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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅶ

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〈49〉陰日向の人

 ジュピトの背で、ひとつにまとめた髪が揺れる。

 間に合わない。

 手を伸ばしても、触れることすらできない。


 不遇の歳月を過ごしたこの人は、この瞬間を待っていたのだ。

 自分を翻弄し続けたこの国に、見せしめのような形で自らの命を終わらせる瞬間を。

 それこそが自由だと。終わりだと。

 けれど、こんな救いはない。


 生きることに希望を見出せず、死を解放だと望むその背中が、レヴィシアにはどうしようもなく悲しかった。その絶望をわかってあげられることなどない。

 彼が苦しんで来た歳月さえも生きていない自分が、理解できるなんて思わない。


 けれど、毎日が悲しかったというのなら、その声をせめて聞かせてほしい。吐き出して、受け止めさせてほしい。こんな風に、逝かないで、話してほしい。

 だから、レヴィシアは改革よりも強く願い、その背を追って駆け出しながら叫んでいた。


「駄目――――!!!」


 ユイも将軍も、レヴィシアに遅れて走る。けれど、誰も間に合わない。

 ジュピトの姿が光に溶ける。バルコニーを乗り越えようとしたその時、急速に飛来した何かが、ジュピトの鼻先をかすめた。


「っ!!」


 ジュピトもとっさにそれを避けようとしてバランスを崩し、バルコニーの中へと倒れ込んだ。飛来した鷹は、しばらくその上空を旋回していた。大きく翼を広げた姿は、見惚れてしまうほどに雄大だった。

 あれは、ニールの鷹、アーロだ。何度か、間近で見せてもらったことがある。

 レヴィシアはニールに感謝しつつ、倒れ込んだジュピトに駆け寄った。


「ジュピト様! おけがはありませんか?」


 おずおずと声をかけると、ユイと将軍、それから遅れてユミラとハルトが駆け付けた。

 ジュピトは顔を上げると、カッと目を見開いてレヴィシアをにらみ付ける。その視線の鋭さにレヴィシアは一瞬たじろぎながらも、すぐに持ち直してその瞳を直視した。

 不敬でもなんでもいい。そらしてはいけない。


「お前はなんだ? どこの小娘だ!?」


 わめきながら、立ち上がるでもなく後ろへ下がる。


「けががないかだと? 私の意思よりも、我が身が無事でさえあればいいと言うのか? 私は所詮、お飾りの王だ。存在すればそれでよい、それだけのな。馬鹿らしい――」


 吐き捨てるようにまくし立てた。レヴィシアは、その言葉を静かに聞いていた。

 この人は、孤独の中、どれだけのものを抱え込んでいたのだろうかと。

 自分があまりにも仲間たちに恵まれ、寂しさとは無縁にいたからこそ、どこかに罪悪感を感じたのかも知れない。哀れみだとしても、この人を嫌うことはできなかった。

 ただ、ジュピトのその言葉に、体の底まで響き渡るような重い低音の叱声が飛ぶ。


「いい加減になさって下さい」


 レヴィシアはその声の主を振り返った。彼の大きなこぶしが震えている。将軍の強張った形相に、息子であるユイも驚きを隠せないようだ。


「貴様、家臣の分際で!! ――そう、か。所詮お前は私を軽んじている。驚くべきことではなかったな?」


 聞くに堪えない乾いた笑い声を、ジュピトは必死で立てた。その姿が物悲しい。

 けれど、それを将軍は更なる怒気を持って遮った。


「あなたはご自分のことばかりだ。あなたの兄であらせられる先王が、どれだけあなたを案じていたことか。苦しかったのは、何もあなたばかりではあない」


 その言葉に、ジュピトは眉尻をつり上げる。その瞳には憎悪に近いものがあった。


「何を抜かすか! 私が兄のせいでどのような目に遭って来たのか、知らぬとは言わせぬ!」

「では、あなたは先王の何を知っていると仰る!? 御子を成さず、立太子を拒み続けたのは、あなたの御身を守るためであったと、他の誰でもないあなただけは知っておくべきだ!!」


 この将軍がここまで感情をあらわにすることは今までなかったのだろう。ユイは呆然と父親の姿を見ていた。レヴィシアは、固まってしまったジュピトに目をやる。


「そんな話は――っ」

「作り話だとでも? あなたは、兄王を恨まねば生きられなかった。知りたい事実ではなかったのかも知れない。そうだとしても、あなたに恨まれたままでは、先王の御心はいつまでも救われない……」


