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第14.5話:中国開発総局長、安土の「冷や汗」を知らず

1:尾張の鍬を捨てた男


「おい作蔵、またそんな得体の知れぬ書物を睨みつけておるのか」


安土へと続く舗装された街道の脇、真新しい荷馬車の荷台で、幼馴染の権太が呆れたように声をかけてきた。


余、いや――俺の名は作蔵。数年前までは尾張の貧しい小作農だった男だ。当時は毎日、泥にまみれて鍬を振り、秋に実った米のほとんどを年貢として毟り取られるだけの、明日をも知れぬ日々を送っていた。


だが、あの御仁――天下を統べる惣追捕使、織田信長様がこの日の本を新しく動かしてから、俺たちの世界は文字通りひっくり返った。


「これか? これは新政庁が発行した『初等算術と物価の手引き』だ。これからの時代、文字と算盤が使えん者は、国営の輸送路での荷扱い役にもなれんからな」


俺は手にした安価な紙の冊子を掲げて笑った。


信長様が常の兵を置く制度を敷き、国内の野良の武力を完全に解体してからは、農民が無理やり戦場へ引っ張り出される狂った時代は終わった。さらに、国営の寺子屋が作られ、俺たちのような底辺の人間にも無償で学びの場が与えられた。


今や俺は鍬を捨て、織田東インド商会が管理する街道の一等の輸送員として、固定給をもらいながら無理のない環境で働いている。戦に怯えず、明日の食い扶持に困らない生活。俺たちにとって、信長様はまさに現世に降り立った神仏そのものだった。



2:経済という名の目に見えぬ軍勢


「それにしても、西国の毛利様まで、一文字も戦わずに降伏したっていうのは本当かい?」


権太が馬のたづなを握り直しながら、不思議そうに首を傾げた。


「ああ、本当さ。新政庁の伝書にはそう書いてあった。戦をすればまた多くの者が死に、田畑が荒れる。だが信長様は、最高総参謀局の二兵衛様とかいう恐ろしい知恵袋を使って、山陰山陽の海を完璧に封鎖しちまったんだ」


俺は冊子を開き、学んだばかりの知識を権太に噛み砕いて説明する。


「石見の銀山ってのは知ってるだろ? あそこの銀を外へ出せないように海の流通を塞いだんだ。すると、西国の中で銀の価値が暴落して、ただの石ころ同然になった。代わりに、食べ物や道具の値段が信じられんほど跳ね上がる……『大物価高騰』ってやつさ。毛利軍は、戦う前に飯が食えなくなって詰んだんだよ」


「へえ……。刀や鉄砲を使わずに、物の流れを止めるだけで十カ国を丸ごと不戦勝か。信長様の頭の中は、一体どうなってるんだ。寸分の狂いもない、まるで未来を見通しているような恐ろしさだな」


権太がガタガタと身震いする。


俺も同じ気持ちだった。戦わずに敵の組織を解体し、生かしたまま我が国の新しい開発の労働力として組み入れる。毛利の当主は『中国開発総局長』として固定給をもらい、涙を流して感謝したという。敵すらも過労で殺さず、手厚く包み込む。その圧倒的な包容力と先見の明に、俺たち領民はただただ平伏するしかなかった。



3:安土の天より見下ろす覇王

街道の向こう、巨大な物見櫓を戴く『新政庁』が見えてきた。

天守閣などという無駄な飾りを排し、実務を極限まで効率化させた、近代的で冷徹な官庁街だ。


あの最上階で、信長様は今日もこの国の行く末を完璧に差配されているのだろう。南蛮の奴隷貿易という魔手からこの日の本を完璧に守り抜き、世界最強の海洋帝国を築くという、常人には理解すらできぬ壮大な計画を描きながら。


「おい見ろよ作蔵、あれが信長様のご威光の塊だな」


権太が畏れ多そうに新政庁を見上げる。俺たちの目から見れば、信長様は一分の隙もない、冷徹で完璧な絶対覇王だ。西国を秒速で無血解体し、次なる四国や九州の開拓、果ては皇族との繋がりまでをも万全に掌握しつつある怪物。あの御仁の辞書に、「動揺」や「弱音」といった泥臭い言葉など、ただの一文字も存在するはずがない。


――だが、俺たち農民は知る由もなかった。


その新政庁の最上階にいる信長様の内心において、チートすぎる部下たちのハメ手にドン引きし、正室の帰蝶様の冷ややかな視線に怯え、限界を超えた胃の痛みに冷や汗を流しながら、必死に「覇王の仮面」を維持しているなどとは、夢にも思っていなかったのである。


(第15話:小田原の算盤、安土の「絶対大義」にひれ伏すへ続く)

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