負けられない戦い
亨とバッタが帰ってくる。亨は何故か笑いを押し殺すような顔をしていて、その背に隠れるようにバッタが付いて来る。
少し嫉妬してしまった。
「やあ待たせた」
恥ずかしそうに亨の横に進み出るバッタ。
その容姿に、思わず目を奪われた。
手に持ったブーケに眩い白のドレス。
ウエディングドレスを着たバッタがそこにいた。
「やはり囚われの姫はこうでしょう」
「お、お前、真剣勝負を何ちゃかしてっ……」
「勝てばバッタさんとの熱い抱擁、負ければ終りシンプルでしょう」
「だからってこんな……」
「現実なんてそんなもんですよ。さぁ、クライマックスの始まりです。死なないよう精いっぱい足掻いてください」
それが、合図とでも言うように、イナゴがナイフを構えて突撃を開始する。
「ちょっ……こいつっ」
場は白けたが相手は本気だ。
手を抜けば殺される。ダレた空気のままでも殺される。
さあ俺、いや久我山環架。覚悟を、決めろ!
肉薄したイナゴのナイフを受け止める。小回りの効くイナゴのナイフは、一度判断を間違えれば確実に俺の急所を捉えてくるだろう。
一度でも喰らえば致命傷だ。
考える時間などない。
手加減できる相手でもない。
話し合える相手でもないのなら、俺には戸惑いこそが許されない。
しかもこの威力……バッタの攻撃を受け止めたくらいの重さがある。
弾き際に剣を斬り返す。
イナゴの衣装を浅く切り裂いた。
ダメだ。イナゴのキグルミのせいで切った程度じゃ身体に届かない。
これじゃ倒すことなどできはしない。
突きが最適か? だけどそんな暇があるだろうか? 相手が突かせてくれるとも思えない。
手持ちに有効な武器は手榴弾くらいだろう。
だけど相手も人間、投げ返されればこちらは避け切れない。
残った手榴弾も一つだけだ。無駄弾は使えない。
炎の杖は? 一瞬の隙は作れるだろうか?
いや、相手はこの時のために訓練されたボスキャラだ。小細工は通用しないと思った方がいい。そういう理由で電撃も氷結もあまり意味はない。
策がないなら単純な実力と運の勝負になる。
そうなると、俺には勝ち目なんてないだろう。
考える間にもイナゴの攻撃は熾烈を極めていく。
動くだけで精一杯なのに、疲れが取れきっていない体は徐々に動きが鈍くなっていく。
時間が無い。少しでも気を抜けば殺される。
剣で防ぐだけじゃもうダメだ。
何かきっかけ、この近接を脱出して……
そうか。どうせ殺されるなら……コイツを使う方法がある。
横薙ぎに来た攻撃を受け止め、弾き上げる一撃をいなした瞬間、わずかに生まれた隙に向かい、俺はそいつをベルトから取り出した。
振りあがったイナゴの細腕に、迷うことなく雷の杖を押し付ける。
確かに、コイツの威力は大したことは無い。
それでも、相手を驚かす程度には……役に立つ!
驚きで剣を落したイナゴを突き飛ばし、たたらを踏んだイナゴに思い切り剣を振り下ろす。
この一撃で決める。そう思って力を込めた俺だった。けど……
尻餅ついて俺を見上げ、思わず左手を前にかざしたイナゴに、剣が止まった。
俺はバッタを助けるためにここに来たはずなのに、一体何をしようとしているのかと、俺の中で葛藤が生まれた。
人を殺してまで得るべき事なのか?
このまま人を殺していいのか?