 そう結んだ将軍は、悲しげで、悔しそうにも見えた。

 ジュピトは自らの世界が崩壊してしまったように、呆然と表情をなくしている。そんな彼に、凛とした鋭い声が届く。


「あれの性質は、双子であったお前が誰よりも知っておったのではないか?」


 城内から駆け付けた家臣たちを退け、姿を表した公爵に、ジュピトは瞠目した。


「あ、姉上……」

「わかるか? あれもお前と同じ、犠牲者であったのだ」


 王制という国の仕組みに翻弄された二人。

 どちらが悪いわけでもない。

 ただ、悲しいだけの二人だ。


 今、無言でうつむいたジュピトの中には、幸せだった時の思い出が蘇っているのではないかと思った。レヴィシアは、自分に何ができるかなど考えずに、ただ気持ちのままに動いていた。

 ひざを付き、無遠慮にジュピトの顔を覗き込む。周囲がハラハラと固唾を飲むのがわかった。

 ムッとしたその顔に、言う。


「王様は、自分を犠牲にしてこの国を守る人。だとするなら、ジュピト様も同じです」


 冷たく震える彼の手を取る。


「この国の平穏の裏側で、苦しみに耐えて下さいました。王様とジュピト様の犠牲の上に、この国はあったのです。だから――」


 手を握る腕に力を込めた。強く、想いを伝えるように。


「ありがとうございました」


 ジュピトは怪訝そうな面持ちになる。それでも、レヴィシアは笑った。


「ありがとう?」

「はい。他に言葉が見付かりませんから。でも、もう独りにはしません。祭り上げた王様にすべてを押し付ける仕組みは終わりにしましょう」


 レヴィシアの不穏な言葉にも、将軍は動かなかった。何故か、小さく笑う声を聞いたような気がした。


「どういうことだ?」


 唖然としたジュピトの正面に、いつの間にかザルツがいた。


「私共は、王という存在のいない民主国家を提案いたします」

「民主国家?」


 そのジュピトの疑問に答えたのは、ユミラだった。


「王というただ一人ではなく、民の総意が国を動かす仕組みです、ジュピト大叔父上。僕以上に、王家の血に翻弄され続けたあなたですから、この改革の意味をご理解頂けるのではないかと思いますが」


 そうして、ジュピトは姉である公爵を見上げた。公爵は鷹揚にうなずく。

 ジュピトは声を立てて笑った。


「夢物語が、現実にな。そんなことが可能だというのか? 姉上までもがそのようなことを?」

「可能だと判じたからこそ、私はここにいる」


 有無を言わせぬ口調だった。けれど、戴冠式の場より駆け付けた重鎮たちは、そのやり取りに唖然とする。公爵に意見することが恐ろしくはあったはずだが、必死に声を上げた。


「で、ですが、戴冠式はすでに終えたのです! ジュピト様はこのシェーブル王国の新王となられたのですぞ!!」


 変化に対する不安。事なかれ主義の権化。

 誰しも、不安定で先の見通せない未来を恐れる。

 けれど、その苦難の先には皆の幸せがあると、共に信じてほしい。


 ジュピトは、突然、大きな声を上げて笑った。周囲の人間たちが戸惑う姿を楽しむようにして。

 そのひねくれた性根の持ち主は、平然と言ってのけたのである。


「私の頭上に王冠などないが?」


 唖然として、開いた口が塞がらない重鎮たちを眺め、ジュピトは満足げに声を立てて笑った。またしても、自分の人生を都合よく操り続けようとした臣たちのその表情に、積年の鬱憤が晴れたかのようにさえ思えた。


「ジュピト様は、自らの王位よりも、この者たちの夢物語を優先させると。それで後悔はなさいませんか?」


 涼やかなその声は、ネストリュート王子のものだった。いつの間にかそこにいた。ティエンもそばに控えている。ジビエも一緒だった。


「平穏の前に混沌が生じます。あなた様の立ち位置も、今後は磐石ではありません。自らの価値を自らが示さねばならない、この国はそんな場所となるのです。それができず、脱落する者も出ることでしょう。それでも、後悔はないと仰るのですね?」


 ジュピトは鋭い視線をネストリュートに向けた。それで怯む相手ではないけれど。


「後悔するもしないも、先のことなどわからぬ。この決断の正誤は――それが判明するのは後の世であろう。後悔しようとも、とりあえず、先を見てみたいという気持ちにはなった」


 改革の先の未来を、生きる糧にしてくれると言う。

 暗君とそしられることを承知で、弟の身を案じ続けた先王の想いが、ジュピトに死を思いとどまらせた。

 本当はそうなのだと思う。そうであってほしい。

 ただ、それを正直に言えないから、そんな風ことを言ったのかも知れないと思うのは、勝手な願いだろうか。


 ありがとう、お疲れ様。これからは一緒にがんばろう、とそんな気持ちを、レヴィシアはジュピトと繋いだ手に込めた。


「王制の終わりの時。形ばかりの一時のこととはいえ、最後の王として、お前も立ち合うべきだ」


 公爵の声に、その場にいた皆の空気が張り詰める。


 ついに、この時が来た。

 願って止まなかった夢が叶う瞬間が。

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