序章26話 無限の光
気付けば雨が降り始めていた。空は青一つない曇天が広がっている。ノアの頬を撫でるように降っていた雨は、やがて地面を叩くように落ちていた。
吐息が白く濁る。神がペタリと肌に付き、服が隙間なく密着している。
ヨハネは《全てを否定する》支配の球体、否定する支配者を発動すると雨を防いでいる。対してノアは不快感を抱くことも、煩わしいとすら感じていなかった。
(皆、力を貸してくれ――!)
頭の中にあるのはヨハネを倒すことのみ。
この三日間で得た、一千万の民の信仰心へと思いを投げかける。
「ふっ。決着をつけようだと? まるで勝算があるかのような口ぶりだが、その程度の貴様と興じるつもりはもはやない……四元素の支配者」
ヨハネは落胆をそのままに術式名を唱えると、支配の粒子が四本の〝手〟を描き奴の背後に控えていた。
逃げるしかなかった、数日前と全く同じ光景が展開される。
炎を司る〝手〟には太陽を陰らせるほどの炎球が。
風を司る〝手〟には空を突き抜けるほどの竜巻が。
水を司る〝手〟には天を溺れさせるほどの水量が。
土を司る〝手〟には地を貫けるほどの巨大な柱が。
ノアがいくら力を付けようが結果は同じだと、奴はそう語っているのだろう。
「助長した愚か者ほど不快な者はない。さらばだ、神の子ノアよ」
炎が、風が、水が、土が――死が、ノアめがけて落ちてくる。
ノアは落ち着いて一つ深呼吸をすると、
「届け。私は皆の声を聞き届ける者なり」
ただ力をつけたから、だけではない。たった十秒でメシアを救ったという経験が、ノアの心に冷静さをもたらしていた。
「響け。私は皆の願いを叶える者なり」
魔法とは想像の世界。セフィラの中でも特に強大な力をもつ形態王冠は、より念密な想像を必要とする。
「轟け。私は王冠の王を倒す者なり」
想像がより具体化していくにつれ、ノアの体から白色の光が灯っていった。
『王冠』の王を倒すという一言に、ヨハネは眉を潜めている。四本の〝手〟に支配された四元素の勢いは更に増していたが、
「繋げ。皆の信仰を私に――無限の光よ!!」
瞬間、ノアから放たれた無限の光は空へと伸びていき、立ち込めていた暗雲を払う。そのまま流星群のように、『王冠』中へと散っていった。
さあ、準備は整った。
ノアは支配されている四つの元素へと手をかざし、一言だけ告げる。
「――自由を」
かざした手から放出される四本の光。ヨハネが支配する四元素に触れると、自由を与えられたそれらは音もなく消えていった。
「ば……かな」
支配に自由を与えられる経験など、初めてに違いない。ありえないことが起きたと、ようやくヨハネの顔色が変わった。
呆然とし、ノアの背から伸びている無限なる光を睨みつけて言う。
「私の支配が……まさかそんなことが……なんなのだ、その光は……!」
「貴様はこれまでに一度でも、国民の声に耳を傾けようとしたことがあるか?」
「いいや、ない。必要がないからな」
「そう、か……いや、そうだよな、貴様は」
国を管理することだけに執着している。
その返答は予想していたとはいえ、一切の悪びれもなく即答する王に、ノアは失笑せざるをえなかった。
「今私が発した光は、貴様が踏みにじってきた国民の声だよ」
「国民の声、だと……?」
「ああ」
ノアは歩を進めると、ヨハネとの距離をゆっくりと縮めていく。
「私と、私を信仰する者とを繋ぐ。それこそが無限の光」
近づくなと言わんばかりに、一歩踏み出すごとにヨハネの攻撃が降り注ぐ。支配された風や炎、雷、支配の粒子など……その全てを、無限なる光が無力化していった。
「無限なる光で繋いだことにより、私が見ている光景を国民も見ている! 彼らの声が、願いが、常に私に届き力を与えてくれる!」
国民の声に支えられているノアの歩みを止めることなどできない。
やがてはヨハネの目前、否定する支配者の前に立つと、
【ヨハネを倒して!】
一千万の国民の声が一つとなる。
拳を握りしめるとノアは、否定する支配者ごと思い切りヨハネめがけて振り下ろした。
――神の性質を持つノアは、人々の信仰心によって力を強大とする――
数日前はどうすることもできなかった、ヨハネを守り続けていた否定する支配者を、ついに、
(聞こえているよ! 皆の声が!!)
