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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅶ

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〈48〉翼

 ルテアとアイシェ、ニール、シーゼ、サマルは、城門前で群集に紛れて王城を見上げていた。

 戦いは一時的に収まり、ただざわざわと騒がしいばかりである。

 ルテアは棍を握る腕に力を込めた。そうして、強く祈る。

 あのバルコニーからレヴィシアが笑って顔を覗かせ、大きく手を振る姿を思い描く。その未来だけが来るようにと。

 けれど、ひと際喚声がその場に響き渡った瞬間に、ルテアは現実に引き戻された。


「あ、あれ!!」


 サマルが震える声と共にバルコニーを指差す。そこには、レヴィシアではない人物の姿があった。

 稲穂の色をした髪。煌びやかな装いの、壮年の男性だ。――あれが、王弟。

 すでに新王と呼ぶべき存在なのだろうか。


 それ以上の言葉が、サマルだけではなく、誰の口からもこぼれなかった。けれど、愕然としたのは一瞬の出来事だった。

 彼の動きには、優美さや尊厳など感じられず、よろめくようにしてバルコニーの縁に手をかけた。甲高い悲鳴が上がる。


 その人物は、その縁を乗り越えようとしていた。

 この、聳える王城の最上階から。

 下々の見上げるその先から、この地まで、落ちようと。


 この時になって初めて、あの王弟の心の一端を民衆は知るのだ。

 不遇の歳月を過ごし、また今も人々の思惑に翻弄され、自らの願いでもなく祭り上げられようとしている。彼の望みは、幽閉生活からの解放ではない。王位でもない。


 彼の中にあるのは、寂寥。虚無。

 あるとは言えない。何もないというべきもの。

 すべてを終わらせ、消えてしまいたいと。

 そんなことを望んだ。


 けれど、この結末は、彼自身のせいではない。

 死ぬことでしか、彼の魂が救われないとは悲しすぎる。

 けれど、誰の手も間に合わない。

 どうすれば。どうか、助けて――。


 虚しく響く声の中、ピィと甲高い指笛の音が鳴る。


「アーロ!!」


 ニールの意図を汲み取り、その雄大な翼をはためかせ、上空を行く鷹の姿があった。ルテアたちは陽光を身に受けるその勇姿を見上げた。

 アーロの飛翔は瞬く間で、身を乗り出したジュピトのもとへ易々と到達した。アーロは鋭い爪と力強い翼でジュピトをけん制する。とっさのことに驚いたジュピトが、アーロを避けようとしてバランスを崩し、後ろに倒れたことだけが、この地上から見えた。


「よし! お手柄だ!」


 嬉しそうにこぶしを突き上げて、ニールは上空へ叫んだ。

 盛大な安堵のため息が聞こえる。ルテアたちも胸を撫で下ろした。

 そんな時、バルコニーに数人の姿が見えた。そのうちの一人は、小柄だった。あの栗色の髪を見間違えるはずもない。ルテアの心臓がドクリと跳ねる。


 駆け寄ることもできないその場所。それでも、心だけはそこへ行けるように、瞬きすらも忘れて見上げていた。

 アーロのように、翼があればすぐにでも駆けつけられるのに――。



         ※※※   ※※※   ※※※



 そんなルテアのことを、隣でアイシェは見つめていた。ルテアがこちらを振り返る気配はない。

 ただ、まっすぐにバルコニーへ視線を向けている。あの先に、レヴィシアがいるから。

 眩い笑顔に想いを馳せ、この遠い地べたから、彼の心はレヴィシアと共にある。


 知りたくはない。見たくはない。

 けれど、それが事実だ。

 あんなにも必死に、ひた向きに、ルテアは強くなろうとしていた。彼の見つめるその先に、自分がいられたならよかったけれど、それはどうしたってできないことなのか。


 不意に、涙がにじみそうになる。だからアイシェはそれを見られてしまわないように、まぶたを伏せた。それから、感情の波が落ち着いた時、再び目を見開く。

 この気持ちの終着点を、自分で見定めた。


「――ルテア」


 小さくささやき、ルテアの袖口を引っ張る。ルテアの神経はバルコニーに向かっていて、顔を向けはしたけれど、注意力が途轍もなく散漫だった。だから、アイシェはその顔を捕まえ、唇に素早く軽いキスをした。


「!!!」


 群集もバルコニーに注意を払い、そんな二人に目を向けていない。それは、一瞬の出来事だった。

 顔を真っ赤にして言葉を失ったルテアに、満足げにアイシェは微笑む。心から笑えたわけではないけれど、笑顔には見えたはずだ。


 ルテアはほんの少し、罪悪感の入り混じった表情を見せる。レヴィシアのもとへ行く時に、やましい気持ちがほんの少しでも湧いていればいいのにと思った。

 意地が悪いかも知れない。けれど、それくらい、許してくれてもいいのではないかと。

 キスしてくれたら諦めてあげるなんて言わなければよかった。

 キスしたら終わってしまう恋。

 この気持ちは報われない。


 だから、もう、これで区切りとしたい。負ける相手に納得は行かないけれど。

 アイシェもルテアも、再びバルコニーを見上げる。ただ、そんな時、後ろからアイシェの頭に手が乗った。慰めるように、ぽんぽん、と跳ねる。癪だから、振り向かなかったけれど。 

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