〈48〉翼
ルテアとアイシェ、ニール、シーゼ、サマルは、城門前で群集に紛れて王城を見上げていた。
戦いは一時的に収まり、ただざわざわと騒がしいばかりである。
ルテアは棍を握る腕に力を込めた。そうして、強く祈る。
あのバルコニーからレヴィシアが笑って顔を覗かせ、大きく手を振る姿を思い描く。その未来だけが来るようにと。
けれど、ひと際喚声がその場に響き渡った瞬間に、ルテアは現実に引き戻された。
「あ、あれ!!」
サマルが震える声と共にバルコニーを指差す。そこには、レヴィシアではない人物の姿があった。
稲穂の色をした髪。煌びやかな装いの、壮年の男性だ。――あれが、王弟。
すでに新王と呼ぶべき存在なのだろうか。
それ以上の言葉が、サマルだけではなく、誰の口からもこぼれなかった。けれど、愕然としたのは一瞬の出来事だった。
彼の動きには、優美さや尊厳など感じられず、よろめくようにしてバルコニーの縁に手をかけた。甲高い悲鳴が上がる。
その人物は、その縁を乗り越えようとしていた。
この、聳える王城の最上階から。
下々の見上げるその先から、この地まで、落ちようと。
この時になって初めて、あの王弟の心の一端を民衆は知るのだ。
不遇の歳月を過ごし、また今も人々の思惑に翻弄され、自らの願いでもなく祭り上げられようとしている。彼の望みは、幽閉生活からの解放ではない。王位でもない。
彼の中にあるのは、寂寥。虚無。
あるとは言えない。何もないというべきもの。
すべてを終わらせ、消えてしまいたいと。
そんなことを望んだ。
けれど、この結末は、彼自身のせいではない。
死ぬことでしか、彼の魂が救われないとは悲しすぎる。
けれど、誰の手も間に合わない。
どうすれば。どうか、助けて――。
虚しく響く声の中、ピィと甲高い指笛の音が鳴る。
「アーロ!!」
ニールの意図を汲み取り、その雄大な翼をはためかせ、上空を行く鷹の姿があった。ルテアたちは陽光を身に受けるその勇姿を見上げた。
アーロの飛翔は瞬く間で、身を乗り出したジュピトのもとへ易々と到達した。アーロは鋭い爪と力強い翼でジュピトをけん制する。とっさのことに驚いたジュピトが、アーロを避けようとしてバランスを崩し、後ろに倒れたことだけが、この地上から見えた。
「よし! お手柄だ!」
嬉しそうにこぶしを突き上げて、ニールは上空へ叫んだ。
盛大な安堵のため息が聞こえる。ルテアたちも胸を撫で下ろした。
そんな時、バルコニーに数人の姿が見えた。そのうちの一人は、小柄だった。あの栗色の髪を見間違えるはずもない。ルテアの心臓がドクリと跳ねる。
駆け寄ることもできないその場所。それでも、心だけはそこへ行けるように、瞬きすらも忘れて見上げていた。
アーロのように、翼があればすぐにでも駆けつけられるのに――。
※※※ ※※※ ※※※
そんなルテアのことを、隣でアイシェは見つめていた。ルテアがこちらを振り返る気配はない。
ただ、まっすぐにバルコニーへ視線を向けている。あの先に、レヴィシアがいるから。
眩い笑顔に想いを馳せ、この遠い地べたから、彼の心はレヴィシアと共にある。
知りたくはない。見たくはない。
けれど、それが事実だ。
あんなにも必死に、ひた向きに、ルテアは強くなろうとしていた。彼の見つめるその先に、自分がいられたならよかったけれど、それはどうしたってできないことなのか。
不意に、涙がにじみそうになる。だからアイシェはそれを見られてしまわないように、まぶたを伏せた。それから、感情の波が落ち着いた時、再び目を見開く。
この気持ちの終着点を、自分で見定めた。
「――ルテア」
小さくささやき、ルテアの袖口を引っ張る。ルテアの神経はバルコニーに向かっていて、顔を向けはしたけれど、注意力が途轍もなく散漫だった。だから、アイシェはその顔を捕まえ、唇に素早く軽いキスをした。
「!!!」
群集もバルコニーに注意を払い、そんな二人に目を向けていない。それは、一瞬の出来事だった。
顔を真っ赤にして言葉を失ったルテアに、満足げにアイシェは微笑む。心から笑えたわけではないけれど、笑顔には見えたはずだ。
ルテアはほんの少し、罪悪感の入り混じった表情を見せる。レヴィシアのもとへ行く時に、やましい気持ちがほんの少しでも湧いていればいいのにと思った。
意地が悪いかも知れない。けれど、それくらい、許してくれてもいいのではないかと。
キスしてくれたら諦めてあげるなんて言わなければよかった。
キスしたら終わってしまう恋。
この気持ちは報われない。
だから、もう、これで区切りとしたい。負ける相手に納得は行かないけれど。
アイシェもルテアも、再びバルコニーを見上げる。ただ、そんな時、後ろからアイシェの頭に手が乗った。慰めるように、ぽんぽん、と跳ねる。癪だから、振り向かなかったけれど。




