ネルの厄日
王城の大きな噴水広場から南通りへ進み、少しだけ開けた芝生の敷地にわりと人が集まっている。通りを邪魔しないようにしっかりと柵で囲われた広場には、子供だけではなく大人の姿もあちこちに見える。
ここ貸し玩具屋は、いつでも人が多く出入りしているのだ。
「アンバー、あれじゃないか。羽馬」
ネルの声につられるように広場のほうに顔を向ければ、羽の付いた靴のようなもので遊ぶ子供たちの姿が見えた。その場で高く飛び上がり、着地の寸前でゆっくりと地面に落ち立つ。一番高く飛ぶ子で三メートルは軽く上がっていそうだ。
「ああ、そういうことね」
靴の外側につけるタイプのおもちゃらしい。ハーネスで靴に巻き付けて、レモンのような形の大きなバネが靴底に見える。くるぶしあたりにある左右の小さな翼がワンポイントだろうか。
高くジャンプして遊ぶものなんだろうが、靴底のバネだけじゃ一メートルも上には飛べないはずだ。多分、何か魔法の力に違いない。本当に魔法って万能。
「ネルは何の魔法が使われてるかわかる?」
私は首を上下に動かし、子供たちの楽しそうな姿を眺めながらネルに聞いてみれば、彼も同じように頭を上下に動かしつつ。
「ああ、簡単な魔法だ。属性は風だろうな。飾りの翼に魔方陣を書き込んでるんだろう」
「さすが自称魔力持ち。で、やる?」
「自称って……まあ、やりたい。のは山々だが、私はこれ(・・)だし、な」
ネルは背中を丸めて少しだけ耳がしょんぼりとたれたように見える。もともとブタさんの耳は折れて垂れ下がっているものだが、さらに下がって見えるなんて、相当本人はこのブタさんの姿を気にしているのかもしれない。かなり可愛い姿だと思うんだけどなぁ。
「さすがにネルに合うサイズの羽馬はなさそうだしね。でも、体験くらいしてみようよっ。ぶっちゃけ私がやりたいっ!」
正直、今着ている侍女服ってスカートだから、あんなジャンプするオモチャで遊べば大変なことになりそうだが、そこはそれだ。
「アンバーがやりたいなら……」
そう言って、私を見上げるネルの瞳がキラキラと輝いているのを見れば、私に迷いはない。
店のおじさんに羽馬をかりて、装備の仕方をしっかり聞きながら靴に取り付けると、早速、敷地に入って軽くジャンプ。それだけで軽く三十センチくらいは浮いた。
何度か練習しながらジャンプを繰り返し、だんだん慣れてきたら少しずつ高さを上げていく。
ネルを抱っこしたままだとバランスをとるのがちょっと難しいが、なかなかどうして意外と面白いぞ。羽馬。
少しずつ高さを上げていけば、私たちの視界は空に近づいていた。それと同時に、視線を下げれば周囲の街並みが見下ろせる。
たくさんの人で賑わう街を上空から見下ろす経験なんて、そう簡単にできるものじゃない。なんだか壮観だ。
「劇場の屋根がここから見えるよっ!」
王都観光には欠かせない、異国の宮殿を模した劇場の金色に光る屋根が見える。まるで巨大な玉ねぎを三つ並べたようなその屋根は、この都にあってはひときわ目立っていた。
「ああ、噴水の広場もここから見ると美しいなっ」
広場は石畳で綺麗に舗装されている。普段は大きすぎてその全貌を見ることはできないが、こうして上から見ると見事なモザイク調のデザインなのがよくわかる。
こうして誰かと同じ時間を共有するのはやっぱり楽しいと思う。
休みがなくて遠くには遊びに行けないし、普段は一人だからこうして遊ぶこともあまりなかったけど、そう考えると、誰かの存在って大きいわ。
「変わらないな」
ふと、高くジャンプして周囲を見下ろすと、ネルがどこか懐かしそうに目を細めて言った。
それは街並みのことか、人の多さやその営みについてか。私にはそれがよくわからなかったけど。
「そう簡単には変わらないよっ」
きっとネルは変わらないことに安心したのかな。なんて思う。
そして時間いっぱいまではしゃいで過ごして、私たちは貸し玩具屋を後にした。
ちなみに、羽馬の貸し出し金額が一時間で銅貨三枚。普通の白パン一つが銅貨五枚だから、羽馬の貸出金額を高いと取るか安いと取るかは人それぞれだね。
貸し玩具屋を後にしてから、私とネルは王都見学を楽しんだ。
屋台の串焼きを頬張りながら、叩き売りの古書や陶器を眺めたり、ウインドに飾られている綺麗な洋服や装飾品を眺めたり、オープンテラスのカフェで冷たいものを飲んだり、クジ売り店でクジを買って、ネルが四等のケーキ引換券を当てたり、そうして楽しく遊び回れば、時間なんてあっという間に過ぎていってしまう。
こういう時って本当に時間が過ぎるのが早くて困る。
気が付けば空はすっかり夕焼け色に染まってしまって、もう帰る時間が迫っている。このまま気の向くままに旅でもできれば気分も晴々するだろうか?
