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ノアの掲げる理想の世界  作者: 可借夜
序章 理想の国『王冠』編
22/29

序章22話 「今までありがとうね」

 始まりは、いつもと変わらぬ朝だった。

 ノアは寝起きが悪い。最悪と言っても過言ではないほどだ。放っておけば昼過ぎまで眠っているため、メシアが起こしに行くというのが日常になっていた。


「ほら、起きてノア」


 昨夜ユースティスが用意してくれた、簡易的なテントの中でノアは眠っている。体を揺すられ目を開けると、ゆっくりと体を起こした。


「メシア……おはよう」


 と言いつつも、言葉とは反して体が再び横になっていた。


「あ! 寝ちゃダメよ! もう皆朝食の用意を始めているのよ!?」


「うん……そうだね、僕も手伝わなきゃ」


「分かっているなら目を開けて! 口だけ動かさないで!」


「……あと」


「あと?」


「五分……十分……三十分だけ寝かせて」


「なんで増えるのよ! いいから早く起きなさい!!」


 メシアに腕を引っ張られ、強制的にテントの外に引きずり出される。しかしそれでもノアは、強烈な眠気に抗えずにいた。


「エレノア!」


「はい! ノア様申し訳ありません!」


「ん……? 冷たっ!」


 籠に入った冷水を顔面に浴びせられることで、ノアはようやく目を覚ました。

 顔を振って水を飛ばすと、抗議の視線をメシアに向ける。


「力技にもほどがありすぎない?」


「すぐ起きない貴方が悪いのよ」


「それは……ごもっとも」


 ぐうの音も出ない。明日こそはちゃんと起きようと決心する。


「メシアの言っていた通り、すぐに起きなかった僕が悪いんだから、気にしなくていいよエレノア。むしろ、起こしてくれてありがとうね」


 彼女の中で大きな罪にでもなっているのだろうか、エレノアはずっと委縮していた。ふわりと笑うと、彼女はほっと一息つく。


「じゃあ僕は、魚か獣か……とにかく、タンパク質になるような食材を獲ってくるね」


「ええ、お願い」


 ここにいる子供達は今や二十五人と、大所帯になってきた。ユースティスからの支援があるとはいえ、食料の消耗が激しい。


 それに皆成長盛りだ。ノアは空腹を感じさせるわけにはいかないと、張り切って大型の獣を二頭狩って皆の元に戻る。


「皆もど……った、よ」


 それはいつもと変わらない朝に思えた。

 しかし日常の終わりは、既に目の前にまで迫っていた。


「皆……?」


 昨夜から食卓となった、長机の周りの椅子に座っている。それだけなら日常の光景に過ぎないが、まるで電池の抜かれた機械のように、一点を見つめ微動だにしていなかった。


(まさか――)


 この光景には見覚えがある。あれは確か、初めて乱入した処刑場の観客と同じだ。

 ありえない、あってほしくないと沸き上がる絶望を無視しようとする。だがノアがいつも座っている席に、誰かがいる。


 それが誰なのか、見て見ぬふりをするなどできなかった。


「ふっ。最後の晩餐は楽しめたか? 神の子ノアよ」


「――――」


「ふっ。はは! なんだその間抜けな顔は! ははは!」


「――な、ぜ……」


「ん?」


「なぜ、ここにいる……」


『王冠』の王、ヨハネ・ケトラルヒ。奴が襲来してくるなど、いくらなんでも、昨日の今日でこうなるなど、ノアは全く想定できていなかった。


 脂汗が滲む。頭が真っ白になりかける。心臓の鼓動が一つ高鳴ったと思えば、止まりそうなほどの衝撃を受けていた。


「聞いたところで何になる……だがまあ、よかろう。無様なその間抜け顔を見せてくれた礼だ。教えてやる」


 つまらなさそうに言う奴の言葉に、意識が強制的に現実へと戻される。

 ヨハネは指を鳴らすと、示し合わせたかのように森の中からその人物は現れた。


「貴様らの中に、私の伝者が紛れていた……つまらん種明かしだ。なあ、ユダ」


 ユダと呼ばれた――ユースティス・ダリアン――は、ヨハネの背後に控えうやうやしく一礼をしていた。


「ユースティス、さん……」


 ヨハネに従う彼の姿を見て、なぜヨハネがここに現れたのか答えは示されたのだが……それでもノアは信じられなかった。


「なぜ、あなたが」


「これが私の役目だからです、ノア殿」


 ゾッと背筋が凍るような、返ってきたのは冷たい回答。

 昨日までとは別人すぎるユースティスの姿に、ノアはまさかとヨハネを見やる。


 奴に支配されているから、だからこうなっているのだと、ノアは初めて〝支配されているから〟という理由付けを望んでいた。


「ふっ。こやつはもう、支配されてなどおらんよ。他ならぬ自らの意思で、貴様らの情報を私に流したのだ」


 なあ? とヨハネはユースティスを流し見る。

 ユースティスは無表情のまま顎を引いて、


「私は元々、他国の情報を集めヨハネ王に流すスパイでした」


「…………」


「価値なき子を貴方は助ける。であれば、価値なき子の父としてなら貴方の懐に潜り込めるはず。娘を価値なき子に仕立て上げた、それがヨハネ王から受けた命令です」


「…………」


「支配を浄化されたあとも、その役目は私に刻まれたままでした。だから私は、私の役目を果たしたまでです」


「…………」


 一つだけ、とノアは呟いた――つもりだった。

 口だけが動いただけ。言葉になっていなかった。

 唾を呑み込み、震えながら訊ねる。


「一つだけ、聞かせてほしい。貴方は騎士の攻撃から、ユリエルを守ったと聞いた……あの行動は……」


「貴方から信用を得るため。ただそれだけです」


「――――」


 どれだけ認められなくても、どれほど否定したくとも、もう、受け入れるしかなかった。

 ユースティスは――否、ユダは、最初からヨハネの側についており、決定的にノアの敵だったということを。


 そして、何よりも、


「ふっ。質問はこれで終わりか? なら、もういいな?」


 ――『王冠』の王ヨハネ・ケトラルヒとの、決戦の火蓋が切って落とされようとしているのを――


「よくないわよ、全然。これっぽっちもよくないわ」


 その時聞こえた彼女の声は、まさしく救世主(メシア)のそれだった。


「二人で勝手に盛り上がらないでほしいわね」

「メシア……!」


 ユダからの裏切りを受けた今、最も信頼する人物の登場に、ノアは心が救われるかのような思いだった。


 メシアはヨハネと対峙するように、もはや定位置となったノアの横に並ぶ。


「ノア」


 続けて彼女はこう告げた。いつもと変わらぬ、満面の笑みを浮かべて。


「今まで、ありがとうね」

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