働け」
満足げに頷いた信長は、次に大広間の隅で小さくなって控えていた、一人の小柄な小者に視線を移した。
数年前、余の草履を懐で温めて見せたことで、足軽に取り立てた男。
木下藤吉郎。
のちの豊臣秀吉である。
これまでは城内の雑用や台所の手配をそつなくこなす、一介の有能な下級足軽に過ぎなかった男だが、余はその本質を知っている。
「おい、猿」
「は、はい! 足軽の藤吉郎にございます!」
藤吉郎は、猿のようにペコペコと頭を下げた。
だが、彼の鋭い直感は、目の前の主君の「異変」を敏感に察知していた。
(……おかしい。この殿様、俺がただの足軽じゃねえことを、最初から見抜いてやがるような目をされておられる……)
信長はニヤリと不敵に笑った。
(藤吉郎よ。お前には一度目の人生同様、馬車馬のように働いてもらう。だが、次は小田原や九州で終わりではない。お前には、世界の海を股に掛ける大商社を率いてもらうぞ)
「藤吉郎、お前には特別な才能がある。明日から、十兵衛の元で『経済と数字』を学べ。余がお前を、日の本一の金転がしにしてやる」
「へ? け、経済……? 金転がし……?」
藤吉郎は、間抜けた声を上げて首を傾げた。
家臣たちは「なぜ殿は、足軽上がりの猿を急に呼びつけて明智十兵衛の弟子にするのだ?」と、さらに困惑を深めている。
今川義元を討ち取り、失うはずだった忠臣を救い、宿敵となるはずだった明智光秀を最高の環境で味方に付け、未来の天下人・秀吉を商人のトップへと据えた信長。
家臣たちの困惑を置き去りにしたまま、歴史の歯車は、一度目の人生とは全く違う「絶対的な平和と最強の近代化」へ向けて、爆音を立てて回り始めたのだった。
(第3話「戦わずして美濃を干上がらせよ! 未来知識による『ノーザン・エコノミー計画』」へ続く)