まあ、そうしたくても先立つものがないんじゃねぇ?
「屋敷にたどり着くころには夕食の時間だな。これは」
「私もうっかり時間のことを失念していた。すまない」
空を見上げてつぶやく私に、ネルも申し訳なさそうな声で答えてくれた。
だけどそれは違うよ、ネル。
「私が好きで遊んでたんだから、ネルのせいじゃないよ。それに、帰りが多少遅くても怒られたりしないから大丈夫。てか、侍女長や執事頭には怒られないけど、うちの我がまま娘がねぇ」
セイラのことを考えると。ねえ?
「私が早く元の姿に戻れれば、必ずアンバーに自由な時間を持たせることを約束する」
ネルは私に顔を向けてそう言うと、ひくりと鼻を引くつかせた。
本人はキリッとキメ顔を作っているつもりかもしれないが、残念ながら今のネルには愛らしさしかない。
「ぷっ。うん、そうね。じゃあ期待しておくわっ」
「なんでそこで吹き出すんだ……」
「いや~。だって、仔ブタに『約束する。キリッ』って顔を向けられても、ねぇ?」
「私だって好きでこんな格好してるんじゃないぞっ」
「分かってるって」
でもやっぱり可愛いんだよね。
そう思うと、やっぱり笑えてくる。で、私が笑えば、ネルはなんだか悔しそうに、私の腕を小さな腕で『たしたし』と叩いてくるのだが、それもまたちっとも痛くないので余計に笑えてしまった。
「ごめんってば、じゃあさ。ネルが元の姿に戻ったら、また一緒に遊びにこよう。ねっ」
ネルの顔をのぞき込んで、私がそう言って笑顔を見せれば。
「アンバーが、また来たいと言うなら……まあ。付き合ってやらないこともない」
ネルはそう返事をして、頬を微かに赤く染めて照れくさそうにそっぽを向いた。
「うん。じゃあ約束ねっ!」
こうして、楽しかった今日が終わっていった。
さて、王都に遊びに行ってから、じゃなくてあれはお使いだよねぇ。まあ、どっちでもいいけど、あの日から三日が経過していた。
ネルは順調に張り込みを続けているようだ。うむ、結構。
で、私はと言うと、順調に自分のお仕事をこなしている。だって、本来の役目は雑用係だもん。
今日も朝からセイラのお世話に追われ、窓拭きと廊下掃除を終わらせて中庭の掃除。もうほとんど毎日、セイラの世話か掃除しかしてないわね。
箒で中庭の石畳を掃きながら、私は『ふわぁ』とあくびをかみ殺す。こういいお天気だと眠くなって仕方ない。
(それにしても、何にもないわねぇ)
実はこの三日間でのネルの成果については、なんとも微妙なところだった。
何しろネルが張り込みをしている部屋、ミスロイのコレクション部屋には人の出入りがないそうなのだ。屋敷内の掃除を毎日している私からすれば、三日間も人の出入りがないのは、逆におかしいと感じてしまう。
なにしろ普段は、二日とあけずに屋敷のいたるところを掃除させるのだ。それを考えると、コレクション部屋に誰も出入りしていないと言うことは、使用人は誰も掃除に来ていないことになる。
ハモンドさんか侍女長のどちらかは掃除に来るかとも思ったんだけどなぁ。
(それとも、七日間のうち掃除する日が決まっているとか?)
もしそうなら、七日間きっちり調べないと分からない。
だけど夜はまったくしらべてないから、夜のうちに誰かが入っていたとしたらお手上げだ。こっちは調べようもない。だって夜は寝たいんだもんっ!