無限の光をまとったノアの拳が支配を貫く。
「――ふっ。間に合わんか」
ヨハネは逃げようとしない。一歩だけ後ずさりしていたが、奴なりのプライドなのか、足を戻して歯を食い縛っていた。
「国民の声を思い知れ――王冠の王よ!!」
直撃する。ノアの拳がヨハネの顔面へと。
「ぐッッ! ごは!!」
拳に伝わる骨と肉の確かな感触。ヨハネはそのまま吹き飛ばされると、地面に力なく横たわっていた。
「…………」
ノアが振るったのはただの拳ではない。ヨハネを倒してほしいという、国民の声が込められた一撃だ。
この一撃で終わるはず。拳に付着した奴の血を、しかしノアは目を細めて見つめていた。
「ノア様!」
闘いを見守っていたエレノアが、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「やりまし――」
「エレノア、今すぐメシアと皆を連れてここから離れて」
「――え?」
「多分まだ、終わってない」
奴がこんなにあっさりと、ノアの思惑通りに敗れるはずがない。二度目の対峙だからこそ湧いた直感。
スピカやアッシュ達、ずっと支配されていた子供達の支配に自由を与えると、エレノアと目線を合わせる。
「皆を頼んだよ」
「は……はい!」
子供達は事態を呑み込めず唖然としていたが、エレノアの必死さに促されていた。眠っているメシアを数人がかりで抱きかかえ、
「ノア様! わたしも信じています!」
拳を突き上げて彼女の信頼に応えると、エジュリヌ大森林から離れていく彼女達の後姿を見送る。
「さて……」
以前横たわったままのヨハネを見下ろすと足を上げ、、全ての体重を乗せて踏みつけた。
「ふっ。随分と荒い目覚ましだな」
余裕の戻っている、忌々しい奴の声が背後から。
(やっぱり無事か……)
どうやら横たわっているこのヨハネは、光を支配して作った幻らしい。小さく舌を鳴らし無限の光で自由を与え、ノアは振り返る。
「素晴らしく強力な一撃だったが、やはり特筆すべきは私の支配を無力化したことだな」
心の底から感心しているらしく、尚もヨハネは上から目線で拍手をしていた。
「夢にも思わなかったぞ、神の子ノアよ。痛みも焦りもいつぶりか」
「……なぜ、意識を保っていられる」
余裕綽々としているヨハネだが、頬にはしっかりと拳の跡が残っている。
実際にこうして無事な姿を目の当たりにすると、一千万の国民の声を乗せた一撃なのになぜと、疑問がつきなかった。
声音は低く訊ね、重心を落とし構える。
「なに、単純な話だ。私自身の肉体を支配した」
ヨハネの頭上の王冠から、再び支配の粒子が放たれ全身をまとう。
「神経を支配し痛みを中断させ、血管や骨を支配し血を止め砕けた骨を繋ぎ合わせる。確かに強力な一撃だったが、強力なだけでは私は倒せんよ」
「そう……か、なら今度は、支配が追い付かない最速の一撃を以てして、貴様を終わらせてみせる……!」
「ふっ。ならば私からは称賛をくれてやろう」
大仰に手を広げ、今度は奴から近づいてくる。
「認めてやる。神の子ノアよ。貴様を正真正銘、私を倒せるだけの力を持つ〝敵〟だとな」
――そう、これまで奴は、ノアのことを敵だと見做していなかった。
国を管理するだけの退屈な人生に生じた、初めてのイレギュラー。これまでのノアとの闘いは奴にとっては余興に過ぎなかった。
ノアを対等な敵と見做した、つまりはここからが本当の闘い。
「さあ、第二ラウンドといこうか」
奴の表情に初めて、本気の殺意が宿っていた。




