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ノアの掲げる理想の世界  作者: 可借夜
序章 理想の国『王冠』編
24/29

序章24話 メシア

 ヨハネの時を止めて、一体どのくらいの時間が経ったのだろうか。


 一日目を終えた辺りで視力が消えた。力を絶えず使い続けるという疲労は、いつしか身が砕けるほどの苦痛へと変わり果てていた。

 時を操作するはずのメシアが、時間の流れを正確に把握できないほどに。


「っすー、はっ、ぜ、はぁぁー、すぅー、はぁー」


 呼吸をすることさえ辛い。一瞬でも気を抜こうものなら、必死に繋ぎ留めている意識が途端に途切れそうだった。


(ノアとエレノアは、今、どこで何をしているのかしら……救済は順調かしら)


 こんな状況であっても、メシアが思い浮かべるのは二人の顔。


(エレノアは……子供とは思えないほどしっかりしていて、強い子だったわねぇ)


 彼女が処刑されそうだったあの日、メシアはノアに「見捨てる」よう忠告していた。

 あの時のメシアなりの考えがあったとはいえ、今思い返してみればありえない。


 ――助けての声から生まれたはずの君が、その声を無視するの?――


 ノアに言われたこの言葉は、メシアの心をえぐるように響いていた。


(ノアに一度殺されてでも、価値なき子を助けたいと叫んだあの瞬間は、目を奪われるほど感動したわぁ)


 エレノアと子供達の覚悟を見て、メシアは一人何もしていないことに恥を感じていた。

 皆が闘っているのにと、焦りと寂しさを抱いていた。


 だからこそ勝手にノアを助けに行ったし、そのあとの支配を浄化するため皆と一緒に闘ったことは、メシアの誇りとなっている。

 決して忘れることのない。例えここで命が終わることになったとしても、だ。


(ノアは――ふふ、出会った時はあんなに取り乱していたのに、まさか貴方から口づけされるなんてね)


 棺の中で眠っていた彼を、口づけで目覚めさせたことは、唇の感触を鮮明に思い出せるほど刻まれている。


(貴方は気持ちが昂ってしまったからって言っていたけど、実は、私もだったのよ?)


 二巡目の世界が始まった当初、メシアは愕然としていた。

 時を巻き戻したはいいものの、力の九割を使い切った自分ではヨハネの支配を突破できない。信仰心を得る方法も分からない。どうやったら人類を救えるのか、見当もつかなかったのだ。


 故に、自分と同じ神の性質の気配を辿り、棺で眠っている神の子(ノア)を発見した時は心が救われたかのようだった。

 もうこの子しかいないと、まだノアは赤子だったから、将来成長した時のため支え続けようと決心した。目覚めるその日を今か今かと待ちわびていた。


(でも貴方ったら、十五年も眠り続けているんだもの……赤ちゃんから成長していたから仕方ないとはいえ、本当に寝坊助なんだから)


 いつその日が来るともしれず、待ち続けた十五年は本当に長かった。

 そしてあの夜は、それまでは身じろぎ一つしなかったのに、寝言を口にしながら何度か寝がえりを打っていた。やっと起きる! と予感するものの、三十分経っても目を覚ます気配がなく。


(口づけをしたら目を覚ます童話を思い出して、もうこれしかない! って気持ちが昂って、気付いた時には唇を重ねていたのよねぇ)


 その結果、メシアは知った。

 ノアはずっと長い夢を、一巡目の崩壊する世界を目の当たりにしていたことを。


(私と一緒に人類を助けてほしいって願った時、貴方が手を取ってくれたことがどれだけ嬉しかったか、貴方は知らないでしょう?)


 メシアはあの時、断られたらどうしようかと不安だった。

 人類を助けてほしいなんて、目覚めたばかりのノアには重すぎる願いだろうと。

 でもノアは、迷うことなくメシアの手を取ってくれた。それが嬉しすぎて、あの瞬間メシアは、ノアならやってくれると、ノアなら信じて大丈夫だと確信していた。


(……そう、そうなのね) 


 過去を振り返っていると、メシアは気付く。


(これは、走馬灯なのね)


 死がすぐそこまで迫っている。


(私は――)


 メシアは自分に一つ問う。後悔はあるのかどうかと。


(後悔なんてない、そう言いたいけれど……でも、もし一つだけ、わがままを言っていいのなら)


 人々の願いから生まれた(メシア)は、人々を助けようとするのは当たり前のこと。そのための唯一の鍵であるノアを支え続けていたのは当然のこと。


 だけどそんな神としての使命を、役目を無視してもいいのなら、


(ノアと、エレノアと、皆と、もっと一緒にいたかったわぁ)


 十五年もの間、メシアはずっと独りで過ごしてきた。

 たったの三日間の日々が、皆と一緒に過ごすということが、これほど幸せを与えてくれるのだと初めて知った。

 人の温もりを覚えた、だから人は営みを紡ぐのだと理解した。


 ――全てが終わった時に答えは聞かせて――


 走馬灯の最期を飾ったのは、ノアと別れを告げた際の彼の言葉。


(ごめんね、ノア……貴方との約束は、果たせそうにないかも)


 今まさに燃え尽きようとしている。命の灯が……。


 ――いいや、まだだ。

 ――まだ諦めるのは早い。


「ノ……ア」


 別れる瞬間、彼は確かにこうも言っていた。

 メシアを助ける方法も見つけて帰ってくると、必ずと。


 ノアを信じない、わけがない。自分は他の誰よりも彼のことを信頼している、

 それに何よりも、彼の理想は――


「……け、て」


 残された力を振り絞って、メシアはその言葉を口にする。


「助けて……ノア……!」


 縋るように伸ばした手。とうに感覚は消えかけていたが、それでも握り返してくれた彼の手の感触を、しっかりと捉えていた。


「ただいま、メシア」


 聞き馴染んだ声が耳元から聞こえる。


(ああ――やっぱり)


 彼の掲げる理想は、他のどんな理想よりも理想的だ。

 初めて助けられる立場になったことで、メシアはより深く実感していた。


「おか、えり、ノア」


 精一杯笑って返す。彼が今どんな顔をしているか見ることはできないが、自分と同じように笑ってくれているはず。

 だって彼の声色は、希望に満ちていたのだから。


「聞こえたよ、君の、助けての声が」

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