でも昼間に誰の出入りもないと言うことは、人の出入りがあるのは夜だけじゃないかと推測できるし、私たちの活動時間が昼限定なことを考えると、こっちが行動を起こすのに都合がいい。
一応、昼間のうちもコレクション部屋に人の出入りがないか確認はしなきゃいけないだろうけど、昼間のうちなら誰にも知られることなく、しかも私が魔道具を持ち出してもすぐには気付かれない可能性も高い。かもしれない。
(なんとかなりそうかもね)
と、魔道具を持ち出すその前に。確認できることは全部しておかないと。
四日後、午前中の仕事を終わらせたあと、侍女長と執事頭の計らいにより午後を丸々お休みにしてもらえた。なんて優しい上司たちだろうか。もう泣けてきそう。
出かけることはできないけど、それでも半日も休憩が取れると言うのは、私にとって本当にありがたい話。で、ネルの張り込みもひと段落ついていいタイミングだった。
昼食後、私はネルを連れて使用人用の家のうらにあたる森へと向かう。
いろいろ試したいことはあっても、自分の部屋ではいつだれが来るかもわからない。とくにわがままな妹関係で。
一度森に入ってしまえば、森の中をある程度歩いたことがない人には、私を見つけることはできないだろう。この屋敷内で言えば、執事頭のハモンドさんか庭師のロディさんだ。
そういうわけで、私は森の奥にある少しだけ開けた場所に向かう。
森に入ってから歩いて十五分ほど進んだところに、少しだけ開けた場所がある。
ぽっかりと穴が開いたようなその場所は、ドーナッツの穴の中に居るような感じと言えば、伝わるだろうか。
大きな切り株が開けた場所の中央に位置し、日向ぼっこ最適だ。ただし、真夏は日陰も出来なのでちょっとここは使えないが。
「それで、なにを試すつもりなんだ?」
目的地について、大きな切り株に腰を下ろして一息つくと、私と同じように切り株にちょこんと座ったネルが私を見上げて首を傾げた。
「うん。ちょっと待って」
ここに来るときに持ってきた大き目のバスケットをのぞき込み、私はその中からチョコと、この間、王都で買ってきた服をバスケットから出すと、切り株の開いているスペースに置く。これを見れば、私の試したいことには察しが付くでしょ?
「というわけで、食え」
私はこれでもかと言うほどの満面の笑みを作り、ネルの目の前に私の作ったトリュフチョコを置いてやった。
いろいろね。試しておかねばいかんだろうと思うのだ。ね? なにも私の好奇心だけでこんなことを試すわけじゃない。本当よ?
ネルは私のさし出したチョコを見つめると、ヒクリと鼻をを引くつかせて嫌そうに私を見上げる。
「食えって、私に拒否権は?」
「そんなものがあると思うな愛玩動物」
さらににっこりと笑いながら言う私に。
「酷い言われようなんだが……」
ネルはそう言ってうなだれる。
嫌いなのはわかってるけど、これは大事な実験なんだから拒否されても困るのだ。
もしかすれば、人に戻らないとどうにもならない状況になるかもしれない。そう言うもしもを考えれば、好き嫌いは言ってられないんじゃないかと思う。
別に私が面白がってやってるわけじゃない。本当に違う。うん。違うよ?
「そんな愛玩動物脱却の足掛かりとして、さあチョコを一思いに食べるといい」
私がにやりと口の端を釣り上げて見せれば、ネルは嫌そうな顔でチョコへと鼻先を近づけ匂いを嗅ぐ。
「いや、これなぁ……」
顔色が見る間に青くなっていくのは決して見間違いじゃない。チョコの匂いでさらに食べる気が失せてしまったのか、ちょっと涙目になっている。
うん。カワイイ――って、そうじゃなくて。
「また口の中に無理矢理、突っ込まれたいの?」
そう言って笑顔で首をかしげて見せれば、ネルはあからさまにビクリを体を跳ねさせてすがるような目を私に向けて来るが、そんな目をしてもだめです。
ネルは私の顔を見て、私に諦めさせるのは無理だと悟ったのか、チョコに顔を向けて、いっきにぱっくりと食いついた。
「ぐっ……!!」
そして、小さくうなったと思えば、やはりもんどりうって切り株の上を一回バウンドすると、切り株の向こう側へと落っこちた。
「ちょっとネルっ。大丈夫?」
切り株の向こうに落ちたネルに声をかければ、切り株の縁をピンクの蹄で支えるように体を起こし、たっぷりと涙をためた両目で私を睨み上げるが、残念ながらその効果は皆無だ。これほど睨まれても怖くない生物はそう多くないな。
「甘い……」
愚痴をこぼすように言うネルだが。
「チョコだしね」