それは十秒も無かったと思う。
だけどその葛藤が、俺の好機を潰してしまったのは、俺が遅い後悔をした時だった。
俺の動きが止まったと気付いたイナゴは、即座に足を崩しにかかり、ついついそちらに意識を向けた瞬間、鳩尾を今まで感じたことの無い衝撃が襲った。ミシリと内側で何かが鳴った。
「かふっ?」
起き上がり様叩き込まれたイナゴの手の平に、俺の身体は浮いていた。
ぶれる視界に飛びそうになる意識。
全てがスローモーションのように流れ出し、俺の身体がゆっくりと地面に倒れていく。
地面に背中が追突した刹那、時間が早送りのように動き出し、女性の悲鳴が聞こえた。
混濁しかけた意識が戻り、胸元を中心に激痛が広がる。
骨は軋み、背中を打ちつけた痛みと相まり身体に力が入れられない。
息は吐き出すことは出来ても吸い込むこともままならず、軽い呼吸困難に陥った。
「もう、やめてっ」
誰かの声が聞こえた。なぜだろう。どこかで聞いた気がする。
視線を向ければ、泣き叫んでいるドレス姿の少女。
亨は我関せずと俺達を見ているだけで、袖を引っ張られていても気に留めていなかった。
やっぱり、亨を信じるべきだ。葛藤なんかしてる場合じゃなかった。
彼女が泣いてる。俺が殺されれば彼女もまた殺される。
いや、自ら死を選ぶかもしれない。
ならば、俺は……生きなければならない。
どんなことになろうとも、泥に塗れようと、血反吐を吐こうと、人を、殺そうとも。
もう、体が動かない。きっとこのままだと殺されるだろう。
でも、わかった。理解してしまった。
やるべきことは、もう、一つしかないのだ。
相手はただのキグルミだ。
アレを消さねば自分の事を好きと言ってくれた人が死ぬ。
だったら、遠慮する必要なんて無い。
そうだ、俺はコイツを倒してバッタに会うんだ。
まだ名前すら聞いてないあの少女を助けるんだ。
学校では何も出来ないただの学生だった。
ゲームみたいなことなんてできるはずのない、英雄になんて絶対になれない俺だけど……彼女を、救いたいんだ。
絶対に、諦めきれない。
せっかく、目の前に彼女を救う術があるのだ。
俺にしかできないことがあるのだ。
少し、身体が落ち着いた。呼吸も何とか正常だ。
ぐっと力を振り絞る。入らない力を無理矢理出し切り、身体に鞭打って身を起こす。
自分は死ぬかも知れない。
そう思いながらも全身に余っていた力を根こそぎ使って立ち上がる。
身体の感覚は殆ど無い。いつ力尽きるか分からない。
それでも……保って欲しい。
俺の身体なんだから。こんな時くらい、俺の思いに答えてくれてもいいだろ?
今、この瞬間だけは、俺だけの物語を紡いでくれ……
なるんだ。彼女のヒーローに。
あいつを救うたった一人の主人公に。
作られた戦場でも構わない。
相手の思う壺だったって、俺にはもう、これしか残ってないから……
俺はかろうじで持っていた剣を左手に持ち変え、イナゴを睨みつける。
立ち上がった俺に驚いていたイナゴだったが、俺に攻撃できるほどの体力も無いと分かると俺が倒れている間に拾っていただろうナイフを構え、俺へと突進を開始した。
震える右手を動かし懐へ。
これをかわされればおそらく俺はもう動けない。
文字通り、最後の一撃だ。
父さん、母さん。俺、本当にどうしようもない奴だけど、それでも普通の人として人生歩くつもりだったけど、ごめん。俺は……
懐から取り出した最後の手榴弾から歯で安全ピンを外す。
腕に力が入らないから引き抜くのに時間が掛かったが、それでも、充分な距離を残して間に合った。
近づいてくるイナゴも手榴弾に気付き、でもいつでも打ち返せると気にせず速度を上げる。
「父さん、母さん……俺は今日、初めて……」
残り一秒、俺は手榴弾を後ろに放り投げる。
「人を殺す!」
イナゴは予想外の行動に戸惑い、その一瞬が俺の最後のチャンスになった。
背後で爆発。
すでに力の抜けきった体は爆風に煽られ高速で舞い上がる。
俺は近づくイナゴを上回る速度で上空に飛び上がり、イナゴ向かって急降下。両手で剣を構え、全身の力を両手に込めた。
「うあああああぁぁぁぁ――――ッ!」
突然舞い上がった俺が空中から切っ先向けて襲い掛かる。
イナゴの目にはどう映っただろう。
もし、本当にこいつがバッタ程の力を持っていたならば、俺の最後の一撃だって軽く避けて見せたはずだ。
でも、でもこいつは……イナゴでは俺に反応できない。
とっさに振り上げたナイフは俺の頬を浅く裂き、けれど俺の剣を止めることも俺を殺すことも出来はしない。
剣は迷うことなく咆哮と共にイナゴの喉元へ吸い込まれ、致命傷の一撃を叩き込んだ。
突き刺さった周りが赤く染まる。けれど飛沫はない。すべてキグルミが内部で止めているようだ。
相手が死んだかどうか。俺には確かめる術は無い。
「バッタ……勝ったぞ……」
体にはもう指先えお動かす力すら残ってない。背中がやけにヒリヒリとする。
口から出た言葉も言葉になったかどうかすら分からない。
どこからか俺の名を呼ぶ聞き覚えのある声が聞こえた気もした。
イナゴに抱きつくような格好で、俺は一瞬も動くことは出来ず、眠るように意識が拡散するのを感じていた。
意識が飛ぶ直前、純白のドレスを着た天使が迎えに来た気がした……
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