甘くしてあるはずのチョコが苦かったらそれは大問題だろうに。
まあ、チョコの甘さについてはどうでもいいけど、問題なのはネルのほうだ。
ネルはひょっこりと切り株の上に体を乗せてその場に座り込むと、自分の短い前足をまじまじと見つめる。
私もネルの体をじっと見つめるが……。
「変わらないね?」
「そう、だな……やはりチョコで変身すると言うのは間違いだったのか?」
「んーー? ちなみに、今ネルが食べたチョコって、私が作ったやつなのね」
私の作ったチョコではダメだった。
つまり、同じ店の同じチョコじゃないとダメなのか。それとも、高級チョコ限定ってことなのか。他に理由があるのか……これは結局、全部試すしか手はないんだろうな。
私はバスケットから三種類のチョコを取り出した。ネルの顔が引きつっているが気にしない。
一つ目はサイコロ状の高級生チョコ。二つ目はこの間ネルが食べたのと同じ店のトリュフチョコ。三つ目は違うお店のものだけど、同じく高級なトリュフチョコだ。
さて、じゃあ実験にしっかり付き合ってもらおうじゃないか。
そして結果だが。
生チョコはダメだった。やはり『トリュフ』と言うのがキーワードのようだ。
確認のために、前回も食べた同じチョコを食べさせてみたら、見事に人間に変身。これはまず間違いなくネルを人間に変えることができる。
最後に違う店のトリュフチョコを食べさせてみると――これも見事に人間に変身。
と言うことはだ。『高級』な『トリュフチョコ』ならどれでもいいと言う結論に至ったわけだが……。
「おい、豚肉。私の手作りチョコじゃ不満だと言いたいのかっ」
なんでよりにもよって高級チョコばっかりなんだよっ!
「私がチョコを選んでいるわけじゃないんだがなっ」
「ネルが甘いものを嫌いなのはわかっているけども、なんか納得いかないものがあるんだよっ!」
と、口をとがらせて見せる私に、ネルは苦笑いを返す。
無駄に色っぽいのが腹立たしい。チョコを食べてまだ一時間と経ってないから、ネルがブタに戻るにはもう少しかかる。
「多分だが、あえて理由を考えると『高級』と言うところが大事なんじゃないか?」
「あ?」
「そう怖い顔をするな。考えてもみろ。見た目が仔ブタだぞ? どこの誰がブタに高級なチョコを食わせようとするんだ?」
「まあ、そう言われれば……」
「おまけに私は甘いものが苦手だ。となれば、まずチョコを口に入れる可能性がない」
「うーーん」
あえてそう言う理由を口にされれば、確かに可能性の問題ではあるけど――ねぇ。
なんて、どこか拗ねた気分で居た私に、ネルがふっと手を伸ばしてきたと思えば、大きな手で私の頭を優しくなでつけてきた。
「それでも、アンバーの作ったチョコのほうがおいしかったよ」
ネルはそう言うと、眩い笑顔を浮かべて私の瞳をのぞき込んできた。
「あ、甘いものが苦手なくせにっ」
大きくて優しい手と、同じだけ優しい笑顔で見つめられると、さすがに照れくさい。
無駄に顔がいいんだから、そうやって微笑むんじゃないっ。
誤魔化すようにそっぽを向いて拗ねたふりをして見せるが、自分の頬に集まった熱のせいで、顔が赤くなってやしないかとちょっとだけ心配だった。
まあ、チョコを食べて人間に変身すると言う確認はできたし、どんなチョコがいいのかも分かった。なんか微妙に納得できないが。
とにかく、あとは洋服の問題だ。
「とりあえずさ。さっきは変身した時、結局ブタに戻ると服が脱げちゃったでしょ? 人間に戻るたびに服に着替えてたら面倒じゃない。どうにかならないかな?」
私は気持ちを切り替えて、本題をネルにぶつけてる。別に恥ずかしいから誤魔化したわけじゃないっ。違うからっ。
「呪いのせいで魔力が落ちてるとは言え、それくらいなら、どうにかなるだろう」
ネルはそう言うと、何事かをぶつぶつとつぶやいたと思えば、ネルの着ている服がほんわりと金色っぽく光を帯びて、少しだけ眩しく輝くとすぐに光が収まった。
「なにしたの?」
ネルのローブの袖をちょっと掴んで引っ張ってみても、別に何かが変わったと言う感じじゃない。
「自分の着ている衣服を体の一部にした」
「ん?」
「つまり、呪いを受けたのはあくまで『本体』だ。だから『本体』だけがブタの姿になる。ピアスのように体を貫通していれば話は別だろうが、ほとんどの装飾品や衣服は『本体』とはみなされない。だから、この衣服ごと『本体』になるように魔法をかけたということだ」
「つまり、次から全裸を見なくてすむってことね」
「ま、まぁ、そう言うことだな」
それは結構。